第5話歳月を経て
「どうも初めまして、鈴原健です」
「私は爽子よ」ヘッドホンを外しながら顎を左右に揺らし髪を整えそう爽子は言った。部屋の奥にある窓ガラスが飴色に染まっていた。もう夕方である。窓の上にあるエアコンが冷気を送りその風で左右に押し込められたカーテンがさらさらと揺れていた。
なぜだかその部屋の中は黄金色の壮大な麦穂の畑の中心で微風とともに宙へ流されていくようであった。空には月が黄色く輝いている。そんな場所に。ある種の美が顕在している時間であった。
「とあるバーで彼女とは知り合いまして。先程連絡先を交換し友達になりました」
「そんなことはどうでもいいの。あなた茜子とセックスしたいの?」爽子はそう言い、健は唖然としながらも口を開いた。
「実は恋心を抱いていまして」恐れおののくようにそう言い「というかその質問はどうなの?」ときっぱりと言った。
「まあ、いいわ。今回は許しましょう。してもいいわよ」健はこの女はどこかおかしいと思い始めた。
「変わった人でしょ」茜子はそう言った。「ちょっと嫉妬してるのよ」
「貴方と茜子がセックスして子供が生まれたら私と茜子が育てるから安心して。勿論貴方抜きで」
「どうして僕をここに連れてきたんだい?」健はそう聞いた。
「さっきまでは嬉しそうに是非連れてきて、という感じだったんだけど。どうしちゃったのかしら」茜子はそう言い首を傾げる。
その言葉に爽子は笑いだし「嘘よ冗談よ。仲良くしましょうね鈴原君」と言った。安堵した健は鼻から強めに息を吸い込みそして吐き出した。部屋の中のヒノキの匂いを勢い良く吸い込んで心の内側が晴れやかにコントラバスの弦を奏でた。「でも見た感じあなたなら嫉妬しないからしてもいいのよ。それは本当」爽子は呟くように言い「今夜はどうぞごゆっくり」と言った。その言葉を合図にか部屋は薄暗い光だけになった。夕暮れ時が終わり藍色の模様に外になっていた。「月が出ているわね。今日は満月」爽子はそう言うと「珈琲でもいれましょうか。待ってね」と言いキッチンへ向かった。
爽子がキッチンへ向かうのを待ってから健は「少し疲れてしまったよ。綺麗な人だけど毒がないかい?」と言った。
「そうね猛獣のような人なんだから。ちなみに彼女もバイセクシュアルよ」茜子のその言葉に健は頷く。
二人は丸い机のある床に腰を下ろしてしばらくすると珈琲が湯気を立てて運ばれてきた。
「ありがとうございます」健は言い「ありがとう」と茜子は言った。
「いえいえどういたしまして。もう暗いし明かりを付けないとね」ライトの明かりを付けると白色の光が部屋中に満ちた。そしてカーテンを締めて爽子は戻ってくると同じく机の側の床に腰を下ろした。僕の左斜めが茜子、僕の右斜めが爽子だった。健は珈琲に口をつけるとモカの味がした。香りは強く思わず踊りだすほどに美味しかった。
「美味しいですね。絶品です」健はそう言った。夏のエアコンが利いた涼しい場所で飲むホットコーヒーは格別であった。三人はそれを共有しあい穏やかな時間が続いた。爽子がおちょくるように健に話、それを茜子がなだめ、そんな風に会話が盛り上がり、外は真っ暗闇に変わった。真っ暗闇といっても外は黄色の満月が照らしていて微光があった。
「料理はカップ麺しかないけど良い?今丁度食材を切らしているのよ。カップ麺も期限が切れてなければいいのだけど」爽子はそう言った。
「いえ、なんでもいいですよ。ご馳走になります」と健は言った。
「ごめんね。今度来る時はちゃんと料理を作るから。私結構作るの上手いのよ。カレーとかハンバーグとかオムライスとか。でも爽子はからっきしでね・・・」と茜子は言った。
「いいじゃないちょうど貴女が得意なんだから、私が出来なくても。じゃあ作ってくるわね」爽子はそう言い、空になったコーヒーカップをお盆に乗せキッチンへと向かった。
「ふぅ、お腹空いたなあ。どんなカップ麺なんだろう」健は心底お腹が減ったようにそう言うと両手を床につき体を斜め向きにヨガのように伸ばした。
「そうね、そういえば何のカップ麺買ったかしら」茜子も同じような体勢を取ると二人は猫のように伸びをした。何かしら思い出しているような面持ちである。
「味噌ラーメンがちょうど3つあったわ。今からお湯入れるわね」キッチンからそう声がした。
健は味噌ラーメンの味を思い出し口中につばが出てきた。ほんのり酸味のある味噌の味それから麺の歯ごたえのある食感。そんな思考が健の頭に広がっていた。
その最中おもむろに健は「君のお家は良い部屋だね。とても過ごしやすい。ヒノキの匂いもあるし、素敵な女性が二人もいる。ささやかな楽園というものを二人は作っている。秘密の花園と言ったところだね」と言った。
「そうね、時々寂しく思う気持ちもたしかにあるけど、幸せね。多分にではなくほどほどに」茜子はそう言うと歳月を経た笑い方をした。その笑顔は彼女の人生という軌跡を経て作られるようになった笑顔だ、そう健は思った。この瞬間更に健は茜子に深く恋をした。彼女のことをもっと知りたくなった。
その時月光がその黄色の光を強く発したように思えた。僅かながらであるが健はそれに気付いた。茜子は目を閉じ鼻歌を歌っていた。数瞬おかしさに戸惑い健は窓辺に近づいた。
カーテンを開ける前に「さあお湯沸かしてカップ麺に熱湯を注いできたわ」と爽子が戻ってきたため、カーテンは空けずに元の座っていた場所に戻った。
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