第二章 ツギハギ(62)

 賽の目にされた食材が並ぶ。



 またやってしまった。



 彼は四角の食材を陰った瞳に端から映しながら立ち尽くす。

 切ってしまったものはどうにもならない。それは食材だけでなく、人も変わらない。


 刃物が通れば、通った証ができてしまう。 斎藤は肩を落とした。買い直す金はない。あったとしても、それは明日の食材の扶持である。今日のために明日の金を使えば、明日が足りなくなる。明日のために明後日の金を使えば明明後日。明明後日のためにと考え出すと切りがなかった。



 いや、切りならある。



 最後は最後の日に払う金がなくなるだけだ。使えば補填しなければならない。余分に使える扶持など、この新選組にありはしないのだ。


 切りすぎてしまううっかりを治すことのできない斎藤は感傷的に食材を見つめていると、聞き慣れない足音が勝手場に向かってくる。



 走っているのだろう。



 乱暴な音だった。粗忽な男所帯では日常茶飯事の音。

 だが斎藤は小首を傾げる。



 軽い。



 乱暴な足音には軽さがあった。それほど体が重くない者が走っているのか。



 筋肉も軽い……。



 だんっだんっだんっだんっ。


 勝手場の入り口に、鈴音が飛び出してきた。


 肩が息をしている鈴音は、飛び込むように勢いを持ったまま中に入ってくる。



「間に合ったか。」



 斎藤は格子窓から外を見た。日が地面に潜ろうと、その身を落としてきている。



 わざわざ急いで来てくれたのだろうか。



 本来はせずとも良いことなのに。



 鈴音は賽の目になった食材を見ている。



「またこんなに小さくしたもんだよ。

毎回毎回、よくやんな、お前。

ま、んなこといいや。

早くしようぜ。」



 火の起こされているかまどを確認すると、鈴音は味噌汁を煮るための準備を始める。手際の良い姿に見とれていると、手を止めることなく彼女は言う。



「ぼやっとすんなよ。

米なら炊けるようになっただろ。

水の量、気をつけろよ。」



「……はっ……。

わ……分かった。」



 一向に手慣れぬ斎藤は一つずつ指差し確認を取りながら、米を炊く準備を整えていく。 手を止めないよう気をつけながら、鈴音を盗み見ると、鍋にころころ具材を転がし入れている。

 斎藤が切った野菜達が、どんどん鍋に雪崩れていく。



「何も言わぬのか。」



 手元を見れば、おかずのために切った真四角の小さな具材が盛られたままだ。



「何を。」



 鈴音は手を止めた。味噌汁にいれるべき大まかな具材を鍋が吸い込み終えたからだ。


 まだまだ小さな泡を浮かべない水面を見つめていたが、斎藤から返事が返ってこないことが気にかかり、視線を動かす。


 盛られた具材をじっと見つめたままの斎藤がいる。

 彼はこだわりに神経を磨り減らす癖がある。勝手場で調理を共にする中で、二番目に知ったことだ。



 何かあるのだろうか。



 鈴音は斎藤の隣に並ぶ。

 同じ位置から具材を見るが、何が普段と違うのか見当もつかない。



「いつもと一緒じゃねぇか。」



「……。

違う。

そうではない。

寸分の狂いがあるはずもない、俺の腕に。

賽の目の大きさ、形は皆均等に仕上げている。」



 均等に切られた葉物野菜。


 鈴音は一つまみ手に取って眺めてみる。

 斎藤の言う通り、確かにほぼ寸法も形も変わらない。



 刃物の扱いに、それほどの腕もあるのだろう。刀は使いこなせて、何故料理になると駄目なのか。



 鈴音は鼻から肺の空気を出し切るように息をつき、そのまま野菜を戻す。



「叱責されるものと思っていた。」



 野菜を眺めている間、ずっとこちらを見ていたのだろうか。

 顔を上げるとすぐに斎藤と目が触れ合う。



「何を。」



 鍋を見るために鈴音はかまどの前に戻る。

鍋を覗き込むと水面に小さな気泡が浮かんでいた。底からふわりと上昇すると、細かな泡は集い群れを成していく。


 味噌を準備しようと食台を向くと、斎藤と視線が交差する。



「何だよ。」



 未だに無言の視線が送られていたことに、鈴音は不愉快そうな眉根で味噌を手に取る。日頃から会話の歯切れの悪い男ではあるが、今日はいつにも増して間が長い。

 鍋に味噌を落とす前に、何となく鈴音はもう一度斎藤を向いてみる。


 外れて欲しい八卦が当たった時のような感情が芽生えた。



「さっきから何なんだ。

早く米炊けよ。」



 微動だにしない視線に向かい、鈴音は手を動かす。見られてばかりいるのも癪なため、彼女も視線を送り返す。目を反らせないため手に握った杓の重みだけで、掬った味噌の量を量っていると、賽の目侍がその眼を切られた野菜に向ける。



「結局、正しく切ることはままならないまま、俺の調理当番は今日で終わっていく。」



 色の白い大きな手が、賽の目を一つ手に摘まむ。



 名残惜しく思うのは、何故か。



「そうか。

なら、しばらくは手伝わなくて済むんだな。」



 しばらく、との響きに、はっとする斎藤。



「またしてくれるのか。

……また、手伝ってくれるのか、当番の時は。」



 一拍の後、鈴音の口が自然と開かれる。



「手伝ってくれるのか、もなにも、お前、どうせまだ何もできねぇじゃねぇか。」



 あっけらんかとした物言いに斎藤の目は、大きくなる。



「あ、ただし、ちゃんと自分でできるようになれよ。

前も言ったけど。」



 鍋の相手に戻りかけた鈴音は、思い出した言葉を付け加え背を向ける。



 女子の背は華奢なものばかりと思っていたが、広く見える背もあるのだな。



 斎藤は人知れず口端を緩める。


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