第二章 ツギハギ(59)



「ぐあぁぁぁっ。」



 先端が刀のように尖った歯が近藤の腕にさらに押し入れられた時、ぱきんという小気味の良い音が聞こえる。


 痛みに閉まる目を見開くと、視界をゆっくりと笛が舞う。



 掴まねば。



 近藤は慌てて手を離そうとするが、手の中には何かの実感がある。



 ……俺は今、何を握っているのだ。



 手元を見れば笛があった。

 音が聞こえる以前と変わらず、手中には笛があり、それをさとりと奪い合う体勢のままである。


 だが、地面に打ち付けられた物を見れば、そこにもやはり笛。

 その後を追うように石が地面を跳ねた。



「笛が……折れた……。

鈴音さんっ、ふ……。」



 現状を伝えるため近藤が声を張る必要もなく、いつの間にか眼前にいた鈴音がさとりの頭を鷲掴む。

 その痛みのあまり近藤に噛みついていた顎の力が弱まると、近藤は口から素早く腕を引き抜いた。


 腰が抜け地面に尻が付く。

 何故だか頭がくらくらする近藤は、目をきつく縛り頭を振って見るが改善はされない。

 笛の残りを握っている手も痺れが走り、そこから呪具が滑り落ちていく。



「馴れてねぇのに、さとりに素手で触るから障気当たりになったんだ。

お前、もうちょっとでおっ死ぬとこだぞ。」



 髪を掴まれたまま宙づりになっているさとりは、髪と鈴音の手を引き離そうと懸命に暴れている。



「すまない。

いてもたってもいられなくてな。」



 苦笑して頭を掻いた近藤。当たりを見回すと、さとりに操られていた童達が地面に転がるように眠っている。


 肺のそこから、ようやく呼吸ができた気のした彼は、腕の痛みに顔をしかめ胡座をかく。 


 ふいに両肩が包まれた。



「近藤さん。」



「総司っ。」



 横から首に回された腕を掴み顔を見ると、そこには懐かしい青年姿の沖田が笑みを浮かべていた。



「元に戻れたのだな。」



「はい、近藤さんのおかげです。

でも……。

無茶しないで下さい、近藤さん。

……私なんかのために、危ないことはしないで下さい。」



 近藤は掴んだままの腕を優しくゆさ振った。



「お前だからじゃないか。

お前だから、俺は無茶をするんだ、総司。

お前は俺の大事な家族で、弟で仲間で、一番弟子だろ。

そんな総司だから体も勝手に動いてしまうんだ。」



 近藤が体を揺らして豪快に笑うと、沖田はその肩に顔を埋めた。



「……総司、良いんだぞ。

甘えたくなったら、いつだって甘えて。」



 柔らかな笑みを浮かべた近藤は幼さを拭いきれない青年の頭をそっと撫でた。

 汗と皮脂に混じって血生臭い近藤の香りを沖田は肺いっぱいに吸い込む。

 

 お世辞にも良い香りとは言えない。

 

 それでもこの臭いだから彼は安心することができた。漏れてしまいそうな嗚咽も不思議と堪えが利く。



 いつもと変わらず、当たり障りのない笑みを浮かべ顔をあげられる。



 沖田はそう思った。


 だがもう少しその臭いの中に包まれていたかった彼は、広い肩に回した腕へ力をこめた。



 鈴音と土方はそんな二人を見守っていたが、彼女はそれを見届けると流すように視線を落とす。



 足下には真っ二つの笛と石ころが一つ。

 石からは微かに霊力を感じる。

 言霊に力を乗せるのは、人の想いの強さである。幼い童の心は念となり、この石に詰まっているのであろう。


 それがなければ、ただの石が笛を折ることなどできはしない。



 一番先に霊力を高められるか。



 鈴音は近藤に顔を沈める青年を横目に、さとりを地面に叩きつける。

 呪具を失ったさとりは、何の人質をも取れはしない。

 彼女はさとりが逃げないように、骨と皮の腹へ片足を乗せる。


 無邪気に笑いだし首を回すさとり。邪悪さの欠片も見られない。妖物でありながら、どこか憑きものがいなくなったような雰囲気であった。


 本来のさとりらしい、間の抜けた様子で小首を傾げ一人でけたけた笑っている。



 聞いたところで意味がない。



 直感的にそう考えた鈴音は、足下の西洋呪具を冷めた目で見つめる。

 手掛かりの片鱗でも得られなければ、次には繋がらない。


 害悪のないさとりを誘惑し操った者。それを突き止めなければ同じ事が続くのだ。



「これを誰に貰ったのか教えるってんなら、封印で済ませてやるよ。」



 鈴音の冷ややかな声音に、さとりは笑い声をやめる。



「答えねぇってんなら、消滅させる。」



 腹に乗せた足に力が込められると、さとりが喚き出す。言葉を知らない幼い童が、頼れる何かを求めて泣くように、ただただ声を上げる。



「さっきとは別物みてぇだな。」



 さとりを見下ろす土方が眉根を寄せている。



「その笛に術がかかってたんだ。

本当のさとりは、人の心をさとる以外には何もできねぇ。」



「笛が壊れたから元の状態に戻ったってことか。」



「あぁ。

だから無害なガキに戻っちまったこいつからは何も聞き出せねぇだろうな。」



 さとりの腹に足がさらに沈められる。



「す、鈴音さん。

何も聞き出せないなら、そこまでやる必要は……。」



 腕を押さえながら近藤が前のめりになるのを沖田は制す。



「駄目ですよ、近藤さん。

私は許せません。」



 沖田の視線が血の滴る近藤の腕に落とされていた。伏し目がちに悄然とした様子には見えるが、青年の瞳には鋭い怒りの炎が宿っている。



「それに生かしておく必要なんてありますか。その子がいなくなれば、誰もその子に脅かされずに済むのでしょう。

私たちは妖物退治を命令されているわけですから、殺す方が正しいでしょう。」



「いや、そうかもしれぬが……。」



 近藤は口籠もる。


 童の容姿故に。


 ただ操られていたという理由故に。


 世を混乱させたモノを生かしておくのは自分勝手に思えた。その甘さで組織を束ねることは出来ないことは、土方の姿を見て重々承知している。

 それでも彼のように鬼の面を携えることは、自身にはできない。そう思ってしまうことも、頼りにする者への甘えなのかもしれない。


 じんとんと疼くような痛みのする方に、近藤は片手を添える。



「ね、鈴音さん。

近藤さんの障気当たりというのは、このままで大丈夫なんですか。

顔色が悪そうです。」



 作り慣れた笑顔を浮かべた沖田を、鈴音は見ようともせず答える。



「休むしかねぇよ。

安静にするか……。」



 話しの途中で彼女はおもむろに顔を上げた。寺の入り口を示す門構えの下を、男と女が歩いてくる。



「誰だ。」



 土方が小声で問うが鈴音は答えず、こちらに向かってくる二人の動きを見逃さないように追っている。


 鈴の心地良い音と共にさとりの首筋に刃が添わされた。それを見た来訪者は、誰の手も届かぬ近さで足を止める。


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