第二章 ツギハギ(58)

 さとりは愉快で仕方がなかった。自身の術が効かない相手が苦痛の色を滲ませている姿を見るのが。


 鈴音が機転を利かせた策を練り出さない限り童達は死ぬ。


 彼らを助けるために動けば自死。


 取り逃せば、さとりに食われて死ぬ。



 そうだ、あの童をもっと苦しめてやれば、女の心に歪みが生まれ覚れるかもしれない。



 さとりは、にやりと笑むと笛を口に押しつけた。

 吹き込んだはずの息が笛の吹き口から遠退いていく。


 体が傾く。


 宙に舞う。


 誰かが突っ込んできたのだ。


 両肩に同じだけの痛みが加わった時、さとりはようやく自体に気がつく。

 笛を奪い取ろうとしている者を見るために顔をあげると近藤が覆い被さっていた。



「あれ……。」



 笛を奪われまいと攻防を行うなか、さとりは思い出す。鈴音以外の者の心も読めなくなっていたことを。

 幼く知性の欠けるさとりは、目の前のことに夢中になると注意力が散漫化する。そのため、近藤達の状態もうっかり記憶から欠落させてしまっていたのだ。


「ぬっんんん、吹かせぬぞ。

これ以上、総司を苦しめさせはしない。」



 豪腕で笛を奪い上げようとするが、妖物であるさとりの非力さは人間と比べても意味はない。

 さとりはさとりで決して笛を離すまいと腰を引く。

 そこを狙って鈴音が駆け寄るが、僅かに鳴らされた音色に童達が彼女の道を閉ざす。



「させぬぞ、させぬっ。」



「離せぇぇぇぇっ。」



 さとりが笛を強く引くと一瞬、自身の方へぐっと引き寄せられた。近藤を見れば、徐々に顔が青ざめて見える。

 理由など思いつきもしないが弱ってみえる今が機会だと、さとりは近藤の腕に噛みついた。



「近藤さんっ。」



 土方が怒鳴るように声を上げると、息の荒い沖田が薄めを開く。


 気がつけば土方の腕のなかにいる。


 

 近藤はどうしたのか。



 目眩と吐き気のする中、土方の目線を追うと、そこには近藤とさとりがいる。

 笛を奪取し合っているが、近藤が徐々に遅れをとっているように見えてきた。


 沖田は必死に目を凝らす。


 霞む視界が痛みの波間に一瞬晴れた。

 童は、はっと息をのむ。

 近藤の腕にはさとりが噛みついている。腕から血が滴り足下の石畳をも染めていた。



 あのままでは腕が持っていかれる……。



 再び痛みと幻聴の波がやってくるなか、沖田は近藤を必死に目で追う。



 離れて体勢を整えなければ、腕が……。



 疲弊して青ざめていく近藤の姿に、鈴音も焦りながら童を投げ飛ばすが、散らしても散らしても、術中の幼子は鈴音に向かってくる。



 障気にあてられてる……。あのままじゃ……。



 妖力に馴れていないものや霊力の乏しい者は障気あたりを起こす。近藤が青ざめている原因は、そこにもあった。



 急がなければ……。



「絶対に渡さんっ。

総司のためにも、この笛は渡さんっ。」



 沖田の頬を一筋伝うものがあった。痛みや恐怖で流す涙とは違う。初めて知る涙であった。



 行かなければ行けない。



 近藤の元へ。



 護らなければ、近藤を。



 沖田は立ち上がるためにもがいた。



「っ、総司、どうした。」



 押さえつけるように抱き直そうとする土方から、無理矢理逃れると体が地面に転がった。 沖田は胸の辺りに痛みを感じながら、すぐさま立ち上がろうとするが、体がふらつき言うことを聞かない。


 自身を掴もうとする土方の手を振り払い、童は二本の腕で地面を押し進む。

 目眩で真っ直ぐに進むこともできず、頭痛でそれ以上体を動かすこともできない。


 童は石畳に爪を立てる。


 がりがりという音と強い痛みが爪と指の間に走る。


 血が滲む。


 だが、目の前の近藤はもっと出血している。



 どれほど痛いのだろう。



 その痛みは、誰のために堪えられているのか。


 沖田は地面に頭を打ち付けた。


 額が割れたような痛みを感じるが、胸のつかえや苦しみの方が辛く思える。



 何かしなければ……。



 再び体を引きずろうとした際、ずっと胸に痛みがあることに気がつく。


 腹ばいである童の体に、硬い何かがめり込む痛み。


 沖田は懐に手を入れる。


 いつか鈴音がくれた石を取り出す。

 

 童の手には、少しほど余る石。

 

 それを力強く握った沖田は、自身の持てる全ての力を込めて投げつけた。



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