第二章 ツギハギ(44)

 朝餉の場は賑やかだった。斎藤が調理担当だった日々の歴代を争うまでもなく、群を抜いて賑やかなものだった。


 彼は誇らしさとほろ苦さを飲み込むように味噌汁をすする。


 美味であった。


 料理そのものも美味しいことに違いは無いが、場の空気がさらにその感覚を増させている。

 汁椀に箸を突き立て中をさっと混ぜると、賽の目よりも小さく切られた具材が浮き上がっては沈んでいく。何も愉快なことではないが、心がくすぐられるような気分だった。


 斎藤はくすりと笑んでしまう。


 こんな朗らかな気分にさせてくれた相手の方をちらと見やると、その側で小さな護衛がすぐさま睨みを利かせてきた。


 爪先の腹がちりっと痛むが、今はさほど気にならない。


 斎藤は味噌汁を再びすする。


 そんな気の緩んだ刻限は、あっという間に過ぎ去り、朝餉に喜んだ男達は隊ごとにそれぞれの任務へ向かう。



 食事一つで足取りまでもが変わるのか。

 


 斎藤は目を丸くさせながら、食器の片付けのために立ち上がる。

 勝手場へ向かうため廊下へでた矢先、小さな護衛を引き連れた小柄な総髪を見つけ、小走りで後を追った。



「……待て……。」

 


 呼び止めるには足りない声の大きさに思えたが、少し先を歩いていた総髪が振り返る。 黒く艶の見られる髪が頭の動きに合わせて動く。



「何だよ。」



 鈴が転がるような声が斎藤に向けられる。鈴音の足下にいた沖田は、どことなく頬が膨らんでいた。

 真下からの刺されるような視線を受けながら、斎藤は軽く頭を下げる。



「おい、何だよ。」



 戸惑いに揺れる声に、閉じていた瞼を上げると、憎々しい顔で沖田がこちらを見つめていたため、斎藤は瞬時に体勢を整え鈴音に向き直った。

 すると童は即、鈴音の背後に回り込んだ。そうして斎藤の視界に、何とかしてむかっ腹の立つ顔を映してやろうと、伸びをしたり縮んだりと躍起になり始める。



「……していなかった。」



 斎藤は不愉快さを気にしないように、鈴音だけに焦点を定める。



「何を。」



「まだ、礼をしていなかった。」



 鈴音は、自身の前髪を揺らすように息をついた。



「別にいらねぇよ。」



「それは許されない。

助かった……。

有り難う。」



 斎藤の口角が少し上向きになる。

 そんな表情に鈴音は、ぶっきらぼうに相槌をうち顔を庭へ反らした。


 沈黙が生まれる。


 待ってはみるが、斎藤からその後に続く言葉もなさそうだったため、鈴音は沖田を連れてその場を後にしようとするが、その腕を斎藤が掴む。



「……すまぬ。」



 斎藤は鈴音の腕から手を離す。しっかりとした腕ではあるが、男にはない柔らかさを感じ彼の顔は赤らむ。



「今度は何だよ。」



「良いか、聞いても。」



「夕餉のことなら、その時で良いだろ。

あたい、早く行かないとまたあいつに怒鳴られちまうんだよ。」



 あいつ、という言葉で鈴音が誰のことを言っているのか、容易に想像ができた。

 斎藤は人に気付かれない程度に苦笑する。



「夕餉のことではない……。」


 

 今朝方、鈴音が勝手場に来た際の言葉が思い出される。平生通りにあらゆる具材を賽の目に切っていた斎藤。

 鈴音は肩を落としながら、そんな彼を見つめ口を開く。



「手伝ってやるけど、条件は二つな。」



 心を弾ませながら賽の目を生み出していた斎藤は、はっとした面持ちで顔を上げる。



「せびるのか……。

金を……せびるのか……。

少額しか出せぬぞ……。」



「あたいを守銭奴みてぇに言うんじゃねぇよ。銭なんざいらねぇ。」



「じゃぁ……何だ。

おかずを多くして欲しいのか……。」



「……お前、刀の柄でぶつぞ。」



「……。」



 斎藤が口を閉ざしたことを確認すると、鈴音は条件を述べた。



「条件は二つだ。

一つ目は、最後自分で作れるようになること。あたい、ずっとお守りなんざごめんだかんな。ちゃんと覚えていけよ。


それから、二つ目。

……味見はお前がやること。」



「何故だ。」



 理由もなく突きつけられた条件に、斎藤は間髪入れず問いただしてしまう。

 落ち着いて考えるまでもなく、「味見をする」ことなど大した条件ではないのである。ないのであるが斎藤は気になった。条件とする必要性の感じない内容であるにも関わらず、それを敢えて決まりとして定めてくるのは何故なのか。


 そのことの自得に価する理由もつけられていない。そんな点が彼としては聞き流せなかった。細かなことが気になってしまうのは、彼の天性であったからだ。


 鈴音の眉根がぴくりと動く。



「一々うっせぇよ。

そんな大したことじゃねぇんだから、黙って受け入れろよ。」



「できぬ、気になってしまってどうしようもない。

隊務に支障を来しそうだ。」



「知るかよ、んなこと。」



 隙無く返された言葉に、斎藤は賽の目ほどに怯みを見せる。

 しつこく食い下がれば、大抵の者は面倒くさがって教えてくれるものであった。あの鬼の副長でさえも、斎藤がぐいぐいと食い気味で質問を始めると、頭を抱え怒鳴りながらでも一から十まで教えてくれるほどである。


 疲労困憊の面持ちでだが。

 

 斎藤の頑なな真面目さは、手間ではあるが隊内で買われてはいる。邪険にされはするものの、されきらないのはそれが理由であった。


 だが、鈴音にそこまでの情を求めるにはまだ早すぎた。早すぎたが斎藤の性分が治まりを知らぬことを知っているはずもなく。



「味の確認はしてくれるものであろう、普通は。

師弟という者は、師が弟子の結果を吟味してやるものだ、どのような世でも。」



「一体いつ師弟になる話しなんかしたんだよ。」



「たとえだ。

俺とてお前を師などとは思えない。

教える者として、教えた者の結果を精査してやるのは務めであろう。」



「んなこと何でも良いだろう。

うちは荒稽古仕様なんだよ。」



「しかしっ……。」



「うっせぇよっ、ごちゃごちゃとっ。」



 斎藤が言葉を終える前に、鈴が荒々しく鳴り散らかす。

 斎藤のなで肩が自信のなさそうにしおれていく。



「いや……し、しっ、しか……。」



「しつけぇんだよ、さっさと準備すんぞ。

朝餉の刻限に間に合わなくなんだろうが。

細かなこと並べる前に、外見ろっての。」



 勝手場に差し込む朝の知らせに斎藤は、自然と目を細めた。冬の柔らかな日差しではあるが、天から差す光の神々しさは、いかなる季節においても変わらない。日輪の梯子は斎藤の心を軽やかにしていく。



「朝日なんか見て感動してる場合かよ。

大目玉くらって別の光が見えんぞ。」



 抑揚のない鈴の声に斎藤は慌てて賽の目切りに戻るのであった。


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