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2.0

 私は国営のエーテル観測所の職員として働くようになった。

 観測所といっても、実際に現場へ行き数値を測定するのは外部の民間組織であり、私達の仕事はそのデータをまとめ国に提出するだけである。しかも一日の大半は無駄話や読書に費やされるほどで、酷い者など飲酒をしながら窓の外を見ているのであった。


 このある意味では楽園のような、違う意味では地獄のような職場で働くと言った際両親は反対したのだが、月にこれだけ頂けると説明した途端に母は納得したのであった。

 一方父は「金儲けをさせる為に学校に入れたわけではない」と最後まで反対していた。

 最初は二人とも、遺跡発掘や魔物駆除師。または軍人のような、偉人となれる職に就くべきであると言っていた。しかしながら世にある遺跡などはだいたい掘り尽くされているし、エーテルの減少に伴い魔物も滅多に見ることができない。軍に至ってはとうに魔法から鉄砲の時代へと変わっている。ひ弱な魔法研究者など、はなからお呼びではない。


 私はこの話をする為に、一時的に家に帰らざるを得なかった。母がわざわざ学校まで迎えに来て「一緒に帰りましょう」と言ってきたからである。しかしその時の私は、いつぞやの夏とは違い多少気楽であった。金払いのいい勤め先に決まったのだから、妹も私を許してくれるだろうと楽観していたのだ。


 いくつかの口論があった話は何とか一段落ついた後、私は肝心の妹がいないのに気がついた。


「母さん。ソーはどこですか?」


 私のこの質問に、母は何ら悪びれることなく、さも当然に、私の目を見て、はっきりと、恐ろしい言を述べた。


「売りましたよあんな子。炭鉱で働かせたら、使えないって返されたんですから。まったく一族の恥さらしも良いところ……貴方も、そう思うでしょう?」


 私はその時の母の顔を今でも忘れることができない。悍ましい憎悪と憤怒。歪んだ表情は、本で見た悪魔よりも悪魔的であった。実の子を売ったという母親の顔がこれかと私は思った。しかし、だからといってどうこうできるわけでもなかった。怒り狂い、母を殺そうにもできなかった。恐れたのだ。罪を犯すのを、罰が下るのを!


 久方ぶりの自室。家具の位置は変わっていない。しかし掃除は気持ちの悪いほどに行き届いていた。ベッドからは太陽の香りが漂う。妹は、ソーは果たしてどのような環境で眠っているのだろうか。食事は摂っているのだろか。酷い事は……


 私は考えるのを止めた。悩めば悩むだけ心が、精神が蝕まれていく。私にはどうする事もできないのだ。何もできない。打つ手立てがない。妹を思うほどに己が無力に苛まれ、咽び泣きながらベッドの中で丸くなることしかできなかった。


 死のうと思った。


 辛く悲しい想いは数あった。多くの挫折を味わった。しかし、しかし今日ほど深く、深く絶望を感じた事はなかった。深淵から覗く死神を近くに感じた事はなかった。こんなにも……こんなにも……!


 ドアノブにベルトを吊るした。首を吊るすのに高さはいらない。喉にある動脈を絞めさえすれば、十分足らずで死に至る。簡単なものだ。簡単に、人は死ぬ。


 ヒヤリとしたベルトが首に当たる。脳が直接刺激された気がした。死を意識してしまうと、あらゆる感覚が過敏になる。ランプの光、隙間風。軋む木の音、家の匂い。すべてが今生での最後。待っているのは、暗黒なる死……

 ベルトに身体を預けると、ぎしりぎしりと音が鳴り、閉じたはずの眼前が赤黒く染まっていった。舌の根元が乾いていく。顎が外れるかと思うほど口が開く。苦しい。苦しい。苦しい!


 気付けば床に倒れていた。ベルトはノブから下がったままであった。私はそのままうずくまり、声を殺して泣いたのであった。

 泣き疲れ顔を上げるとベッドが目に入った。その時に気がつく。ほんの少し、ベッドが動いている事に。直感であった。私はベッドの下にある隙間に手を入れた。すると身体を預ける木の板の真裏に何やら感触があった。掴み、引っ張ってみるとそれは何枚かの手紙であった。妹から、私に向けての……


 お兄さんへ。お元気でしょうか。私はどうにもいけません。父とも母とも上手くいかず、毎日怒られてばかりです。それでもお兄さんが頑張って勉強しているので、頑張ろうと思います。





 お兄さんへ。明日から炭鉱で働く事になりました。不安ですが、頑張りたいと思います。

 これは私の意思で始めた事ですので、お兄さんはなに一つ気にせず勉学に励んでください。本当はお兄さんが住む寮へ直接送りたかったのですが、そのお金をお兄さんの学費に回した方がいいと思いここに置かせて頂きます。お母様に知れたら、叱られてしまいますしね。

 もし気がつかなくとも、私は構いません。ただ、たまには私の事を思い出してくれると嬉しいなと毎日思っています。それでは、また書きます。もし読んでくれたらいつか、いつでもいいから、返事をください。


 お兄さんへ。毎日が辛いです。手の怪我は酷くなる一方で、爪は割れてしまいました。毎日毎日怒られます。使えないと、クズだと言われます。お兄さん。それでも私は、頑張ります。だって、お兄さんも頑張っているんですもの。私は使えない娘です。いらない娘です。それでも、少しでもお兄さんの力になりたいと思っています。どうか、勉学の方を励んでください。お兄さんの人生を彩ってください。お兄さんの威光こそ、私の幸せでございます。


 お兄さんへ。今日は酷い話を聞きました。お姉さんに乱暴したのは自分たちだと私に言ってきた人がいたのです。私は怒りましたが、その人達はニヤつきながら、次は私だと……





 私は妹の手紙を最後まで読めなかった。手紙には所々赤黒い滲みができていた。その滲みは、妹の命から絞られたもののようで悲惨だった。

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