第二章 ツギハギ(60)

 やってきた不信の相手は半裸で毛深い男が腰巻きだけの大男に、波のようにうねった髪を地面に引きずる女であった。


 大男は瓦のような形の顔に、突き出た下顎からは長く婉曲な牙が天に向かって伸ばされている。


 一方で女の方は布を垂らした編み笠を目深に被っているため、顔つきを見ることはできない。


 まだまだ妖物に不慣れな男達でも、そこに来たモノ達が人ではないことを察することができた。

 頼みの鈴音は何も言わず、彼らから視線も反らしはしない。

 さとりのわめく声だけが境内に響いている。粛然とした空気の中、大男が口を開く。



「……返して欲しい。」



 その言葉に泣き崩れるように女が大男にしなだれかかる。



「断る。」



 鈴音は間髪入れず冷たく言い放つ。



「お頼みします。

その子を返して下さい。」



 使い慣れない言葉なのか、大男はたどたどしい言葉付きである。



「無理だ。」



 情など一切ない。


 鈴音はそんな言い方であった。彼女はさとりに突きつけた刀を、乾燥した皮膚に食い込ませていく。



「待ってくれっ。」



 大男が一歩踏み出すと、鈴音は勢いよく首筋に刀を突く。


 刃先数ミリが首の中に入り込む。


 恨めしそうな目で大男が、再び距離を離すと、鈴音も刀を引いた。



「さとりが悪いんじゃない。

そんなこと、あんたの力があれば分かるだろう。」



「分かっていたらなんだ。」



 土方は鈴音の背を見つめる。華奢な背が地獄を背負っている、そんな風に映った。そこに落ちるために抱える業の痛みを、彼は知っている。だが、目の前の彼女はそれ以上に何か深い場所に潜んでいる。


 土方は腹と肝の底が冷えた気がした。



「答えろよ。

分かっていたらなんだ。

そそのかされたから仕方ないとでも良いたいのか。

こいつは何人も人を食ってる。

こっちとそっちの境界を乱すくらいにな。」 


 大男も嗚咽を漏らす女も何も発しなくなる。



「世の中を騒がせすぎた妖物が、人の世に踏み込みすぎた妖物が、どうなってきたかなんて、お前たちでも知ってるだろ。」



 名のある有名な妖物達。

 その中でも人の世で悪行を働き過ぎたモノは決まって封印されるか、その身を消滅させられてきた。多くは知られてはいないが、それがこの世の習わしであったからだ。


 術の使える僅かな者立ちが密かに乱れを沈める。そうすることでこの世と怪異との世の均衡を保つ。暗黙の了解として、一分の者達が成してきた。



「反省してるなら、許してやってはどうだろうか。」



 青ざめた顔の近藤が、沖田に支えられながら無音になった臨戦の輪に入り込む。



「近藤さん。」



 沖田の言葉を避けるように、その支えから身を乗り出す。



「このさとりとは、幼いのだろう。」



 鈴音を仰ぎ見るが、彼女は近藤と目も合わせることなく、無口のまま大男達を視界に捕らえている。



「……そうだ。

人の子で言えば、七つを超えていない。」



 呻くように大男が答えると、近藤は頷く素振りを見せる。



「七つにもならない子なら、人の子だって間違いを犯すものだ。

どうだろう鈴音さん、特別覆せない法度もないのなら、今回は見逃してやらないか。

当然、本人が反省してくれているのであればだが……。」



「……だとさ……。

どうすんだ。」



 鈴音は、さとりには問いかけず大男達に声を向ける。

 さとりには反省や罪の概念、思考するといった知能、頭の働きがそもそもありはしないのだ。

 尋ねたところで無意味である。



「……管理する。

さとりが人里に出ないよう、俺達で管理する。」



「五十年。

五十年は人里に出すな。

当然、住処からもだ。」



「山のな……。」



「駄目だ。」



 大男には言葉を発することを許さない勢いで鈴音は続ける。



「山にも出すな。

岩陰の住処から出ることを許さない。

血肉も与えるな。

絶対にだ。


もし、約束を違えたことを知れば、必ず報いは受けさせる。」



 妖物達が息を呑むのが伝わる。


 大男も寄り添う女も、さとりを五十年も岩陰に閉じ込め自由を奪うことは、あまりにも可哀想に思えた。悪事の度が過ぎたとはいえ、山にすら出ることを許されないのは苦痛の所業である。それが遊ぶことしか知らぬ幼い童の齢であれば、なおさらだ。



「血肉は、少量でも……。」



 途切れ途切れに女が言葉を紡ぐ。



「こいつは、必要以上に血肉を食った。

一度知ったその量を忘れさせるまで絶対に食わすな。

その体と頭の出来で馬鹿みたいに肉を食らってると、食われた人間の呪いを受けて本当に元に戻せない化け物に成り下がるぞ。」



 幼く知能が足りずとも、さとりは血肉を好む妖物である。それを与えられない苦しみは人が食を与えられない苦痛と等しい。

 贅沢を知れば知るほど、取り上げられた時の苦しみは大きいものである。



「できるのか。

大量に血肉を食ったこいつの食欲が抜けきるまで、五十年経つまで、こいつを抑えてられんのか。」



「分かった。

……必ず、抑える。

だから、さとりを返して欲しい……。」



「それから……。」



 さとりの首筋に刀を押しつけ直す鈴音。


 妖物達は身を固くさせながらも、もし刀が振り払われれば、人間に挑む覚悟で足を踏ん張らせる。



「こいつの当たった霊気は、呪いとしてさとりに返す。」



 鈴音が出した条件に、しなだれていた女が怒号で本性を剥き出した。



「人間風情が……。


己っ、己っ、おのれぇぇっ。


お前も我々と変わらぬ化け物のくせにっ。


人のふりをしようとしたところで、何の意味もないわ。


所詮は我らと変わらぬのだからなっ。


紛い物がっ。」



 髪が逆立つ女の肩を大男が掴み引き寄せる。



「……分かった。

それで良い。」



 腹の底から怒りの方向を上げる女を片腕一つで押さえつけ、大男は頭を下げた。



「さとりがしたことを人間から思えば相応のこと。

生きて返してもらえるだけでも、まだ良い。」



 納得したような物言いではあるが、大男の瞳には攻撃的な炎が見える。


 鈴音は印を結び組み合わせると、左手を刀にかざし呪文を唱え始めた。


 素早く何度も同じ言葉が繰り返されているように聞こえるが、何事かははっきり聞き取ることはできない。


 何が起こるか見当も付かない人間達は、黙って現状を見守っている。

 しばらくすると、近藤は体の調子が戻ってきていることに気がついた。



「おっ。」



 手の痺れも消え失せ頭痛や倦怠感の陰もないが、さとりに噛まれた傷口は変わらず痛んだ。



「近藤さん。」



 顔色の良くなった近藤を、沖田が嬉しそうに覗き込む。


 視線が合わさった二人は顔を綻ばせ合った。


 近藤は鈴音の呪文のおかげだと一人合点し礼を言おうと一瞥する際、さとりの姿が目に入る。



 鈴音の呪文が途切れ空を払われた刀。



 ぶら下がる鈴の音が宙に踊る。



「こ、これは……。」



 苔ばんだ土色の肌になり干からびきったさとりの姿に、近藤は口を閉ざすことができない。


 変わり果てた姿は、今にも事切れそうな瀕死の様に見えた。


 鈴音が干物の腹から足をよけると、大男達が駆け寄りさとりを抱き上げる。



 沖田はその光景から顔を背向け、瞳の居場所を探すように視点を動かした。

 それでも視界の端には妖物達の振る舞いがぼやけながら映っている。

 大事そうにさとりを抱いた大男達は、いそいそと腰を上げた。

 この場にいるのはご免だと、そう言わんばかりに背を向け去ろうとする。


 だが、動かしたはずの足を大男はぴたりと止め、その顔を近藤に振り返らせた。



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