第2話 生者と死者


 

 それから数分後――


 窓から射し込む夕陽は、優樹が天国で目覚めた時から若干弱まっていた。

 図書館の壁に掛かっている古時計の短針は、六時の方を指している。


 セラは自分にしかできない仕事を片付けるため、優樹と遥の前から去っている。図書館は閉館時刻を過ぎているため、館内には二人以外誰もいない。

 窓から同じ長椅子に座っている優樹と遥の後ろ姿が見える。

 椅子の右端に座っている優樹は目をつぶり、遥から借りた本をゆっくりと閉じる。


「はぁ……」


「どうしたんですか? ため息なんかついて。その本はお気に召しませんでしたか?」


 優樹の隣りに座って本を読んでいた遥は、視線だけ彼の方へと移す。


「いや、この本はすごく面白いんだけどさ……自分が生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのに、落ち着いて本なんか読めないよな~って」


「そうですか……私にはわからない感覚ですね」


 そう言うと、遥は持っていた本の続きを読み始める。

 うつむいていた優樹は、遥の言葉を聞いてそっと彼女の方へと顔を向ける。

 愛想はゼロだが、夕陽に照らされる彼女の横顔はとても可憐で美しかった。


「その……答えづらかったらスルーしてもらいたんだけど……小泉さんも僕と

同じで、生死の境をさまよってる身なの?」


「いえ、私は生まれてすぐに死んでいます。なので、今の私は死者の魂ですね」


 わずかに訪れる沈黙の時。

 言の葉の刃が、優樹の心を静かに切り裂いていく。

 軽率にする質問ではなかったと後悔し、深々と頭を下げる。


「ご……ゴメン、変な質問して……」


「? ああ、気になさらないで下さい。別段、生者の方々を羨ましいとは思って

いませんから」


 遥は優樹を一瞥した後、変わらぬ表情で本を読み進める。

 そこには図書館で騒いだ時のような怒りや憎しみのオーラはない。

 事実、遥は『生』に対する妬みや嫉みを一欠片も持っていなかった。


「私は物心をつく前から死んでいますので、現世の良さとかわからないんです」


「そうなんだ……」


 言葉に詰まる優樹。

 古時計の時を刻む音だけが聞える。

 僅かな静寂の後、遥の口が小さく開く。


「逆に質問なんですが、生きるのって楽しいですか?」


「え?」


 遥は哲学的な質問を優樹に投げかける。

 優樹は天井を見上げ、数秒間考えてから答える。


「そうだねー……辛いことや苦しいことたくさんあるけど、僕は楽しいかな」


「例えばどういうこと、どういう時が楽しいですか?」


「うーん……母さんのご飯を食べる時とか、友達とゲームで遊んだり、カラオケに行ったり……あとは今もやってるけど、読書が楽しいかな。小説はもちろん、漫画も面白いよね。あとは……」


「…………」


 遥は本を読むのをやめ、優樹の話を聞き入っている。

 彼女の視線に気付き、一瞬だけ目が合う。

 上目遣いで見つめる少女の瞳に思わず動揺し、目をそらす。


「な、何かゴメンね、僕ばっかり話しちゃって……」


「いえ、生者の方とお話しする機会ってあまりないので……差し支えなければ、色々と現世のことを聞かせて下さい」


 そう言われ、優樹は昨日まであった様々な出来事を思い出そうとする。

 何を話そう……どうやって面白く話しをまとめよう……

 そんなことを考えている最中、優樹は聞き覚えのない男性の声を耳にする。


「あっはっは! 珍しいな、遥が同年代の男子と喋ってるなんて」


 声のする方を見ると、無精髭を生やした痩せ型の中年男性が、優樹と遥の方へと歩いてくる。

 優樹は立ち上がり、やや警戒しながら男の方へと目を向ける。

 年季の入ったチェックのワイシャツと、ボロボロのジーンズが目に入る。優樹の受けた印象は良く言うとワイルド、悪く言うとだらしない感じの成人男性であった。

 ボサボサの黒い短髪をかきながら、男は屈託のない笑顔で優樹の前に立つ。


「俺は小泉陽介。この図書館の館長をやってる者だ。よろしくな少年!」


「はぁ、よろしくお願いします……館長さん……え? 小泉?」


 陽介と向かい合っていた優樹は、遥の方を見る。

 優樹の疑問に遥は苦々しい顔で渋々答える。


「この陽介というおっさんは、私の育ての親です。なので苗字が同じなんです」


「おいおい、おっさん呼ばわりとはヒデェなー。パパと呼べパパと」


 遥は聞えるように舌打ちをする。

 そして優樹を見て一つの注意を換気する。


「気を付けて下さい。この中年親父はデリカシーのない人間です。迂闊に心を

許し仲良く接すると、必ず痛い目に遭います」


「デリカシーがないだぁ? お前の胸よりはあるわ。ったく、いつまで経ってもその幼児体型と生意気さは変わらぶグフォアッ!!?」


 長椅子から瞬時に立ち上がった遥の正拳突きが、陽介のみぞおちに炸裂する。

 陽介は白目を向け膝から崩れ落ち、そのまま床へと倒れ込む。

 あまりのスピードと衝撃により、優樹は立ち尽くすことしかできなかった。

 床に這いつくばっている陽介を見下し、スカートをなびかせながら遥は反論をする。


「失敬な……年々老け込んでいく陽介と違って、私は常に成長しています。

確かに体型はあまり変わっていませんが、心はもう大人の女性です」


「ぐっ……な、何が心は大人の女性だ……お前チビガキの頃から、いまだに幼稚な

動物柄のパンツ履いてるじゃねぇか……へっ、今日は猫かブシャッ!!?」


 害虫を踏み潰すかのごとく、遥は陽介の頭にトドメの蹴りを穿つ。

 頭部の原形は保っていたが、あまりの衝撃により石床にはヒビが入っていた。


「今出たコイツの言葉は全て忘れて下さい。いいですね?」


「…………はぃ」


 震えの止まらない優樹は、何とかその二文字の言葉を振り絞る。

 初めて見る遥の笑顔は、自分に致命傷を負わせたあの凶人よりも恐ろしいものであった。数分前に本で殴打された時も若干思っていたが、この出来事を機に優樹は確信する。

 

 ”小泉遥は、絶対に怒らせてはいけない人物である” ということを……




 

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