第二章 ツギハギ(53)



「……まってる……。」



 小さくぼそぼそとした言葉であったが、鈴音には、はっきりと聞こえた。呆気に取られていると、沖田がもう一度繰り返す。先ほどよりも震えの目立つ大きな声で「まってる」と。

 鈴音が掌に並べた銭を見ると月灯りを受け、煌々としているように見える。長い年月でくすんだ色味の銭であるというのに。



「……そうだな。」



 鈴音は銭をぐっと握りしめると、元合った場所に滑り込ませる。ひんやりとも感じることのない銅の円を胸に置き童を見ると、まだどこか気遣わしげな面持ちを向けていた。

 鈴音は一拍、間を開け、頭に伸ばされた沖田の手を掴み、布団に仕舞う。



「あいつ、結構弱虫だから、多分一人じゃ渡れてねぇわ。」



 可笑しそうに鈴音が笑うのを見ていると、背後から咳払いがする。


 獣の雄叫びが聞こえない。


 沖田は身を乗り出して静代を覗き込もうとするが、鈴音に腕を引かれ制される。見れば彼女は人差し指を口にあて、しっと息を押し出した。


 口うるさいと言いたげな表情で背後の様子を覗っている。童は、そんな鈴音を静かに見つめながら、不思議と息を殺してしまう。しばらく気配も潜めていると、小さく鼾が聞こえ始める。


 鈴音がこちらに向き直るが、表情はどこか姦(かしま)しさが残っていた。



「寝たかな。」



 鼾がするのだからと、沖田が頷いてみせると、鈴音はいやいやと頭を横に振る。



「あいつさ、たまに狸寝入りする癖の悪……。」



 先ほどよりも大きな咳払いに、ほら、というようなうんざりした顔で肩を竦めた鈴音は、沖田に布団をかけ直す。



「もう寝ろ。

明日、近藤に遊んでもらうんだから。

いつまでも起きてたら、へばっちまって遊べねぇぞ。」



 首を縦には振るものの、中々に睡眠の帳が降りてはくれない。沖田は、懐に手を伸ばしごつごつした石を取り出す。



「ん……。

あぁ、それあの時の石か。

もう持ってても良い夢なんざ見れねぇよ、あれは一回切りの術だからな。」



 見覚えのある石を大事そうに掌で包む童に、鈴音は聞いてみたくなる。



「お前はどんな夢見たんだ、その石で。」



 起きている気配はあるが、返事がない。


 見たい夢を話して聞かせるほどの関係ではなかったか。


 距離の近づきを肌で感じた気でいた鈴音は少しばかり残念に思う反面、浅はかに土足で近づきすぎてしまったことを反省する。


 寝付けないなら、こっそり術で寝落としてやろうと考えていると、消え入りそうな声が耳に届く。



「温かかった。」



 沖田は単語単語での会話が多いため、何の話しか分かりにくいことがあるが、問いかければ何かしらの返事もくれるようになっているため、鈴音は思うことを挙げてみる。



「夢のことか。」



 沖田の頭が上下に動く。



「温かい……。」



 疑問気味に反復させながら、何の夢なのかを考える鈴音に、次々と目明かしまでの道標が設けられていく。



「暗いところ。

何の光もなくて、真っ暗だけど温かかった。」



 ぽつ、ぽつ、と話す沖田自身も、どんな夢かはっきり分かっていないのかもしれない。


 鈴音は童の様子を見ながら、言われた言葉を復唱していく。



「たまに揺れる。

ずっとふわふわしてる。」



 術をしくじったかな、と思考を巡らせていく鈴音。聞いている言葉を並べているだけであるが、楽しそうな良い夢とは思えない。



「誰もいないけど、遠くで人の声もする。

……それから……。

ずっと水……。」



 沖田の言葉を追う鈴音の声が詰まる。



「……水……。

水が流れてんのか。」



 童は頭を左右に振る。



「ずっと水に浸かってる。

温かい水。」



 胸に水が溢れたように、鈴音は息苦しさを覚えた。


 温かい水に包まれた暗闇。


 水中の浮遊感に、加わる大きな揺れ。


 遠くで聞こえる人声。



 あぁ、こいつの見た夢は……。



 願った夢は、戻りたい場所。


 鈴音は童を抱き寄せた。


 いきなりのことに沖田は目を見張るが、すぐに何事もなかった素振りで、その胸に顔を埋める。


 理由は分からなくとも、幼い彼には心地の良い行為であった。


 それに、どことなく夢で見た場所と同じ温もりを感じる。


 決してそんなはずはないことを頭では分かっていたが、不思議と似ていると感受してしまう。


 だが、それで十分だった。同じ場所でなければ、自分を包む水も揺れもない。身を潜めていられる闇はないが、人目はある。

全てが夢と真逆であった。それでも、この冷たい抱擁が良い。夢の場所よりここが良い。あそこより、もっと穏やかで満ち足りた気持ちでいられる。


 瞼の重みに意志が堪えられなくなってきた沖田は、ゆっくりと意識の帳の向こうへ落ちていく。


 薄れる手中の感覚。わずかな硬さを頼りに願う。



 今度望む夢を見られるのなら、この腕の中にいられる夢が良い……と。




 

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