第5話

 それから1ヶ月は、引越しや転校の手続きで慌しい日々が過ぎ、気が付けば隆輝が生まれ育った街を去る日が翌日に迫っていた。


 隆輝は美月と共に母親の病室にいたが、一通り家族の会話を終えると京子は隆輝と2人の時間を望んだ為、美月は待合室に移動する。


「準備は終わったの?」


「まあ、大して荷物も無いから」


 母親が入院して以来、2人きりで話すという事があまりなくなっていた事から、隆輝はどこか気恥ずかしさを感じ、落ち着かないでいた。


「まさか、隆輝がNMと戦う事になるなんてね」


「怒ってる?」


「怒っているように見える?」


 京子はそこで優しく微笑む。


「怒っては無いけど、親だから当然心配はしてるわ」


「ごめん」


「それに私がこんな状態ではなかったら、こうはならなかったのかな。とは思っているし」


「そんな事は無いよ」


「そうかもね」


 京子は更に笑顔を浮かべるが、隆輝にとっては何もかも見透かされている気がして思わず視線を外す。


「隆輝」


「何?」


「3つの事を約束して」


「どういった事を?」


「1つは、危なくなったら必ず逃げる事」


「ああ」


「あなたは頭に血が上ると見境がなくなる事があるから、無茶しない様にするのよ」


 隆輝は京子の言葉に心当たりがありすぎて動揺を見せる。


「わ、分かったよ」


「もう1つは、お父さんの仇をとろうだなんて思わない事」


 それを聞いた隆輝は、何故か身体が硬直する事に気が付く。


「最後は、あなた自身が幸せになる事を考える」


 その言葉に、隆輝はどう答えて良いか分からず困惑した。


「彼女でも見つけて、私に紹介しなさい。という事よ」


 京子は悪戯っぽく笑うが、隆輝はあからさまに嫌な表情を見せる。


「いや、今はそういうの興味ないから」


「大事な事よ」


 京子の笑顔に、隆輝も苦笑するしかなかった。


「じゃあ、行くよ」


「待って」


「何かある?」


「近くに来て、顔を見せて」


 言われるがまま隆輝は、京子の傍に移動すると、京子の手が隆輝の頭を撫ぜる。


「隆輝は私に似ていると思ってたけど、やっぱりお父さんにも似てきたわね」


 その言葉に隆輝は照れ臭くなり、思わず顔をしかめる。


「隆輝は私達の息子で、私達は隆輝の親だから、それだけは何があっても変わらないのよ」


「分かってる」


 隆輝の言葉に京子の手は頭から離れ、その肩をポンと叩いた。


「元気でね」


「母さんも、無理だけはしないでくれよ」


「そうするわ」


 京子は病室を後にする隆輝の背中を見送り、隆輝が出て行った後もしばらくその扉を見つめていた。


 その夜は志野倉家の道場で隆輝の送別会が開かれ、隆輝は美月と共に、友人や道場の仲間達と共に楽しい時間を過ごしていた。


 隆輝自身は1年近く道場から足が遠のいている事もあり、話を聞いた時点で遠慮しようとしたが、朝海の両親に押し切られ会の開催に至っていた。


「朝海、こっちはいいからお前も参加しておいで」


 朝海は母親共々料理や配膳を担当していたが、一通り料理が出揃った辺りで母親に促される。


「いいよ別に」


「最後まで不貞腐ふてくされているつもり?」


 母親の言葉通り、朝海は隆輝から東京行きの意思を聞かされると、態度を硬化させ、それ以来まともに会話すらしない状況に陥っていた。


「まあ、幼い頃から、いるのが当たり前だったから、置いていかれるっていう、あなたの気持ちも分からなくもないけど」


「べ、別にそんなんじゃあ」


「じゃあ、東京に行ったら他の女の子に」


「行ってきます」


 朝海は母親の言葉を遮る様にその場から離れると、食事とっている隆輝の隣に座る。


「朝海、悪いな手間かけさせて」


「別に」


 朝海は憮然と表情で答える。


「まだ怒っているのか?」


「怒ってない」


「そうか」


 隆輝は敢えて納得した様な態度を見せると、朝海は余計に憮然とした表情を見せる。


「怒ってるわよ。何の相談も無しに、突然東京に行くなんて聞かされたんだから」


「だよな」


 そう言って隆輝は笑みを浮かべるが、それを見た朝海は唇を尖らせ隆輝を睨む。


「だよな、って」


「俺自身、自分の決断の速さに驚いている位だから」


 笑顔で答える隆輝に朝海は呆れてしまい、怒っている自分に対しても馬鹿らしくなる。


「まあ、隆輝にとっては良い事ずくめだって言うのは、理解してるけどさ」


 その言葉からだけではなく、朝海の表情からも釈然としていない様子が窺えた。


「羨ましいのか?」


「違うわよ。馬鹿!」


「じゃあ何だよ」


 声を荒げる朝海とは対照的に、隆輝は落ち着いた口調を保つ。


「もう、良いわよ」 


 朝海はそう言って大きくため息を吐いた。


「何か、少し前までただの馬鹿だったのに」


「失礼だな」


「背だって、昔は私の方が高かったのに」


「いつの話だよ」


「少なくとも中学に上がるまでは、私の方が上だったじゃない」


「そうだったな。剣道だってその頃までは全く歯が立たなかったしな」


「本当、勝手に成長しないでよ」


 朝海はそう呟くと、再びため息を吐いて押し黙り、その様子に隆輝はかえって笑みがこぼれる。


「勝手な事ついでで悪いけど、家の事頼むな」


「分かってるわよ」


 その後2人の時間は会話の無いまま過ぎていき、やがて隆輝の送別会はお開きとなった。


 皆が帰った道場で隆輝は朝海の母親が止めるのも聞かず、朝海と共に片付けを手伝っていると、突然のサイレンが鳴り響き、驚きのあまり身体をビクつかせる。


「NM出現警報発令。付近の住民の皆さんは、建物から外に出ない様にして下さい。また外にいる人は、速やかに近くの避難所に移動して下さい。なお今後の状況によっては避難勧告が発令される地区もありますので注意して下さい」 


 放送は数回繰り返され、サイレンと共に緊張を煽るが、朝海は携帯を取り出すと詳しい情報を得る為に操作する。


「良かった。ここからは結構離れているみたい」


 その言葉に隆輝は窓を開けて外の様子を探ると、遠くから砲撃の音がしたと思ったら、すぐに夜の闇を飛行する戦闘機の爆音が通過していき、やがて爆発音が鳴り響いた。


 しばらく闇夜の中、閃光とそれに伴う砲撃音が続いたが、やがて静まりかえると警報解除の放送が流れる。


 何事もなく終わり朝海は胸を撫ぜ下ろすが、不意に見た隆輝の表情は今まで見た事が無い程緊張感に満ちており、朝海は言いようの無い不安を覚える。


「隆輝?」


 朝海の心配そうな表情に気が付いた隆輝は、ことさら笑顔を浮かべる。


「どうした?」


「どうした。って」


 朝海は続く言葉が浮かばず口篭る。


「ううん、もういい」


「そうか」


「ねえ、隆輝」


 朝海は相変わらず心配そうな表情で隆輝を見ている。


「どうしたんだよ、そんな顔して」


 隆輝は朝海の頭に手を乗せると、朝海は少し照れ臭そうな表情を見せる。


「馬鹿」


「なんだよ、それ」


「隆輝、危険な事だけはしないでね」


 朝海の言葉に隆輝は内心驚きつつも、それを悟られない様に笑顔を保つ事を心がけつつ静かに口を開いた。


「心配ないさ」

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