第二章 ツギハギ(54)



 お天気だ。

 


 朝餉を終えた沖田は、壬生寺の境内にある階段に腰掛けていた。

 弱行ではあるが、雲間から太陽はしっかり姿を見せている。降りしきった雪を溶かすには不十分でも、人の営みにおいては少しの希望を思わせる。


 弱々しい光であるというのに、その身を直に見ようとすると目が眩むのは何故だろう。


 月の光はどれほど直視しても、目がおかしくならないというのに。

 どんなことにおいても明るいものは良い、などと当たり前のように言われるが、その明るさは、誰かの目を姿を焼き、陰を作り出す。まばゆさ故に近づけば、自身も代償を支払わなければならなくなるが、闇は良い。


 沖田は太陽に焼かれた目の裏に夜の月を見る。


 月は誰も焼かなければ、何者をも拒絶しない。近づくものを、全て無条件に受け止めてくれる。

 そうして、その身が傷つかないように闇夜に匿ってくれる。


 月の方が断然強く立派であるというのに、何故、皆太陽にすがるのだろう。

 白日の下に全てが暴かれ、自身も曝け出されているような気分になるため、沖田はあまり日の光が好きではなかった。



 早く夕刻になれば良いのに。



 普段からそう考えている童ではあるが、今日は少しばかり違っていた。

 違いはするが、ずっと日が昇っていて欲しいなどと思っている訳ではない。


 日が沈めば良いのにと思う心に、幾ばくかの邪念が入るのだ。願う心が、それ以外のことを思い浮かべようとする。



 近藤と遊んで楽しめるだろうか。



 不愉快にさせてしまはないだろうか。



 土方は……いてもいなくても良かった。



 どれほど自分勝手な行いをしようと、近藤は決して沖田に折檻などしなかった。それは、童が幼かった時も、幼くなってからも変わらない。いつでも沖田とその行いを、大きな笑顔と器で受け止めている。それは、今の童自身もしっかりと感じていることではあるが、自分の思うままに近づくということを、傷んだ彼はまだ上手く出来ないでいた。


 心のままに近藤の側に行きもっと構ってもらいたいが、僅かに存命する拒絶される恐怖が、彼をあべこべの世界へ誘ってしまう。 そんなことを続けていれば、どれほど器が広くあっても、愛想を尽かされてしまうに決まっている、と沖田は肩を落としながら足下の雪を手に集める。




 近藤には嫌われたくない。



 近藤の一番になりたい。



 常に自分の好きな者の一番でありたいのに……。



 頑張っても姉上の一番にはなれなかった。



 沖田は手の雪を握りしめる。


 柔らかな雪は、加えられた力のせいでぎゅっとその身を固くさせた。

 


 近藤も、鈴音も、他の誰かも……。



 本当は姉と同じなのかもしれない、と思わせる陰が幼い心の賽を投げきらせない。

 人と関われば必然と痛みは生じてしまう。それを受け止めていく心の強さがなければ、他人と関わっていくことなどできはしない。痛みが大きければ大きいほど、次に踏み出す恐怖は比例してしまうものだ。


 強く握られた手中の雪が形を変えて割れかけた時、童の肩に手が触れた。



「総司、待たせてしまったな。」



 近藤が沖田へ向けて笑みを浮かべた。人の評価など気にもしない豪快な笑みに、童も自然と小さく笑ってしまう。



「あいつはどうした。」



 沖田が近藤の背後を見ると、土方が不機嫌そうに腕を組んで立っている。その言葉に近藤は、辺りを見回した。




「鈴音さんが確かに見当たらないな。

総司、一人で待っていたようだが、鈴音さんはどうした。」



「さ……。」



 朝餉の後、鈴音と別れた時の様が頭をよぎる。

 鈴音は沖田を壬生寺まで送ると、階段に座った彼の前に屈み告げた。



「あたい、今しとかなきゃなんねぇ夕餉の支度があっから、お前ここで待ってろ。

近藤達がすぐに来っから、良いな。

勝手に動くんじゃねぇぞ。

あ、それから、あたいすぐに戻ってくっけど、もしあいつらに何か聞かれたら、知らねぇって言っとけよ。


……斎藤、知られたくなさそうだから……手伝われてること。」



 沖田は気にくわなかった。だから、斎藤のためになることをしてやりたくないと思うが、鈴音の顔がよぎる。喉元まできた言葉が、何かを詰まらせたように出しにくく

なり、童は膝を擦り合わせた。


 近藤が土方の顔を見上げると、お互いに小首を傾げ合う。



「……あの……。

用事があるからと。」



 振り絞って出された返事に、近藤は跳ねるように振り返り、童の両肩を掴む。



「おぉ、そうかそうか。

教えてくれて有り難うな、総司。

偉いなぁ、総司は。」



 何の面もはめられていない剥き出しの笑顔が自分に向けられることを、沖田は嬉しく思う。



「用事ってなんだ。」



 土方の眉間には縦皺が寄っている。近藤のように素直に受け取ってくれないこの男を、揶揄してやろうと童が口を開きかけた時、近づいてくる鈴の音が耳に入った。



「悪ぃ、遅れた。」



 左手に持った刀の鈴が勢いよく身を揺すっている。



「何してやがった。

用事ってなんだ。」



 鈴音の腹や胸元付近の生地が所々色濃く、黒くなっているのを、土方は疑わし気に

見つめている。



「あたいにだって用事くらいあんだよ。

何で一々お前に全部報告しなきゃなんねぇんだ。

別にお前らには関係ないことなんだから、ほっとけよ。」



 五月蠅そうに顔を背向ける鈴音に、土方が舌を鳴らす。



「勘違いするなよ、お前に好き勝手できる自由なんざねぇんだからな。」



 向きになったような言い方をする鬼を、近藤は「トシ。」と嗜めた。

 嗜められた理由に自覚のあった土方は口を閉ざす。普段であれば向きになることでもないが、先刻はどこか冷静さを欠いてしまった。 ここは補足するような言葉を添えておく方が良いことも、頭では分かる。




 平生ならそれも上手くできる。



 だが、何となく鈴音にはそれを素直にできる気がしなかった。そんな不安定な心持

ちと性分が相まった結果、土方は何も言わないことを選ぶ。選ぶというより、口が意志を持ったかのように開こうとしなかったのだ。


 歯がゆい苛立ちを抱きながら舌を鳴らすと、近藤の溜息が後を追ってくる。



「本当にお前は……。」



 苦笑する近藤の言葉尻が聞き取れなかった。何と言ったのか、土方は不機嫌そうに尋ねようとするが、小さな童が邪魔をしてくる。近藤が背を向けているのを良いことに、沖田は鼻の穴を膨らませて舌を出した顔をこちらに見せていた。



 腹立たしい。



 土方の怒髪が天を衝くどころか貫きあげた。



「総司っ。」



 駆け出した土方を小馬鹿にしたように舌を左右に動かすと、童も幼い足で地面を蹴った。



「待ちやがれっ。

さっきのことといい、今の顔といい、もう我慢ならねぇ。

童になったからって関係ねぇっ、調子にのってんじゃねぇぞっ。」



 土方が全速力で沖田を追う。追い付きかけて彼は手を伸ばすが、寸での所でひょいっとかわされてしまう。速さは五分五分でも、すばしっこさに関しては童の方が僅かに抜きん出ている。



「おぉっ。

もう始めてしまったのか、仲が良いなぁ。」



 どう見れば仲が良く見えるのだろう。



 鈴音が呆れた眼差しを犬猿に向けていると、近藤が声を掛けてくる。

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