第二章 ツギハギ(63)
信念という真っ直ぐな道を刀一つで歩いて行くことを抱えてきた彼は、女に疎くあった。
それは面が二枚目でないことが原因ではない。当然、歩けば女が孕むと囃される土方に劣りはするが、彼にも言い寄る芸妓や密かに想いを膨らませる女子もいるにはいた。
ただ、見てくれがそれなりであろうと、立派な志を持ち得ていようと、それを知り得るまでに、斎藤の相手をしきれる者はおらず、皆見当違いと、その場をいそいそ後にする。
本人は呆れられる理由など露程度にしか理解しておらず、女子など話しの分からぬ世迷い品だと考えていた。
それであるから試衛館にいた頃、土方や永倉、原田などが女を引っかけて競い合っている様を、彼は呆れながら見送っていた。
それは今でも変わらない。
土方は政があってからか、京に来てからは自ら遊びに繰り出す姿は見なくなった。
しかし、相も変わらず永倉や原田、それ以外の男達も京女に会えると、浮き足立ちながら意気揚々と夜の都にくり出していく。
その楽しさが分からない斎藤であったが、ここ最近は女子と話すのも悪くないと思えるようになった。
誰とでも楽しめる、という訳ではないが、少なくともかまどの前に立つ女は特別だ。
小さく広くがさつな背。
崇拝する土方の小姓という座を奪った男に扮する女らしからぬ女。
自身の言葉に耳を傾けてくれる女らしき女。
そんな鈴音とここで過ごすこの時は、気付けば心を期待させるものとなっている。
かつては勝手場に足を運ぶことすら気重だったはず。
他の者が言う女との楽しみなど、彼は未だに理解できていない。それでも、斎藤は十分に楽しくあった。
人とは違う得意な左の手。それをそっと胸に添えてみる。
初めての動きを見せていた心の臓。気付いてしまうと、どこか苦しくもあるが嫌な気になることはない。
熱く己の魂を、同じ道を歩む友に語るときとも違う鼓動の高鳴り。
良いものだな、女子と親しくなるというのは。
同士に受け入れられる心地とは似て非なる感覚は、おくるみに包まれる絶対的な安心感に近かった。
女子からしか感じられぬ心地よさもあるのか。
良いものだ、と斎藤が揺れる総髪を眺めていると、それはこちらを振り返る。
「おい。」
不機嫌そうな顔の鈴音。
「……どうした。」
何もしていない斎藤は、彼女の気に障ることをしていない自信に満ちていた。
「ぼさっとすんなよ。
さったと米を炊かなきゃ間に合わねぇだろ。」
しなければいけないことを、記憶から取りこぼしていた斎藤の手が急ぐことを思い出す。
「すまぬ。」
夕餉の刻限が迫っているのを、格子窓越しに把握した斎藤は、米に水を張りかまどにかける。
あと少しでも遅ければ間に合わないところであった。
一仕事を必要以上に急いて仕上げた彼は、額の汗を拭いながら、隣で混ぜられる味噌汁を見つめ、そうして思い出す。
「……あっ。」
米に水を張りすぎていたことを。
「早くまた斎藤の当番にならねぇかな。」
「ずっと当番なら良いのになぁ。」
名残惜しげな声を背に、鈴音は広間を後にする。
今日は二度も食事を摂らなければいけなかった。そのことが彼女に気鬱さを感じさせるが、それは断固拒否するほど嫌なものにも思えなかった。
やけに澄んだ濃淡の空は、軽々と世界を包んでいる。
「鈴音様。」
横に並ぶ静代が抑えきれない笑みをこちらへ向けては、顔を袖で隠したり開いたり。
「……。
用もないのに呼ぶなよな。
あとそれもやめろ。
でんでん虫じゃあるまいし。」
敢えて視線を反らしたまま、鈴音はぶっきらぼうに返すが、反って意味のない行いであった。静代の、にんまりとする顔に歯止めがなくなる。
「貴方様がご自分から昼餉をとられたうえに、私以外の方とそれをなさったなんんて……。
こんなに嬉しいことはございませんよ。
さとりも退治でき、貴方様もまともに過ごされ、あぁ、素敵な日ですこと。
……あ、でも、私を差し置いて昼餉に行かれたことは、恨めしく思っておりますから。」
「どっちなんだよ。」
我がままな自由が愛らしい侍女に、すかさず合いの手をいれる。
「だいたいお前、葛葉と紅を買いに行ってんだから、声なんかかけられるわけねぇじゃねぇか。」
「そうそう、今人気のささ紅を買いに行ったのですが、並びに並んだすえ、ようやく手に入れることができました。
あとで鈴音様にも塗ってさしあげますね。
勿論、私が一番最初にさしますが。」
返事の代わりに失笑した鈴音は、迫る気配に足を止め振り返る。
「どうされました。」
「いや……。」
こちらに近づく足音。
聞き慣れた音だ。
ただ、その主が何の用事でこちらに来ているのか、思い当たる節がない。
鈴音は廊下に広がる闇に夜目を凝らしながら相手を待つ。静代が二度目の催促をするより前に、暗がりからその輪郭が朧気に現れる。
「何だよ。」
意表を突かれたような顔つきを見せた土方は、足を止める。
妖物について、何かあるのだろうか。
叱責を受けることの心当たりもなければ、今の彼の気配から怒りも感じ取れない。
鈴音は、何となく土方の手元に目をやる。
「……お前、畑にでも行ってたのか。」
土方はぶら下げるように青葉を握り大根を提げている。
いつもより長い間の後、彼は鈴音に大根を突き出した。
「ほらよ。」
何がほらなのか。
全くもって理解はできない。
だが、突きつけられたものへ瞬発的に手を伸ばしてしまう鈴音。
彼女は訳も分からぬままに大根を受け取る。
「……何だよ、これ。」
「大根だ。」
当然の答えに、鈴音はぐうの音も出ないが冷静に考えると、自身がそういうことを聞きたかったわけでもないことに気がつく。
「いや、そうじゃなくてだな……。」
少し語気を強めてやろうかと思うが、相手はいたって真剣な面持ちであるため、何故かこちらが気弱になってしまう。
返答にあぐねている鈴音をよそに、土方はくるりと背を向け元来た道を戻っていく。
廊下にある闇夜の境に足がかかった時、その端正な顔がこちらへ向けられる。
黒によく映える色白の面が、鈴音と向かい合う。
「たくあんにすると良い。
間違えるな、たくあんだ。」
土方の口端が得意げに歪むと、暗闇に吸い込まれるように彼は去っていく。
残された鈴音は、足音が夜に溶けきるのを待ってから、静代を見つめる。
「なぁ、何だこれ。」
それと知れたものを侍女に軽く突き出す。
「大根にございますね。」
「いや、んなことは分かってんだけど……。」
似た流れを先ほども体感したばかりの鈴音は、突き出していた腕をだらりと下ろす。
「鈴音様、行きましょうよ。
私、早く紅を試してみたいのですよ、もぅ。」
大根を渡された意味を探る鈴音の足は、いつまでもその場から動こうとしない。静代はその腕を引くことにした。
引かれたままに動き出す体を、等間隔に並ぶ少ない灯火を頼りに導く静代。
歩きながら振り返ると、主人の顔は心なしか険しい。
まだ考えていらっしゃる……。
こういう時には、いつだって勘の冴えない主人に笑みを溢しながら前を向く。
橙の灯りが滲む廊下の闇を、静代は掻き分けどんどん進む。
愛しい主人には、目明かしのための手掛かりが入り用だろう。
「鬼と呼ばれる副長殿が、屯所(この)中で起こっていることを知らないはずがない、ということにございますよ。
目玉が節穴なお方には、当然見えませんから。」
「……この中で起こってること……。」
「まぁ、とても平たく平たく、薄く平たくして言えば、その大根をたくあんにして食わせろ、ということにございます。」
いかにも面倒くさそうな鈴声が真後ろで上がる。
「私も、早く食べとうございますね。
たくあん。
出来たら一番始めに味見させて下さいね。」
「何であたいが……。」
澄んだ冬の空から、今日は白い欠片が落ちることはないのだろう。
今日どころか、しばらくは降らず、このまま季節が変わる。
空を見上げていると、静代は何となくそんな気分になった。
近づいてくる春の足音を聞き、役割後退のために、冬は静かに眠り始めたのもしれない。
冬は冬で良いが、春もまた春で良い。
だが、彼女にとって季節などは関係ない。
鈴音という主人の傍らで過ごせるのなら、どんな日々であろうと構わない。
掴む腕をゆっくり滑り落ちていく静代の手。握る部分が広くなった場所で、掌にその広いものが合わさってくる。
刀を握り、重いものを運ぶことを知るその手はお姫様の手とはほど遠い。
それでも、静代からすればその手は紛うことなきお姫様の手である。
強く握れば、同じ力で応えてくれる優しい手。
こうしていれば、冬の寒さも夜明け前の暗さも乗り越えられる。
屯所内に宛がわれた二人の部屋が見えてくる。
灯りは消したはずであったが、障子にははっきりと影が映って見えていた。それが曲者でないことは、静代にでも分かる。
近づくほどに聞き慣れた覇王と葛葉の声が耳に伝わってきた。
こっそり忍んできたのだろう。
「ねぇ、鈴音様。」
「ん。」
「今日は賑やかな夜になりそうですよ。」
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