第38話

 シミュレーターによる訓練後、スタッフの聞き取りを終えた隆輝は、更衣室に戻ろうと歩き出す。


「っと、なんだ?」


 そんな声を出したのは、自分の意に反して、まっすぐに歩く事が出来なくなっていたからであったが、同時に、視界が揺れているような違和感を覚え、思わず立ち止まる。


「どうしたのですか?」


 その様子に気付いた晶を筆頭に、アイリと晋一も何事かと隆輝に近付く。


「何か、ふらついている」


 隆輝の言葉に、3人は一様に心配そうな表情を見せる。


「疲れているのかな?」


「まあ、何気に環境が変わったりしたからな」


 アイリと晋一の言葉に思い当たる節はあるものの、疲労しているという自覚がない隆輝は思わず考え込んでいると、眞澄が4人の様子に気付く。


「飛沢君は、TVゲームとかやるのかしら?」


「いえ、やる機会が無かったので」


 その言葉を聞いた眞澄は、安心した様に笑みを浮かべる。


「恐らく、酔ったのよ」


「酔う?」


「VR酔いという現象よ。慣れないと起こる可能性が高いから」


 その言葉に隆輝は他の3人を見回す。


「みんなは大丈夫なのか?」


 隆輝の問いかけに3人は静かに頷くと、隆輝の表情は曇る。


「別に自分だけが酔ったからって悲観する事はないわ。その内におさまるでしょうし、それに慣れれば改善されるはずだから」


 眞澄の説明を聞いて、隆輝は自分を納得させようと試みるが、そう簡単にはいかない様子であった。


「おーい、飛沢」


 そのタイミングで香織に呼ばれ、隆輝だけではなく皆の視線が香織に集中する。


「どうしたの? 暗い顔して」


 香織は隆輝の様子に心配そうな素振りを見せる。それは訓練中の厳しい態度とは異なり、口調も含め寮や学校にいる時のものであった。


「だ、大丈夫です。それより何かあったんですか?」


 隆輝の問いかけに対し、香織は満面の笑みを浮かべる。


「喜べ! 連絡があって、剣道場の引渡しが終わったから、明日から使えるわよ」


「マジすか!」


 隆輝は酔っている事も忘れ、思わずガッツポーズを取るが、やはり身体の踏ん張りがきかず、少しばかりふらつき周りを慌てさせるが、すぐに踏みとどまった。


「喜ぶのは早いわよ」


 そう言う香織は、先ほどまでとは違い、浮かない表情を浮かべている。


「何かあるんですか?」


「部員よ」


「部員?」


 隆輝の反応に、香織の表情は途端に険しくなる。


「東城、現時点でのサッカー部の新入部員は?」


「確か、14人だったかな。その内マネージャーが2人だけど」


「一ノ瀬、ラクロス部は?」


「今の所、9人です」


「と、昨日の今日でこうなのよ。まあ、もともと推薦組もいるけど、昨日の今日でこれだから、まだ増えるハズだし」


「ちなみに剣道部は?」


 隆輝の問いに香織は笑顔を浮かべる。


「聞いて驚きなさい。なんと0よ」


「ああ」


 隆輝は納得したように呟くが、香織は隆輝の反応に表情を強張らせる。


「ああ。じゃないわよ。言っておくけど、部員が少なければ予算は少ないままで、大会とかも出られないわよ」


「ま、まあ、これから巻き返しますから」


「まさか昨日の新歓の結果が、こうなるとは思わなかったわ」


「私は良かったと思ったんだけどな」


 笑顔でそう言ったアイリに、隆輝と香織の視線が集中する。


「アイリ、剣道部入るか?」


「そうね、上手くラクロス部と掛け持てば、アイリならいけるんじゃあ」


「えっ?」


「アイリが入れば、部員は一気に」


 隆輝はそこで何かを考える素振りを見せ、急に晋一に向き直る。


「そうだ、晋一も名前だけでも貸してくれないか、それならさらに部員が」


「飛沢、ナイスアイデアだ」


 香織は、隆輝に向かって笑顔で親指を上げる。


「お、俺もか」


 アイリも晋一も笑顔を崩さないものの、その様子は明らかに困惑していたが、2人の前に晶が割って入る。


「もう、何言ってるんですか2人とも、アイリ先輩も東城先輩も、しっかり断らないとダメですよ」


「ま、まあ、もちろん冗談だ」


 晶の気勢の前に、隆輝はそう答えるが、晶は厳しい表情は変わらない。


「先輩、目が本気でしたよ」


「そんな事ないだろ、ねえ香織さん」


 そう振られた香織は一瞬焦るものの、すぐに何かを思い出す。


「あ、そうそう、桂木も好きな時に剣道場使って良いから」


「ありがとうございます」


 香織と晶のやり取りに、隆輝は不思議そうな表情を見せる。


「知っての通り、桂木は古武術をやっていたでしょ」


「そうでしたね」


「体術とかは柔道場や、ここのトレーニング場で出来ますけど、槍とかは流石に厳しいので」


「晶は槍が得意なのか?」


「はい、槍術そうじゅつ長刀なぎなたよりも好きです」


 晶は珍しく活き活きとした表情を見せる。


「今度見せてもらっても良いかな」


「私で良ければ喜んで」


 アイリのリクエストに、晶は少し照れ臭そうに答えた。


「ところで、飛沢君?」


 眞澄の問いかけに隆輝は彼女を見ると、彼女はまじまじとこちらを見つめている。


「どうかしましたか?」


「いや、酔いは治まったかしら?」


 その言葉に隆輝は、軽くその周りを歩いてみるが、先程の様にふらつく事はもちろん、身体の違和感は何も感じなくなっていた。


「大丈夫みたいです」


「ね、言ったでしょ。その内治まるって」


 隆輝は、その言葉に悲観的になった自分を気恥しく思い、照れ笑いを浮かべた。

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