1.4

 悩みが尽きることはなかったがそれでも時は過ぎていった。

 照りつける太陽が大地を焦がす夏。グレイと知り合ってから二ヶ月程経過した頃である。学校は夏期休暇に入り、各々が産まれた里へと帰省する中、私は一人まだ寮に残っていた。家に帰りたくなかったのである。両親に会いたくなかったというのもあるのだが、それよりもはるかに困る事があったのだ。妹が、炭鉱に働きに出ていたのである。


 妹の齢はまだ十。丁度、姉が死んだ頃の私と同じ歳である。この事を母からの手紙で知った私は悔恨の念に打ちひしがれた。悲しみと怒りによって我を忘れ、机に突っ伏し大いに泣いた。

 母はご丁寧にも、「貴殿の学費を払いたいとソーも働きに出た。日々精進し、是が非でも良き道に進むようお願い申し上げる」と仰々しく書いて寄越した。私は思った。進学などせず、無理にでも妹を連れ出して二人で暮らすべきであったと。しかしながらこのヒロイズムは紛い物であった。そう思うのであれば、今すぐにでも妹を救出し、自分が炭鉱で働けばよかったのだ。しかし当時の私は、そんな考えをまったく思いつかなかった。いや、あえて考えないようにしていたのかもしれない。私は、悲しんだり怒ったふりをして、自分の非を両親に被せていただけに過ぎなかったのである。


 そんなわけで私は懐かしき故郷へと帰れずにいた。妹に、どんな顔をして会えばいいか、まるで分からなかったからだ。とてもじゃないが、「帰ったよ」と快活に振舞うことは無理であろう。

 しかし、休暇中ずっと寮にいるわけにはいかなかった。管理者も休暇を取る為、最初の三日が過ぎたら一週間、寮への立ち入りを禁止されるからである。母には研修で帰れぬと手紙を送っていた。恥を忍んで帰省するのも、もはやできなくなっていた。そうして何の手立てもないまま三日が過ぎた。


 管理者が退出するよう私に言ったので、私は「分かりました」と部屋を出た。仕方なしに街に出てフラつくのだが、当てなどなくただ彷徨っていた。心細さが涙腺を刺激する。私はその時、自分の事をなんと不幸だろうかと嘆いた。妹の不幸から目を背けた結果の逃避行にもかかわらずに。

 

 いつの間にか郊外に出ていた。田畑と木漏れ日が、私を迎えた。夏の日差しに追いやられ、一番目立つ巨木の影に入り息をつく。途端に涙が流れた。その落涙は、当時の私としても情けないと思った。が、結局悩むだけで何もできず、その日はその巨木の下を寝床とした。とはいっても、恐怖と不安でろくに眠れやしなかったのだが。


 翌日。朝早くに目覚めた私は街へと戻った。ともかく人が恋しかった。一夜の孤独が、私を雑踏へと導いた。

 騒めく街道。賑やかな声。今まで当たり前にあったものが実に愛おしく感じる。人間が近くにいるだけで、こんなにも安心できるものかと感動した。その時の私はまるで偉大なる英雄となった気分であった。幼少の頃母から聞いた、私の先祖のような……


 そんな妄想により、私は自身が勇敢であると思い違いをしていた。なんでもできると錯覚していた。愚かな万能感に酔いしれていた。そんな私が現状の打開を図る為に取った行動はごくごくありふれた、人並みのものであった。


 私は以前、住み込みで期間工を募集している張り紙があったのを思い出していた。街外れにある小さな工場は、頭の悪そうな人間が働いている。私にも、できると思った。意気揚々と工場へと足を進め、髭の生えた汚い男に面接を受けた。


「まぁ、頑張りなさい」


 そう言って男は部屋に案内してくれた。仕事は明日からいいと言ってくれたのでその日はゆっくり眠る事ができた。


 そうして私は工場で働く事となったのである。苦痛であった。山のように積み上げられたビスをひたすらにヤスリで磨き続けるのだ。一日が終わると私の指は腫れ、変色し、鉄臭くなっていた。仕事が終わり、ベッドに入ると自然に涙が溢れた。逃げようと思った。

 二日目の仕事が終わった夜。私は工場を後にして、残りの日数を宿で過ごした。妹が炭鉱で稼いだ金を使って、私は柔らかいベッドの上で寝たのだ!


 夏期休暇は終わった。青白い顔顔の同級生たちの顔が、随分と懐かしく感じた。


「しばらくじゃないか。元気だったか?」


 グレイの言葉に私は微笑んだ。その頃にはもう、妹に対する罪悪感が薄れてしまっていた。

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