第47話午後


ステイゴールド領の外れの、小さな医院。


ミミミが、タニアと生活をするようになって、一週間が過ぎた。

何も起こらない平凡な日々だった。


タニアは、時々お酒を飲み、一人で踊ったり歌ったりしている。

食事は、毎回タニアが作ってくれる。

ミミミは、それを見てマスターしていく。(自称)


それ以外の時間、ミミミはネロの部屋に居て、本を読んだり、

時々、ひたすら跳ね回ったり、

ネロの世話をして過ごす。(自称)


物資は、タニアが来て数日中に、三人では処理しきれない量が届いていた。

3ヶ月は暮らせそうな量だ。


昼食が終えた午後の時間、外は穏やかに晴れている。

ネロの部屋、ミミミが、ネロのベッドを転がりながら本を読んでいる。

ふとネロを見ると、文庫本を開いたまま顔に乗せ、眠っているようだ。


ミミミは、ベッドを飛び降り、窓を開けてネロの部屋に面した縁側に立つ。

外には、広めの中庭があり、草花が必死に場所の取り合いをしている。


ミミミは、急に思いたち、置いてあった草履をはいて外に出ると、雑草を抜き始めた。

しかし、雑草は強く地中に根を張っているようで、簡単には抜けない。

千切ろうとしても、ちょっと束ねただけで、驚くほど硬くなる。


「…」


ミミミは草履を脱ぎ捨て、ネロの部屋に戻り、キッチンに向かう。

キッチンでは、ハダカ以上にハダカのようなスケスケの布を巻いたタニアが、

鼻歌まじりに食器を洗っていた。

シンクの隣には、ワインの入ったグラスと少しのチーズが置いてある。


タニアとミミミは、必要な時以外、お互い特に話はしない。

それでも、知らない人同士によくある気まずさは、生まれなかった。


ミミミは、タニアを少し押してズラすと、シンクの下に挿してある包丁を取り、

ニヤッと微笑む。

タニアは、包丁を持って微笑むミミミを見ると、

洗い物を一時中断して、ミミミの背中を追う。


ミミミは、部屋に戻ると外に飛び出し、転がっている草履をはき、

雑草を包丁で切り始めた。


タニアは、ミミミの後を追って、ネロの部屋に入る。

ネロは寝ているようだった。

起こさないように静かに歩き、

外を眺める。


そこにあったのは、午後の柔らかい光を浴びながら、雑草に向かって、

飛んだり、跳ねたり、回転したりしながら、包丁を振り回して、

ニヤニヤしている、ミミミの姿だった。


タニアは………小鬼がいる…と思った。

このシュラには、不思議な生き物がいっぱいいるから、

この子も、その一種だろうと思った。


山に住んでいる小鬼が、ふもとにある村の祭りを山の上で眺めながら、

自分も祭りに参加しているかのように、一人で踊る姿だ……と、勝手に決めた。


タニアは、キッチンに戻り、ワインとチーズを手に、ネロの部屋に戻った。

それをサイドテーブルに置くと、部屋にある椅子を持ってきて腰掛け、

その光景を眺めていた。


どれくらいの時間が経ったかわからないが、ワインを飲みながら、

外を眺めているタニアの耳に、シュッと何かをこする音が聞こえてきた。


音の方を見ると、寝ていたはずのネロが体を起こし、タバコをくわえ、

マッチで火を点けている。


タニアは、ネロのくわえたタバコを見ていた。

お互いに何も言わないままで、煙が音も立てずに部屋に舞い、

ネロのタバコは、ゆっくりと短くなっていく。

タニアは、砂時計の砂がサラサラと音も立てずに、

落ちていくのを見ているような気分で、それを見ていた。


ネロが、タバコをくわえたまま…宙を見つめながら、ボソッとつぶやく。


「逃げないのか?」


タニアは、見張られている……筈だった。


八雲に連れられ、この家を訪れた時、

八雲はミミミに、

「ネロとこの家にいたいなら、この女を見張っておくように…」

と言い残して去っていった。


ネロにタニアの事を説明する時も、確かにミミミはタニアを見張ってる事を伝えていた。


だが、ミミミはタニアを見張った事は一度もなかった。

ネロも同じだった。


タニアとネロが会うのは、このネロの部屋だけだった。

この部屋にも、何度か入っているが、彼が何か話かけてきたのは、

これが最初だった。


タニアは、足をぶらぶらさせながら答えた。


「…だって……誰も見張ってないし…」


タニアには、わかっていた。

ネロとミミミには、私を見張る気なんて、砂つぶほどもない事を。


ネロは、煙を吐き出すと、短くなったタバコを、

ベッドの下に置いてあった空き缶に捨てた。


タバコは、缶の中で、ジュッと小さな音を立てて消えた。

残ったのは、風のない部屋に漂う煙と、かすかなメンソールの匂いだけだった。


「あたしに……逃げて欲しい?」


タニアは下ろしていた足を椅子の上で組み、両手で抱え込んだ。


そのままで、少しの時間が流れた。


ネロはどこを見るでもなく、ずっと宙を眺めている。

その目は、必要な時以外は、例え開いてはいても、この世界は何も映っておらず、

自分の心だけを、常に見つめているような…そんな目だった。


彼の肌は白く、肉体は引き締まっているが、、無数の傷と包帯が覆っている。

無口で少しの愛想もなく、そう若くもない。

長く黒い髪は、艶を持っているが、方々に跳ねている。


タニアは自分の魅力をわかっていたから、

どうしてこの男は、自分に何の興味も示さないのか、

少しだけ、不満だった。

初めて会った時、ゲイではない……という否定もしなかった。


外では、緩い風がときどきゆらす葉のこすれる音と…

遠くで聞こえる鳥の声と、砂を蹴る音、

……ゲヘゲヘと笑う小鬼の声が小さく聞こえている。


タニアは、ネロに何かを言って欲しい訳ではなかった。

ここにいる理由もなかったが、

別に、行きたい場所も、戻りたい場所もなかった。


ただ、もしネロが何かを言った時には、

ネロの望む通りにしようと決めていた。


まるで絵のように止まったまま動かないネロ。


その口元が小さく開き、低い声がこぼれた。


「カレー…作れるか?」


タニアは、一言だけ言って、また止まって絵になったネロを見つめる。

そして、グラスに残っていたワインを飲み干すと、

ゆっくりと腰を上げた。

その時、ネロの顔の近くで、わざと自分の長い髪をスッとかきあげ、

香りをちらした。

自分の体を抱くようにして歩き、食料庫へ向かう。

口元には、なぜか勝手に笑みが浮かんでいた。

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