第42話

 剣道部はいまだ隆輝と成美の2人という事もあり、それほどの稽古が出来ないまま、時間が過ぎていく。

 更に2人ともブランクがあるとは言え、実力では隆輝が勝っている為、自然と成美に合わせたレベルでの稽古になっていた。


「悪いわね。私がもう少し上手ければ飛沢君の稽古にもなるのに」


「まあ、俺はまた剣道がやれるようになっただけでもありがたいし、そんな事は気にするな」


「その点なら、任せなさい!」


 その声に2人は振り返ると、いつの間にか香織が道場の入り口に立っていた。


「飛沢には、私が稽古をつけてあげるから」


 そう言うと香織は足早に更衣室に入っていき、しばらくすると白の道着に防具を付け、面と竹刀をそれぞれ手にして現れる。


「さ、まずは一戦やるわよ」


 やる気満々な香織とは裏腹に、隆輝は急な展開に呆気にとられる。


「あ、もしかして、私の実力ではお気に召さないのかしらね」


「い、いや、そういう訳では」


「じゃあ、早く準備しなさい」


 香織はそう言いながら面を被り隆輝に赤のタスキを渡すと、その場を離れ境界線の内側に立つ。隆輝も慌てて準備を済ませると香織と反対側の境界線内に立ち、呼吸を落ち着かせる。


「細川、審判頼むわ。まあ、あなたに一任するけど、あくまで稽古の一環だから気負わなくても良いわよ」


「わ、わかりました」


 香織の言うとおり稽古の一環とはいえ、成美も試合前の緊張感にあてられている様子で審判の立ち位置に立つ。

 隆輝と香織は互いに礼をして、3歩で開始線に向かうと、その場で蹲踞そんきょの姿勢をとる。


「始め!」


 成美の声で2人は立ち上がると、互いに竹刀の先を動かしながら相手を見据える。そしてその状態でしばらく時間が過ぎていくが、隆輝は意を決して先に仕掛けた。


 隆輝は気合とともに竹刀を繰り出すが、香織はそれを簡単に捌いていく。その際香織が小さく「ふふっ」と笑い声をあげると、隆輝は香織を見るが、その時垣間見えた表情は不敵に笑っており、隆輝は思わず眉間にしわを寄せ歯を食いしばる。


「めええええんっ!」


 隆輝は気合とともに竹刀を面に振り下ろすが、それすら簡単にいなされ、逆に隆輝の身体は制御出来ずに泳いでしまう。

 そして慌てて体勢を立て直そうと向き直るが、次の瞬間には香織の竹刀が頭上に迫っていた。


「めええん!」


 香織の鋭い一撃が振り下ろされると、隆輝は防御出来ずに面に香織の竹刀を受け、その衝撃は面を通じて身体全体に伝わって来る程であった。

 その光景を目の当たりにした成美は、自らの頭上に勢いよく白旗を掲げる。


「面あり、一本!」


「本当、飛沢は頭に血が上りやすいわね。そういうところは直していかないと、今後損するわよ」


 香織は呆れた様子を見せるが、隆輝は何も言わず自分を落ち着かせる為に大きく息を吐くと、香織に向き直り竹刀を構える。


「お願いします!」


 隆輝の真剣な表情に、香織もそれに応えるべく竹刀を構えた。


 その夜、食堂の机で突っ伏している隆輝を見かけたアイリと晶は、心配そうに近付く。


「大丈夫?」


「何とか」 


 アイリの問いかけに答えるも、隆輝はそのままの姿勢で動こうとしなかった。


「何があったのですか?」


 隆輝は晶の問いに、香織に何度も挑みかかるも全く歯が立たず、最終的にその体力を使い果たしてしまった事を伝える。

 結局、隆輝は一本も取る事が出来なかったが、久々に自分よりレベルの高い人間と稽古が出来た事で精神的には充実していた。


「先輩って、そっちの人だったんですね」


「そっちの人って?」


 晶の予想に反し、アイリが食いつくと、晶は思わず困惑した表情を浮かべる。


「あの、いじめられて喜ぶタイプの人です」


「そうなんだ」


「そうなんだ。じゃない!」


 隆輝は相変わらず突っ伏したまま対応すると、それがアイリには笑いのツボにハマったらしく、アイリは腹を抱えて笑い出す始末であった。


「それにしても、三田村先生はそんなに強いのですね」


「ああ、晶は残念だったな」


「まあ、そうですね」


 その声はどこか寂しげで、隆輝は思わず身体を起こして晶を見る。


「どうしました?」


「いや、何かあったのかと思って」


「無いですよ。何も」


「本当に何も無い?」


 ようやく笑い終えたアイリも、心配そうな表情で晶を見る。


「もう2人とも、心配しなくても平気ですって、私を信用して下さい」


 晶の勢いに、隆輝もアイリもそれ以上の追及を続ける事は出来なかった。


「あ、そろそろ訓練の準備しないと」


 アイリの言葉通り、気が付けば時刻は訓練開始時刻の30分を切っていた。


「先輩は大丈夫ですか?」


「無理なら今日は休めば?」


 隆輝は女子2人に心配されて悪い気はしなかったが、同時にこれ以上無様なところを見せるのもと思い、意を決して立ち上がる。


「大丈夫だって、この位」


 そう言ってその場で2人を安心させるも、その後の訓練で無理した結果、隆輝の身体は限界に達し、翌日はベットから起き上がる事も出来ず、結局眞澄のマッサージの世話になるのであった。 

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