天国図書館

ぽん

第1話 おはよう



『……ん? 何だろうこの柔らかい感触……』


 学生服姿の少年が、深い眠りから目を覚まそうとしている。

 しかし中々起き上がることができない。

 普段使っている固めの枕とは異なり、今日のはやたらとプニプニしていた。

 睡魔により深く考えることができず、寝心地も最高であったため、彼の意識は

再び沈みそうになる。


「おはようございます」


 少女の落ち着いた、それでいて可憐な声が聞こえる。

 少年と顔の距離が近い。


「……え? う、うわっ!?」


 先程までの眠気は瞬時に消滅し、少年は慌てて自ら床へと転げ落ちる。

 少年はなぜか、見知らぬ少女に膝枕をされていたのであった。


「おはようございます」


 再度少女は長椅子に座った状態で淡々と挨拶を交わす。

 冬用のセーラー服を着ており、手には一冊の分厚い本を持っている。

 窓から射し込む柔らかな夕陽が、長く艶やかな黒髪と凛とした大きな瞳を照らしている。


「お、おはよう……あの……キミはどちら様でしょうか?」

 

 自分が眠る前の出来事を全く覚えていない少年は、おそるおそる初対面の少女に尋ねる。


「私は……小泉はるかといいます。この図書館で司書をしています」


「小泉さん……え? 図書館?」

 

 辺りを見回すと、前方には美しい夕焼け空と木々が映る小窓、後方にはたくさんの本棚が立ち並んでおり、本棚には本が隙間なく綺麗に収まっている。


『どこだここは……?』


 少年にはこの古びた図書館に関する記憶が一切なく、いつ来たのかさえわからない。少女に現在地を聞こうと思ったが、それ以上に一つ気になることがあった。


「えっと……それとゴメン、全く身に覚えがないんだけど……何で僕は小泉さんに

膝枕されてたんでしょうか?」

 

 少年が今持っている最大級の謎。

 一体どんな経緯をたどれば、見ず知らずの少女に膝枕をされたまま熟睡という状況ができるのか……全く想像も付かなかった。少女……遥は首を少し傾け返答する。


「さあ? 私にもわかりません。気付いたらそこにいたんです。あまりにも安眠していたので無理に起こすのは悪いと思い、そのまま放置していました」


 そう言うと、遥は何事もなかったかのように持っていた本を読み始める。

 石床に座ったまま呆然とする少年。

 彼はこの不可解な一連の流れを把握することができずにいた。


「お~い遥ちゃん。ダメでしょ、ちゃんと彼に説明しないと~」


 少年の後方から女性の明るい声が聞える。

 振り向くと、ジャージにエプロンとポーチを付けた若い外国人のお姉さんが、

笑顔で二人の方へと歩み寄っていた。


「あ、セラさん……すみません、この本がすごく面白くて……相手をするのが

面倒だったもので、つい」


「仕方のない子ね~。じゃあ私が代わりに」


「はい、お願いします」


 クスクスと笑いながら、セラは倒れている少年に近づく。

 格好はラフだが、透き通るような白い肌とまばゆい碧眼には、隠しきれない

気品が溢れ出ていた。長く美しい金髪をかきあげ、少年に優しく話しかける。


「はじめまして、私はセラっていいます。遥ちゃんと同じで、この図書館の司書をしているの」


 そう言うとセラは倒れたままの少年に手を伸ばす。

 少年は戸惑いながらも彼女の小さな手を取り立ち上がる。


「えっと、その……く、倉田優樹です。東高の一年で、図書委員をやっており

まして……」


 少年……倉田優樹は顔を赤らめ簡潔に自己紹介をする。

 普段会話する女性といえば母親くらいなもの……女性慣れしていない高校生の優樹は、異国の民であろう美女を前にどうしようもなく緊張していた。


「まあ! 高校一年生ってことは遥ちゃんと同い年じゃない! それに図書委員ってことは……本が好きなの?」


「は、はい。一応……」


「フフッ、よかったわね~遥ちゃん、お話しが合うかもしれないわよ♪」


 愛嬌たっぷりのセラは少し離れた遥に小さく手を振る。

 読書中の遥は少し困惑気味に反応する。


「すみません、セラさん……頼んでおいてなんですけど、早く彼に説明の方を」


「そ、そうね。私ったらついうれしくて……あはは~……」


 二人の自然なやり取りを見て、優樹の緊張感は少しだけほぐれる。

 仲の良い彼女たちの関係性にも疑問を持っていたが、今はセラから現状について教えてもらうのが先決だと彼は思った。


 コホン……とセラが一呼吸を置く。

 そしてこれまでの緩やかな表情から一変し、神妙な面持ちで優樹に尋ねる。


「えっと……ねぇ優樹くん……あなたはここに来る前のこと、覚えてる?」


 場の空気が張りつめる。

 真剣な眼差しで見つめるセラに心拍数が上昇する中、優樹はその問に答える。


「いえ、それが全然記憶になくて……気が付いたらこの図書館にいました」


 優樹の答えに対し、セラは腕を組み考え込む。


「ふーむ……たまにあるのよね、このパターン……まぁ人間って精神や肉体に

大きなショックを受けると、前後の記憶が飛ぶものだからね~……」


「え?」


 セラから出た発言の意味がよくわからない優樹。

 何のことか追求しようとしたが、その前にセラがポーチから手鏡を取り出す。


「ねぇ優樹くん……驚くかもしれないけど、自分の顔……というか首の辺りを

見てもらえる?」


「は、はい…………ん? ええっ!?」


 優樹は驚愕する。

 鏡に映ったのは馴染み深いいつもの自分の顔であったが……

 首には大きな切り傷があった。


「あっ! そ、そうだ……」


「思い出した? ここに来る前のこと」


「はい……」


 優樹の顔がみるみるうちに青ざめていく。

 味わったことのない恐怖……思い出したくなかったが……

 自分の首の傷を見て、あの時の……図書館で眠りにつく前の記憶が次々とよみがえる。


「学校の帰り道……僕は誰かに……刃物で首を斬られたんです……」


 優樹は苦悶の表情で首の傷に触れる。

 斬られた瞬間は何が起こったのかわからなかった。首筋からとてつもない激痛が走り、声も出せず血まみれで地面に倒れる……

 最後……目に映ったのは、真っ赤なナイフを持った面識のない中年男性……

 痛みと絶望に包まれながら、優樹の意識は深い闇へと落ちていった。


 惨劇の恐怖が再び脳へと焼き付けられる。

 涙を浮かべ震える優樹に、セラは思わぬ行動に出る。


「うぷっ、え? せ、セラさん、何を……!?」


「なるほど、そんなことが……優樹くん、辛かったわよね~……よしよし……」


 セラは優樹を強く抱きしめ、そのまま優しく頭を撫でる。

 血の気が引き青ざめた彼の顔色は、急激に赤く染まることになる。


「あ、ありがとうございます、セラさん……そ、その……もう大丈夫なので、

離していただけますか?」


「そう? 少しは落ち着いた?」


「は、はい。落ち着いてはないですけど、すごく元気には……」


「?」


 若干息を乱しながら優樹はセラから離れる。遥の膝枕も刺激的であったが、

セラの抱擁はより破壊力があった。興奮冷めやらぬ中、優樹はふと一つの

大きな疑問を思い浮かべる。


「あれ……? だとしたら何で僕は図書館に? 普通病院の中じゃ……」


 そう……優樹は間違いなく瀕死の重傷を負っていた。

 本来であれば、病院のベッドの上でチューブに繋がれた自分がいるはずであった。息子が意識を取り戻し、喜び涙する母の姿もあるはずであった。


 しかし現実はあまりにも奇妙だった。

 致命傷は痕跡を遺すも完全に癒えており、眼前にいるのは家族でも友人でもない女性二人であった。


「ねぇ優樹くん……もう一度驚くかもしれないけど、今度はその鏡で頭の上の方を見てもらえる?」


「は、はい………………あっ」


 鏡に映ったあるもの……

 優樹の頭上には、光輝く輪っかが浮いていた。

 惨劇を思い出した辺りから、もしかしたら……と思っていたが、彼は考えないようにしていた。

 しかし、その実にわかりやすい物体を見て、優樹は自分の現状とこの場所をうっすらと察知する。


「セラさん……あのー……もしかして……」


「うん……ストレートにぶっちゃけるけどね……ここって天国なの」


 数秒間、優樹の時が止まる。

 感情が嵐の前の静けさを迎え、数秒後、優樹の心に豪雨と雷が降り注ぐ。


「え……えええええええええぇええぇえ!!!???」


 閑静な図書館内に魂のこもった叫び声がこだまする。

 あごが外れんばかりに開口する優樹を見て、セラは笑顔をみせつつも内心かなり動揺している。読書に集中していた遥は、優樹の絶叫を聞いて一言つぶやく。


「うるさい……」


 遥の不機嫌な顔と言葉に気付かない優樹。

 彼はセラに一歩近づき、取り乱した状態の中、大声で質問をする。


「えっ!? 天国って……ぼ、ぼぼぼ僕死んじゃったんですか!?」


「ううん、まだよ! まだ大丈夫! ギリ生きてるから!!」


「ギリ!? ギリってどういうことなんですか!!? セラさんちゃんと教えてくダフォアッ!!!」


 突如、優樹の後頭部に分厚い本が振り下ろされる。

 その衝撃によるダメージで、優樹は頭を抑えうずくまる。

 攻撃主の遥は、悶絶する優樹を見下ろしながら鋭い眼光で言い放つ。


「ここは図書館です。静かにして下さい」


 優樹は一瞬言い返しそうになったが、遥から発せられる鬼のようなオーラを見て、小型犬のごとく震え怯える。


「ご、ごめんなさい小泉さん……図書館内では静かにします」


「はい、分かればいいんです」


 涙目で静かに謝罪する優樹を見て、遥の怒りは徐々に鎮まっていく。

 二人の様子を見ていたセラは、まるで躾の厳しい主と飼い犬のようだと思い、苦笑いを浮かべている。

 面倒だったので説明はセラに任せていたが、手にしている本を読み終えたので、遥も優樹の問に答える。


「まぁあれです……簡単に言うと、あなたは今【生死の狭間】にいるんです」


「せ、生死の狭間?」


 ドラマ等で聞いたことのある言葉であったが、優樹はまだ自分の状況を掴むことができない。遥の言葉が足りていなかったため、セラはすかさず補足をする。


「えっとね……本来天国には、死者の魂しか来ることができないんだけど……

稀に瀕死状態である生者の魂も来訪してくるの。今の優樹くんみたいにね」


「そ、そうなんですか……」


 セラの発言はかなり現実離れしていた。

 しかし優樹は彼女の真っ直ぐな瞳を見て、その話しが虚構だとは到底思えなかった。

 生死の狭間……瀕死ながらも自分はまだ生きている……このことは優樹にとって大きな希望となった。

 そして更なる光を求め、彼は質問を続ける。


「その……僕は自分の街に……元の世界に戻ることができるんでしょうか?」


 返答次第では再び絶望の淵へと落とされる重たい問に、遥は無表情のまま軽いトーンで答える。


「はい。現世でのあなたは、今病院で壮大な手術を受けていると思います。その手術が成功し、無事肉体が回復すれば、あなたは再び現世に戻ることができるでしょう」


「はぁ……よかったー、それを聞いて安心したよ……」


 ホッと胸をなでおろし安堵する優樹。

 しかし、すぐさま別の不安が沸き起こる。


「あっ、でも…………逆に死んじゃったら?」


「それはもちろん、この天国に住むことになりますね」

 

 優樹の不安は的中する。

 当然といえば当然なのだが、やはり肉体が滅べば今まで送っていた普通の日常も消えてしまうのだ。

 母親の笑顔も、友人との学校生活も、自分の将来の夢も、何もかも……

 最悪のケースを想像し、悲しみに暮れる優樹を見て遥が声をかける。


「きっと大丈夫ですよ……まぁ生死の判定が出るまで、この図書館で本でも読んで、のんびり過ごして下さい」


 遥がそう言うと、持っていた一冊の本を優樹に渡す。

 心に余裕がなかったため気付かなかったが、その本は現世でも有名な魔法使いが活躍するファンタジー小説だった。

 地の底まで落ち込んでいた優樹であったが、その本を見て思わずテンションと大声を上げてしまう。


「ええっウッソ!? この本、人気が高すぎてどこにも売ってないのに!? 何で小泉さんが持って……ハッ!?」


 優樹は前方から冷たく凶々しいオーラを感じ取る。

 先程と同様、遥の目付きが魔獣のようになっていた。


「図書館では静かに、です」


「はい、すみません、ごめんなさい……」


 優樹はひとしきり謝罪した後、遥の座っていた長椅子にトボトボと歩みを進める。

そんな二人を見て、セラが遥の耳元で一つの忠告をする。


「遥ちゃん……いつものクセなのは知ってるけど……人を注意する度、悪鬼羅刹のごとく睨みつけて怖がらせるのはダメよ? 下手したら遥ちゃんの威圧感で、優樹くんの心臓止まっちゃうからね?」


 いや、そんなバカな……と遥は思っていたが、セラは割りと本気で心配している。


「……わかりました、気を付けます」


「うん、よろしい♪」


 セラは笑顔で遥の頭を優しく撫でる。

 小さなため息を一つついて、遥は別の小説を取りに本棚へと足を運ぶのであった。







 

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