1.1

 姉の死に関しては我が家のタブーとなった。葬式もせず、周りには遠くへ出したとだけ言って回る母親の姿が恐ろしかった。

 一度だけ迂闊な妹が口走った際、烈火の如く怒り狂った両親が妹に対して厳しい折檻を与えたことがある。姉の死がもたらした唯一の幸いは、私をこの異常性から目覚めさせた事であった。


「ソー。姉さんの事は黙っておいで、決して誰にも喋ったりしてはいけないよ。もし、どうかしたのかしらんなんて聞かれたら、ご奉公へ行きましたと言うんだよ。でないと、また父さんと母さんにうんと叱られてしまうんだから」


 妹は私のこの言いつけをきちんと守ったようであった。その日以来、姉のことで折檻されたところを見たことがないのだから。


 そんな妹がある日、私に聞いたことがある。「お姉ちゃんはどうして死んでしまったのかしら」と。あどけない顔から、なんとも率直な、残酷なほどに素直な疑問が私に向けられた。果たして妹が死についてどれほどの知識を持っていたのか今でも分かりかねるのであるが、ともかくその時の私は「さてね」とお茶を濁す事しかできず、困り、そして、考えたのである。どうして姉は死んでしまったのかと。死なねばならなかったのかと。


 強姦と、親の狂気。絶望するには十分な程に不幸ではある。しかし、それが本当に死に直結するのか。生を断念する理由となるのか。日々凄惨な暴力を受けていた姉が、どうしてあの時に限って耐えられなかったのか。女を知らぬ私はそんな事を思った。


 私はもし姉が「一緒に逃げよう」と言えば、いかに先祖を誇りに思っていても共に脱兎となったであろう。内心、そういった事を考えなかったわけではない。姉は、いつも家に対する、その苦々しい心中を私に吐露していた。姉の辛苦はまことに堪え難く私の心を締め付けたものだ。それ故、どうして死に至る理由を打ち明けてくれなかったのか、そんな疑問を抱きながら時を過ごした。


 結局。明確な答えが出ぬままに私は中等部へと進学したのであった。初等部で顔馴染みだった者。顔も名前も初めて知るものが入り混じり、どうにも、照れ臭かった。

 年を重ね日常は平安を取り戻したように見えたが、姉の件を忘れた日はない。いつだって、ふとした瞬間にあの美しい笑顔が脳裏にちらつき私は儚さを知る。しかしそれを表に出す事は許されなかった。父も母も、姉の死以来、私に過剰な期待を抱くようになったのだから。

 将来は軍隊がいい。いいや探索者だと、私の意見など気にもせず私の将来について勝手な展望を持ち、楽しげに口論を交わすのである。もはや自身に流れる血脈に対し微塵の敬意も払っていなかった私には、狂気にしか映らなかった。


 学校は別段楽しいわけではなかったが、それなりに話し相手はいた。幼少期にした妄想の話を持ち出された事もあったが次第に忘れ去られ、私は学友達と等しく思春期を過ごしていったのであった。

 その中にゴーハという仲の良い学友がいたわけであるが、私は彼が苦手であった。陰湿な目が私を見る度に薄ら寒さを覚えたものである。

 彼との出会いは中等部での魔法実技の授業であった。私は魔法が得意で(両親はこの事を喜んでいたが私はちっとも嬉しくなかった)よく模範として壇上に上がる事があったのだが、その際に一つ。意図的に失敗をした事があった。もはや先祖の輝きなど届かなかった私にとって、科学に取って代わられつつある技術になんら魅力を感じなかったのである。事実。エーテルの濃度は日に日に薄くなり、人は小規模な魔法を使うのにも難儀する有様である。小さな火を点けるのにもマッチを利用した方がはるかに早い。


 そんなものだから、私は自ら大した事のない風を装った。今まで上手くやっていたのは単なる偶然であり、まったく実力の範疇から外れているという事を知らしめるつもりであったのだ。事が終わり、私が「失敗いたしました」とにやけ面で言うと、教師は「結構」と言って私を席へと返した。その際。皆にクスクスと笑われるのは居心地の悪さを覚えたが、何やら肩の荷が下りたような気持ちであった。しかしながらその日の放課。私が帰り支度をしていると、一人の男子生徒が声を掛けてきたのであった。


「君ってやつはまったくいい性格をしているよ。いったいどうしてわざと失敗なんてしたんだい?」


 どきりとした。私はその男子生徒を知らなかったが、彼の皮肉の効いたいやらしい目つきは、私を丸裸にして内々まで余す事なく見透かしているように思えた。


「君は失敗を笑うのかい?」


「笑うとも。道化を演じた奴を笑い者にしないのは、失礼ってものじゃないかね」


 私は逃げるようにして帰った。彼が追ってこなかったのは幸いであった。家に着き、自室に籠もっている内に泣いていることに気がついたからである。もしあの失敗が意図したものだと彼が声高らかに言ったなら、私はどんな目に遭うだろうか。そんな妄想が、悲涙となって溢れ出したのだ。姉の死にさえ流れなかった雫が私の頬を濡らす。なんとも浅ましき俗物根性であろうか。なんと下衆な小心であろうか。私のこの愚劣たる思考回路はもはや、自らの保身を図る卑劣な工作を導き出す事しかできなかった。彼と友達になり、友情をもってして私の秘密を口止めしなくてはと考えたのである。


 翌日から私は件の男子生徒に対し、友好の証を示した。懐に入り込み、信頼を勝ち取ろうと画策した。彼の卑屈といっていい性格は、最初こそ私を拒否し明け透けに軽蔑して見せてはいたが、それもいつしかなりを潜めた。それはなぜかというと簡単な話で、彼は友人がいなかったのである。その事を知っていればあるいは、私はこのような手段を用いる必要はなかったかも知れないが、ともかく私は彼と、ゴーハと形の上では友情の印を結んだのであった。


「君。黙っていてくれたまえよ? 僕はね。将来技師になりたいんだ。内緒だよ」


 彼のその告白を聞いた瞬間に、私の胸は打ち震えた。誰にも打ち明けることのできない彼の夢を献上されたのである。もはや、私と彼との間には一切の疑心はなかった。よもや彼が私の隠匿する卑怯を白日に晒す危険はなくなったのだ。その日ほど私は安堵したことはなかった。その日ほど私は私を侮蔑したことはなかった。万雷の喝采と非難が同時に私の中で鳴り響き、笑顔とも苦渋ともつかぬ表情を私は作っていた。

 ゴーハの赤面が、なぜか姉の柔肌と被った。私は責められているような気がしてならなかった。

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