1.2
「技師って事は君。職人学校に行くのかい?」
ゴーハは「うん」と控えめに頷いた。
「そういう君はどうするんだい?」
私は彼の言葉に何と返していいか迷った。実際のところ、何も考えていなかったからである。口をまごつかせ、情けない微笑みを答えとした私に彼は「ふぅん」失望と蔑みが混じった相槌を打つのであった。
その頃には私は彼の隠したる感情をりかいしていた。なぜ彼が私の失敗に皮肉を言いにきたのか。それは、嫉妬以外に他ならない。私は知っていた。彼がいつも熱心に魔法の勉強をしていた事を。だが結局彼には才能がなかった。哀れな事に、自らの望む道を歩む事ができないのである。この一点だけは、私は彼に共感できた。しかし彼には逃げ道が用意されていた。選択する自由があった。私には、それがない。そう思うとゴーハの八つ当たりとも言える妬みは滑稽にみえた。なぜなら、彼は逃げも隠れもできない、本当の拘束を、強制を経験していないのだから。
その後ゴーハがどうなったかは知らない。結局彼とは中等部だけの仲となったからである。
さて。将来の展望などまるでなかった私であるが、ともかく姉の遺言通り早く家を出たいと思った。しかしながら私の脆弱な精神は、私の自立を恐怖した。自らの口で「私は一人で生きてゆきます」と申し出しかねたのだ。それを私は(ソーを捨てるわけにはいかない)と妹を言い訳にして親の言葉を待ったのである。しかし皮肉にもその親の決断により、私は私の血筋から離れる事ができたのであった。
「貴方は才能がありますから、魔法学校へ行くのが良いでしょう」
母の言葉に父が「軍人でもよかったんだがな」と呟いたのを見るに、どうやら私の進路について、私抜きで具体的な話をしていたのだろうというのが分かった。夢があるわけではなかったが、一から十まで決められるのは、少しばかり悲しかった。父も母も、私を私個人としてではなく、血脈の先端としか見ていない。言うなれば完成品であり、姉と妹は失敗作である。いずれにしろ親の思惑通りに動かなくてはならないのであるが。
ともかくとして私は、親の要望通り魔法学校へと進学したのであった。その時ばかりは、私は両親と共に喜びを共有した。その内情はまったく異なる、相交わらぬものであったのだが、それを知るのは私一人であった。
魔法学校は全寮制である。それは神秘の秘匿という名目であったが、子供の心を縛り付け、歪んだ選民思想を植え付けるのが真の目的であった。元より魔法学校は権威主義の家系が多く、大半の人間が、己を実際よりも高く評していた。無事に試験を突破した私を最初に待ち受けていた苦難は、そういった人間達の陰気な雰囲気に適応しなくてはならない事であった。
「君は実に魔法が上手いが、いったい誰に習ったんだね」
「独学さ。だから君達と違って品がない」
多少の皮肉を込めた卑下を私は好んだ。周りの者達は私の言葉に笑い、私も私でニヤニヤとお調子を合わせればいいだけなのだから楽だった。しかしながら、私と違ってどうにも皆と馴染まない、無頼漢を気取った者が一人。名をグレイといった。
グレイは他との交流を拒み、声高に他の生徒を「俗物」と批判するのであった。そんな彼は影で痴れ者と囁かれていたが、当人を目の前に言うものは誰もいなかった。
そんな彼と話す機会が設けられたのは入学から三ヶ月が過ぎた頃だった。例年通り初夏が到来し、外を歩けばじんわりと汗が滲む季節。学校生活にも慣れが生じ、皆が自由意志による開放感を覚える時期であった。
その日は休みで暇をしていた。何かしようにもなにも思いつかなかったが、寮の近くには海があるのを思い出し、私はそこに泳ぎに出かけた。学校の人間はこぞって部屋にこもり、他を出し抜かんと勉学に励んでいるようだった。彼らは自らの青白い顔を治療する気はないようで、まったく不健康だと思った。
海水はまだまだ冷たく、湿った肌が風に吹かれて鳥肌が立つ。しかししばらく経てば陽が身体を暖め、すぐにまた水と戯れたい欲求に駆られる。満ち干く潮に流され、抗い、水を掻いて時を過ごした。この時ばかりは私は鬱屈を捨てる事ができた。しがらみや悩みが波と共に水泡へと消えていく錯覚に充足感を覚えた。漂い空を見上げる。海と一体となったような気がして心地が良かった。そのまま水面に身を漂わせていると、いつの間にやら岸まで運ばれていた。夢から覚めたような虚しが私を襲い、仕方なしに重い体を持ち上げ、岸辺でノビをした。身体が疲れているのが分かる。私は少し休もうと海水から離れていった。
そんな折である。「おーい」と呼ぶ声が聞こえたのは。距離は遠かったが、くっきりとその凛々しい姿を見ることができた。
引き締まった肉体。凛々しい体躯は男の私が見えても美しいと思った。隆々とした筋肉は雫が滴り、白銀に照らす太陽の光を眩しく反射している。それに見惚れ私はしばらく何も考えられなかったが、次第に近づくその男の顔を見て私はようやくそれが誰だか理解した。
「なんだ。女みたいな面してると思ったら、身体まで女みたいでいやがる。それじゃいかんぜ」
グレイであった。彼とは初めての会話であったが、遠慮がなかった。しかし悪い気はしなかったし、病人のような他の人間よりは遥かにまとな気がした。
「そう言う君は随分と逞しいみたいだね」
私がにやけ面を作るとグレイは鼻で笑った。私は気恥ずかしくなり濡れた髪を弄った。ゴーハとはまた違った苦手意識、いってみれば威圧感のようなものを、私は一瞬感じた。
「お前さん。嫌な笑い方をするんだな」
彼の言葉に、私は「そうかな」と答えた。すると彼は「そうだとも」と返し、私の腕を引くのであった。
「ともかく泳ごうじゃないか。せっかくの休みだ。遊ばなきゃ損だぜ」
グレイの厚い腕が私の身体に触れる。生きた血肉が蠢くのが分かる。私はその時初めて、人間の生を実感できた気がする。
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