第19話

 晶と晋一は食事を終え、自分達が使った食器を洗い終えると、しばらく食堂で時間を潰していたが、やがて香織と眞澄が食堂に戻って来て、2人のいるテーブルに向かう。


「先輩は大丈夫なんですか?」


「大丈夫よ。もう少ししたら降りてくるわ」


「一ノ瀬悪い。朝食お願いするわ」


「はい」


 アイリと晶が2人に食事を運んでいると、隆輝もぎこちない足取りで食堂に現れた。


「おはよう隆輝」


「おはよう」


「今準備するね」


「ああ、悪いな」


 隆輝はそう言って調理室に向かい、アイリから食事を受け取るとアイリとテーブルに着く。


「先輩、何か良い匂いがしますね」


 晶は隆輝に近付くと、隆輝から僅かに発せられるオイルの匂いを嗅ぐ。


「あ、ああ、まあ」


 思わず隆輝は顔を強張らせる。


「どうしたのですか?」


「いや、それより晶は大丈夫だったんだな」


「私は先輩と違って、抑えましたから」


「そ、そうだったな」


「今度、桂木さんにもやってあげるわ」


 眞澄の言葉に晶は不思議そうな表情を浮かべ隆輝を見るが、隆輝は手にした箸を空中で止めたまま何も言わずにいる。


「先輩?」


「とても気持ち良い事よ。ねえ飛沢君」


「あ、ははは」


 2人のやり取りに晶は違和感を覚えるが、同時にアイリも晋一もその事には触れようとしない事に違和感は不安感に変わった。


「わ、私は大丈夫です」


 晶は笑顔でそう口にしたつもりであったが、その表情は誰が見ても引きつったものであった。


 動ける様になったとはいえ、いつもより苦労しながら食事を終えた隆輝が洗い場で食器を洗っていると、アイリも調理器具を洗い出す。

 隆輝もそれを手伝うが、その手際の良さにアイリは驚きつつも喜びの笑顔を浮かべる。


「慣れているんだね」


「まあ、家でもやっていたし、伯父さんのお店でバイトしていたからな」


「お店?」


「ああ、中華料理屋をやっていて、高校に入ってから、そこで働かせてもらっていたから」


「そうなんだ。じゃあ料理も出来るの?」


「材料切ったりする程度で、調理までは教わらなかったな。どちらかと言えば専門は洗い場と出前だったし」


「それは残念、作れるなら教えてもらおうと思ったのに」


「悪いな。伯父さんは調理は自分の仕事だし、お前は将来別の道に行くんだから、そんな事覚える必要はない。って教えてくれなかったな」


 隆輝の言葉に、アイリは優しく微笑む。


「良い伯父さんだね」


「ああ、世話になったよ」


「でも、中華料理か」


 アイリは真剣な表情で悩み始める。


「中華は作れないのか?」


「うん、レシピ見てチャレンジした事はあるけど、いまひとつだったわ。私の場合、人から直接教えてもらった方が身に付くみたい」


「じゃあ、今までのは誰かに教わったのか?」


「最初は家の料理を作ってくれてる料理長に教わって色々覚えたけど、あとは家族で良く行っていたレストランやホテルの料理長からもアドバイスを貰って覚えたかな」


 その言葉に隆輝は難しい顔をして、首を傾ける。


「どうしたの隆輝?」


「いや、何となく聞いてはいたけど、アイリって物凄いお嬢様だったのか」


 隆輝の言葉にアイリは困惑の表情を浮かべる。


「まあ、そうなるのかな」


「でもお嬢様なら、自分で料理を作る必要なんかないだろ」


 その言葉にアイリは突然笑い出すが、隆輝は意味が分からないままアイリを見ていた。


「ごめんなさい。実は私もどうして料理を作るのが好きになったのか、覚えてなかったんだけど、この間お母さんに理由を聞かされて」


「理由って?」


「お母さんの話では、私がまだ小さかった時に、お父さんの料理にソースを振ってあげたら、お父さんが「アイリがソースを掛けてくれたから、料理が更に美味しくなった」って言ってくれたの」


「いいお父さんじゃないか」


 アイリは続きを話そうとするが、堪え切れず噴き出すの口で抑える。


「大丈夫か?」


 隆輝の問いかけにアイリは頷き、深呼吸をする。


「でもね、小さい時の私はそれが余程嬉しかったみたいで、次の食事の時も、その次の食事の時も、ソースを掛けなくていい料理の時にも、それをやり出して、お父さんは顔を引きつらせながらお礼を言っていたって」


 隆輝もその光景を思い描いて、思わず笑ってしまう。


「それで、見かねたお母さんが。料理を勉強する事を私に提案したみたい」


「アイリって、昔から素直だったんだな」


 その言葉にアイリは照れ笑いを浮かべる。


「まあ、それで俺達もお嬢様の料理にありつける訳だから」


「隆輝」


 アイリの強い口調に隆輝は彼女を見ると、アイリから先程までの笑顔が消えていた。


「その、友達にお嬢様と言われるのは、嫌だから止めて」


 正直アイリが怒る事を予想していなかった隆輝は顔から血の気が引く思いをした。


「わ、悪い、ちょっと調子に乗っただけで、悪気はないから」


「う、うん、分かってるけど。私も感情的になってごめんなさい」


 アイリも謝るものの、2人の間には気まずい空気が流れる。


「も、もし今度言ったら、今後は隆輝の食事は作らないから」


 どこかぎこちない笑顔で隆輝を見るアイリに、隆輝はわざとらしく困った表情を見せる。


「それは困る。アイリの美味い料理が食べられないなんて、ガーディアンにいる意味もなくなるじゃないか」


 隆輝のワザとらしく大げさな物言いに、アイリは笑いを堪え切れず口元を押さえる。


「何よそれ」


「だよな」


 2人はお互いに顔を見合わせて笑った。

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