第二章 ツギハギ(61)



「……。」



 物言わぬ大きな男に見つめられ近藤は困り果てる。鈴音に何か仰ごうかと口を開きかけたとき、相手が先手を取ってきた。



「……。

お前は良い奴だった。

だから教えてやる。


……。


女がきた。

さとりに笛を渡した。


女だ。


人ではないが人の成りをした……女だ。」



 大男は鈴音に一睨みを残すと、先を行った女の背を追って姿を消した。



「あれは一体……。」



「山男と山女だ。

さとりという妖怪を自分の子のようにして可愛がったりすることがある。

今のは多分それだ。」



 近藤は見えなくなった二人の背を思った。


 何故、激昂したのかも今なら確かな理由で分かる。それを察すると彼の心はちりっと焼けたような感じがした。



「二人とも大したことのねぇ連中なのか。」



 何の姿も見えない門構えに土方は腕を組む。



「山男はさとりと変わらない。

むしろ、あっちの方が害は少ない。


でも、山女は違う。


あれに微笑みかけられた人間は死ぬ。」



 舌打ちを漏らす土方の横で、近藤は血の気が引くのを感じた。先刻の怒髪天貫く勢いも随分と恐ろしく思えたが、見たのが怒りの姿で良かったと、彼は胸を撫で下ろす。



「子を想う心は同じだというのになぁ。」



「同情なんかしてっと、良くない物を抱え込むことになんぞ。」



 唐突に低い声が耳を通過する。

 猫背気味の背を飛び跳ねさせ、顔を上げると覇王が立っていた。



「どっから現れやがった。」



 二本の深い深い皺を額に寄せた土方を、覇王は小馬鹿にしたように笑う。



「変幻自在なんだよ、覇王様は。」



「本当、役に立たないな。」



「お前がいれば俺はいらねぇじゃねぇか、鈴音。」



 古ぼけた着物の肩に腕を回そうとするが、身を交わされた手が空を切る。



「つれねぇなぁ。

静代は。」



「お前の葛葉と出掛けた。

新しい紅が売り出されるとかで買いに行くってよ。」



 鈴音が足下の笛の欠片を拾い始めると、近藤は沖田の手を借りて腰を上げる。



「あの、覇王さん。」



 にこにこする沖田が、覇王を呼ぶ。



「お、やっぱ笛壊したら元に戻んだな。

俺の密かな読み通り。

で、なんだ。」



 どこか自慢げな笑みを見せる覇王。



「近藤さんのこの傷、どうにかなりませんか。さっき鈴音さんのおかげでここまでなりましたが、腕の傷が気になります。

早く治して欲しいのですが。」



「術ってのは、そんな万能じゃねぇんだよ。前も言わなかったか。

何でもかんでも出来る訳じゃねぇの。

傷も怪我も治せねぇのよ、緩和さすくらいしかな。

もうそれ以上は無理だ。

あとは時の流れに任せな。

見てる限りそう深い傷じゃない、すぐに治るさ。」



 沖田は笑顔だ。


 だが、その瞳の奥は笑っていない。不服さや疑心の色が見え隠れしている。その色を見た覇王の鼻がなる。



「それか……ま。」



「おい、覇王。」



 その場に漂う空気が、竹を割るように鈴音によって裂かれた。冷たい瞳が覇王を捉えている。事の終わりにきた覇王を見る時も、そんな眼差しでは見ていなかった。

 彼は肩を竦めると、頭の後ろで手を組んだ。



「分ぁってるよ。

怖い顔すんなって。」



 ひょうひょうとする覇王が顔を上げると、それにつられて他の三人も空を仰ぐ。


 天気だというのに雪が降りてきた。


 鈴音は目の前を過ぎる雪を眺める気力もなかった。


 覇王が口にしようとしたのは禁術。世に出回ってはいけない術。それが知れたからといって、誰も彼もができるものではない。術者であっても限られた一部の実力者しか使えぬものである。


 だからあの時、覇王が口にするのを止める必要まではなかった。



 ただ……。



 鈴音は近藤に添う沖田の背を見つめる。



 彼が知れば是が非でも術を成そうとするかもしれない。



 術の根底は人の強い想い。

 それには美も醜もない。その強さだけが重要なのだ。

 どんなことでも知るに超すことはないのであろうが、それはそれを知り得る者にもよる。


 鈴音は手に握る笛の欠片を胸元に仕舞う。



「そうだ、今から降るのなら皆で昼餉を食いに行くのはどうだろう。

元より今日は総司のためにと、隊務もあらかた終わらせているしな。」



「私のために使うのなら、私と二人で行きましょうよ、近藤さん。」



「お前と二人も楽しいが今日はこんなに人が揃っているんだし、皆で行こうではないか。な、トシ。」



 土方は口を開かず、覇王に険しい表情を送っている。飯屋に行っても、お前とは行きたくない。

 そんな言葉が顔に貼り付けられている。



「……。

あたいは良い。

戻っとくよ。」



「それはだめです。」



「はぁっ。」



 鈴音が沖田を見ても笑みを浮かべているだけである。先ほど覇王に向けられた色味は瞳に巣くってはいない。



「鈴音さんは一緒に行くんです。

本音は近藤さんと二人が良いですが、貴方なら特別に入れてあげます。

それに土方さんがいたんじゃ、ご飯が美味しく食べられそうにないので。」



「あたいが居たって変わらねぇよ。」



 否定の言葉が入るだろうと踏んでいた土方は、何とも言えない顔を鈴音へ向ける。



「おい、が、って何だ。

否定しやがれ。」



「ちょ、ちょ、ちょっと待て。

もう、どうしてすぐこうなるのだか。」



 近藤の肩が息を吐く。



「まず、総司とトシは確定だろ。

で、覇王君はどうだ。」



 収束がつかなくなる前に、近藤はその場を取り仕切っていく。



「男ばっかで呑んで、何が楽しいんだか。」



 辟易した顔で覇王が首を横に振る。



「芸者は……。」



 んんっ、と近藤が唸る。胸に手を当て着物越しに銭の感触を確かめるが、とても芸者を呼べそうにはない。見栄を張って呼んでも精々一人と、見るからにひもじい飯。


 そんな光景が頭に浮かぶ。



「近藤さん。

あの人は今回……。

今回も何もしていません。

近藤さんがどうしても芸者を呼びたいなら、私のお給金で呼びますが、あの人のお願いなら聞く必要はありませんよ。」



「何なんだよ。

じゃ、俺が出すよ。」



「いや、それは……。」



 手を借りてる立場として、それはどうなのだろうかと、近藤は再び唸る。



「細かいこと気にすんなって。

俺はお前らみたく貧乏じゃねぇんで、小さいことは言わねぇ。

お前らの食い扶持も全部払ってやるさ。」



 顎が外れんばかりに大口を開けて覇王は高笑う。



「だから来なくて良いですって。」



 冷たい沖田の言葉も覇王には届かない。一人悦に入っている。



「じゃぁ、今回はお言葉に甘えようか、な。」



 多様な顔つきを見渡すが、どれも不思議と感情が滲み出ており、手に取るように心の内が見えた。


 近藤は苦笑すると、少し距離のあった鈴音に歩み寄る。



「鈴音さん、来てくれないか。」



 鈴音は首を横に振る。


 後ろを返ると、沖田と土方、覇王が小競り合いを始めていた。

 またか。

 たった数歩分、目を離しただけで、何故こうなるのだろうか。賑やかで悪いことではないのだが……。


 沖田の表情は変わりないが、その場のやりとりを楽しんでいることは肌で感じる。  


「あいつが俺以外を自分から飯に招くなんてないことなんだ。

駄目だろうか、もう少しだけ我が儘に付き合ってもらうのは……。」



 人と変わらず食事を楽しめたなら、首を縦に振ったのだろう。

 鈴音の瞳に影が差す。

 そもそも、端から断りもしなかったはずだ。


 匂いはしても味がしない。


 それをさも美味かのように振る舞い食べる苦痛。


 温度も感じ取れない鈴音は、静代抜きで食事を取ることも難しかった。手に持った茶碗の中身が熱いのか冷めているのか。


 分からぬまま口にすれば、後に喉を火傷する。それも人以上に怪我に弱い体となっている彼女にとっては、少々の火傷も大けがと同じ痛みと回復を伴う。


 容易に首を縦に振り切れない。


 鈴音は黙ったまま何も言えなくなった。



「鈴音。」



 ふいに覇王が呼ぶ。

 口端を片方吊り上げた笑みを浮かべている。



「俺が行くんだ。

大船に乗ったつもりでこいよ。」



 当てにならない船である。右に左に浸水が始まってもおかしくないような頼りない船である。


 そんなことは重々過ぎるほど承知している。


 肌に染みこんだ事実である。

 

 鈴音はわざとらしく鼻で息をついた。



「あんまし乗っかかりたくないけどな。」



 整う顔がくしゃりと笑んでも絵になった。



「ほら、行こうぜ。

俺様が奢るんだ。

みんな、俺様に続けよ。」



 片手を突き上げ、覇王は意気揚々と歩き出す。



「有り難う、鈴音さん。

さ、行こうじゃないか。

な、総司。」



 近藤の背に土方が続くと、鈴音も足を動かし出す。殿は沖田となった。


 楽しげに鈴音に声をかける近藤。



 やはり鈴音は気に食わない。



 合間に割り入ろうと駆け出す足が何かを踏んだ。


 沖田はそれを拾う。


 手中に取り上げられた石。


 見慣れた石である。既視感からの心地良さを石から感じ指で蓋をするように握る。


 前方を見れば下手くそに結われた総髪が群れから一歩引いた位置を歩いていた。

 さとりの術にかかってからの全てを覚えている訳ではない。薄い衣に蒔かれた断片的な記憶が脳の海を漂っている。鮮明に拾えぬ過去の貝殻であるが、それに耳を傾ければ朧気な感情が蘇ってくる。



 鈴音は気にくわない。



 以前と変わらぬ気持ちである。だが、その変わらぬ心の中で疼く想いがつぼみを成している。



 あの華奢な腕が近藤と同じ温かさだと知ってしまったから。



 近藤と違う柔らかな胸に包まれる安心感を知ってしまったから。



 構われたい、あのがさつな優しさに。



 沖田は拾い上げた石を胸元に仕舞う。


 ひび割れた心の奥のその溝に添ってぬるま湯が満ちてくる。

 濡れ羽色の髪が左右に揺れる横に、沖田は小走りに並ぶ。


 鈴音はこちらを向こうともしない。


 沖田はつまらなかった。

 そこで彼は肩が強く触れあうように歩き出すと、しかめられた顔がこちらを向く。



「もっと向こう歩けよ。」



 青年は何も答えず、屯所の誰よりも細い腕に自身の腕を巻き付けた。



「おいっ。」



 腕を引き抜こうと身を捩らせるが、絡んだ腕は離れない。沖田の腕が蛇に見える。



「おぉ、良かったなぁ総司。」



 姉上みたいな人ができて。

 そんな言葉を出せば、沖田は本来の姉を思い出すのだろう。

 近藤は口を閉ざし、派手者な成りの後頭部を追うことに専念する。



「お前、記憶が残ってんのか。」



 身を引き気味の鈴音が問いかける。



「残念ながら、何となくです。

はっきりとは思い返せません。」



 記憶は霞でも、抱いた感情は焼き付くものか。

 小首を傾げる鈴音の耳元に、沖田の唇が近づく。



「でも、覚えてますよ。

貴方が食事を全部ぐちゃぐちゃに混ぜて食べてたことは。」



 鈴音は青ざめた。



「静代さんに知れたら……困るんですよね。」



 しがみつかれた腕が強く引かれる。抵抗することをその場に置き去った鈴音は、抵抗せずされるがまま歩み続けた。







 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る