第二章 ツギハギ(64)
昼の刻を過ぎた京の町。雪の降らぬ日、風の冷たさが衰える日、町は本来の賑やかさを取り戻す。
人の日常は見えないものに左右されている。その片鱗を経験した沖田は妖物なるものの存在を気に留めながら、数名の隊士を引き連れ京の町を巡察していた。
あんなことがあったせいなのか。
あんなことがあったおかげなのか。
彼の胸の片隅に巣くっていた黒い蛇のような感情は、鎌首をひょっこり剥き出したまま冬眠をしている。飼った生き物が蛇である以上、易々と追い出せるものではない。それが肥え太るまで、隠し隠しに育ててきたのであれば尚更である。
沖田は空を仰いだ。眩しくもどこか重みのある日差し。彼はそれが平等な代物だとは、今も思えはしない。
全てが暴き出される太陽の真下。平等である装いを見せる強い光。僅かばかりに心持ちが変わっても、それらが苦手なことは相違ない。
目を細め天と向き合う沖田の側を、仲睦まじ気な姉弟がすれ違っていく。
並んで歩く二人の影は、ぐずる声をきっかけに一つの影となる。
嫌な光だ。
寝返りをうつ黒い蛇が目覚めぬよう、沖田は何か気をそらせるものを探す。
近藤がいれば。
土方がいれば。
広い器で自身を満たしてくれる優しい者も、からかって怒らせ甲斐のある者も、今日は一緒ではない。
屯所に戻ったら、真っ先に近藤の部屋に向かおう。
いや……その前に……。
鬼の側をうろつく下手な総髪の姿が脳裏にちらついた。
さとりの一件以降、彼が遊び相手に加えた女。
がさつで不器用ながら深奥を照らす月のような者。
近藤に気に入られている点は、今でも気に入らないが、その気持ちに以前のような刺々しさは見られない。
先に、あの人に相手をしてもらおう。そうなると、土方の部屋に行くことになるか。
訪ねた時に見せるであろう、鬼のうんざりした顔が沖田の目に浮かぶ。
足取りの軽くなった沖田は気付かぬうちに顔を綻ばせた。弛んだ彼の口からは幾度か咳が漏れる。
屯所に戻るまでは、率いる隊士に軽口でもたたいて退屈をしのごう。
そう考える沖田の目に少女の姿が映った。
土手の傾斜に腰を下ろす少女は、遊ぶ相手がいないのか、退屈そうに川へ顔を向けている。
気に入った大人でない限り、子供の方が気楽でいられる沖田の足は、自然とそちらへ進み出す。
「何してるんですか。」
彼の見せ慣れた笑顔が、自然な微笑みの上に上塗りされる。
人当たりの良い温和な青年の顔に、少女の肩から力が抜けていく。
「……皆に置いて行かれたの……。」
伏し目がちに答えた少女に、沖田は幼い自分の姿を重ね見た。自分自身にも覚えのある出来事に、「そっか。」と彼は小さく返し、隣に腰を下ろす。
どんな理由で置いて行かれたのか、自分と少女の訳は異なるのかも知れない。
躾を越えた厳しさの中にあった幼い沖田は、極希に外で遊ぶことを許されても、人との距離が分からず上手く遊ぶことをも知らずにいた。そのせいで、気付けば誰も彼を遊びの輪に入れてくれなくなっていたことを思い出す。
でも……。
原因は周りだけでなく自分自身にもあったことを、彼は気付いている。気付いてはいるが、そんな白い気持ちは大きすぎる大蛇の前に何の力もなさない。
姉の目を離れた後に、勝手気ままに振る舞い、抑圧された自由を曲がった形で吐き出したこともある。
沖田の周囲から同年代の童や、彼に世話を焼いてくれるはずの使用人達が距離を取っていった大きな要因はそこにあった。
隣の少女を見るが、大人しそうに、今にも泣き出しそうに三角に折り曲げた膝の頭に視線を落としている。
きっと、彼女の心に大蛇や、ましてや天邪鬼など住んではいないだろう。
沖田は足下の石を川面に投げた。
近藤は水切りが上手だ。土方も、原田も、永倉も。皆、上手に出来るが、彼はそれが下手だった。
今投げた石も、一度も水面を跳ねず水底にその身を沈めていく。
何度やっても上手くできない。今更、できるようにはならないのかもしれない。
沖田は後ろに控えた隊士達に笑みを向け、先に行くように促すと、彼らは頭を軽く下げ背中を見せた。
「昔話は好きですか。」
膝に乗せた腕に顎を乗せた少女は、分かるように頭を縦に振る。
「じゃぁ、一つだけ。
私の好きな話をしてあげます。
世の中の人は、この話を怖いというのですが、私はそうは思えないのです。
子供の頃からずっと。
もし、聞いたことのある話だとしても、聞いてくれますか。」
少女はすぐに頷いた。隣に並ぶ幼い子の真似をするように、沖田も立てた膝に腕と顎を乗せる。
「それは良かった。
この話を誰かにしたかったところなんです、実は。
つい最近、その話にでてくる人とそっくりに思える人に出会ったから……。」
体勢を変えないまま片手を懐に入れると、懐紙に包まれた石が取り出される。
少女に気がつかれないように腕の中で失笑した彼は、ゆっくりと語り始めた。
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