第37話


 翌日から1年生も通常通りの時間割となり、クラブ未所属の晶と剣道場が使えない隆輝は、夜の訓練までの時間を持て余している。


 それぞれ自室で学校の課題を終えると、食堂でテレビを眺めているが、隆輝は昨年までバイトと勉強に時間をとられていたおかげでテレビを見る暇がなく、晶は晶で厳格な祖父の方針で自宅にテレビがなかった事から、2人ともテレビの中の流行に疎く、結局はニュースを眺めているだけとなっていた。


 やがてアイリと晋一が帰宅すると、いつもの様に4人で夕食をとり、食後の休憩を挟んで訓練の時間を迎える。


「今日は、この間の戦闘データーを基にしたシミュレーターを使用するわよ」


 香織の言葉に、シミュレーターなる聞いた事がない単語が出て来た為、隆輝と晶は理解出来ずにお互いに顔を見合し、すぐに先輩にあたるアイリと晋一の表情を窺うが、予想に反して2人とも要領を得ていないように見えた。


「シミュレーターは、実際にスーツを着て訓練を行う事で起こる、あなた達への負担を軽減するのと、訓練と同日に出撃となった場合に生じる、スーツの使用時間を減らさない事を目的として開発していたけど、今日から試験的に導入が決まったものよ」


 真澄は呆れた表情で香織を見ながら4人に伝えると、香織の表情は途端に硬くなる。


「この様子だと、皆がシミュレーターの事を聞いたのは、これが初めての様ね」


 隆輝達は戸惑いつつも、香織に遠慮するように小さく頷く。


「この件については、私から宮部副司令に報告を入れておきます」


「ちょ、ちょっと、それは」


 眞澄の言葉に香織は思いのほか取り乱し、眞澄にしがみつく。


「全く、あなたはいつもこういう事をないがしろにして」


「ちょっと忘れていただけよ」


「あの」


 香織と眞澄のやり取りに、アイリが口を挟むと、その場にいる人間の視線がアイリに集中する。


「そ、それで、私達は何を」


 その言葉に、香織も眞澄も我に返り4人に向き直る。


「さっき試験的な導入といったのは、実際にあなた達に使用してもらい、その情報をフィードバックする事で、シミュレーターの完成度を上げるのが目的よ」


「つまり、私達がシミュレーターで訓練を行う事が、シミュレーターのテストも兼ねているという事ですか?」


「そういう事ね」


「理解出来ました」


 アイリが笑顔でそう答えると、眞澄も笑顔を見せた。


 4人は眞澄にスーツを渡され、それに着替えるように促される。それは明らかにBFSスーツとは異なるものであったが、BFSスーツを着用する時とは違い、下着は付けていても構わないと言われると、何故か4人とも安心したような表情を見せる。


 その後、着替え終えた4人と香織は、眞澄に連れられて部屋を移動する。その部屋は普段使用している演習場よりは狭く、壁面は緩衝材で覆われており、また天井からは数本のワイヤーがぶら下がっていた。

 そして、それ以外には目立ったものはなく、4人にはこの部屋で何が行われるのか想像すら出来ない状況であった。


 そして4人が緊張した面持ちで立ち尽くしていると、その室内に数人のスタッフが入って来る。


「じゃあ、セッティングお願い」


 眞澄の声と共に、スタッフ達は4人の背後に回ると、天井から吊るされたワイヤーを手早く背中に装着していく。

 4人はされるがままにその状況を受け入れていると、次にヘルメットを渡されるが、見た目の形状や色、そして手にした時の重さといい、戦闘時に使用するヘルメットと同じように見えたが、よく見ると質感が明らかに異なっていた。


「まあ、色々と説明するよりも、実際に始めてみた方が早いわね」


 その言葉に4人はヘルメットを装着するが、予想に反して視界は真っ暗で、何も見えない。


「始めるわよ」


 眞澄の声がしてしばらくすると、目の前が明るくなるが、目の前に見える景色は先程までいた部屋ではなく、どこかの街中であった。

 隆輝は辺りを見回すと、見ている景色が違和感なく変化し、その中には他のメンバーたちの姿も見られ、自分と同じように辺りを見回しているが、アイリだけはこちらに気付くと無邪気に手を振り出す。

 隆輝は半ば呆れながらも手を振り返しつつ、試しに目の前にある建物に近づくと、その壁に触れる。


「え?」


 隆輝は驚いて思わず手を引っ込めるが、改めて壁に手を伸ばすと、手には壁の質感が伝わっており、思わず首を傾げる。

 自分がいた部屋の壁は緩衝材で覆われており、少なくともこんな感触はしないはずなのにと、考えれば考えるほど混乱しそうになった。


「どうしたの?」


 隆輝の様子に気が付いたアイリが近付くと、隆輝は壁を指さす。


「触ってみろよ」


 隆輝の言葉に従いアイリは壁に手を伸ばすと、隆輝と同じように瞬間的に手を引っ込めた。


「なっ」


「なんでだろう?」


 そう言ってアイリは、先程の隆輝と同じように首を傾げ考え込む。


「言葉は知っていると思うけど、このシミュレーターはヴァーチャル・リアルティー技術を利用して、ヘルメットには視覚と聴覚と嗅覚を、そしてスーツには触覚を疑似体験させる機能が備わっているわ」


 更に眞澄の話では、少しでも実物の装着感に近づける為にヘルメットとスーツの寸法から重量まで同じものにしたらしい。

 もちろんスーツにはBFSスーツの機能はないが、触覚の疑似体験以外に筋力や心拍数、そして身体にかかる負荷なども計測され、それらをシミュレーターに反映させるとの事であった。


 困惑する隆輝とアイリに向けて眞澄はそう説明するが、それを聞いた晋一と晶も、視界に入るものに触れて、その感触に驚きの声を上げた。


「まさか、こんなリアルに感じるなんて思わなかったな」


「不思議ですね」


「実際にこれを使って、戦闘を再現するのだけど、流石に今日はこれに慣れる意味でも、軽めにやりましょうか」


 香織の言葉が終わると同時に目の前は暗くなり、4人は促されヘルメットを脱ぐと、スタッフが再度現れ、4人に小銃とナイフ、そして閃光弾を手渡し、4人は出撃時と同じように装備していく。それらの武器は明らかに模造品だが、やはり手に持った感触や重量感は、実際の物と変わる事はなかった。


「まあ、一応皆がBFSスーツを着ている時の感覚を参考に作っている物だから、誤差はないと思うけど」


「違和感ありません」


 眞澄の言葉にアイリが答えると、他の3人もしっかりと頷く。


「じゃあ、もう一度シミュレーターを起動させるから、ヘルメットを被って」


 4人がヘルメットを被ると、再び先ほどの街中に戻るが、気が付くと手にしている武器は、戦闘で使う物と変わらない物になっており、それが視覚の疑似体験によるものだと気付くまで、多少の時間を要した。


「試しに、武器を使ってみる?」


 その言葉に、隆輝は目の前の壁に向かって小銃を構えるが、NMの姿が無い事から、単なる破壊行為をしている様な気がして一瞬躊躇するが、気持ちを落ち着かせる為に息を吐くと、小銃の引き金を引いた。

 途端に銃声が鳴り響き、目の前の壁が見る見るうちに破壊されていくが、その光景も、手や腕に伝わってくる反動もリアルなもので、それが疑似体験だとは思えなかった。


「すげえ」


 隆輝が思わずそう漏らすと、眞澄も笑みを浮かべる。


 その後、1メートル以下級のNM8体を街に放し、それをせん滅する訓練を開始すると、そこで天井から吊るされているワイヤーが、BFSスーツの運動性能の内、跳躍力を再現する為の物である事が判明した。

 それにより4人は、仮想空間とは言え、文字通り街中を縦横無尽に街中を行動する。


「今日はここまで」


 やがて香織の合図とともに訓練が終了すると、4人はスタッフの手を借りてワイヤーや装備を外していくと同時に、シミュレーターに関する聞き取りを行っていた。


「これは使えそうかしら?」


 眞澄は4人を見ながら、香織にそう問いかける。


「今までやってきた事だって、対NMの想定訓練だから、新しい事だからって否定から入る事はしないわ」


「そう言ってくれると思ってたわ」


「ところで、眞澄」


 香織の表情は神妙なものに変わり、眞澄も何事かと聞き入る。


「さっきの副指令への報告の件なんだけど」


「今回は見逃してあげるわ」


 溜息交じりに言った眞澄の言葉に、香織の表情は途端に明るくなった。

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