第二章 ツギハギ(43)



「ねぇ、鈴音様……。」



 心頭と攻防中の斎藤に聞こえないよう静代は鈴音に囁く。


 その様子は彼の視界には映っているはずだが認識までには至っていない。二人と若干の幼子を映した瞳は微動だにせず、今日を通り越し明後日に向けられたままだ。



「何だよ。」



「何だか怒っているのではありませんか。

百姓や荒くれ者の集まりとは聞きますが、紛いなりにも彼らは武士。

武士は武士なのですよ。

顔を立ててあげないと逆上してくるのでは。」



 額に皺を寄せながら斎藤を見つめ、小声で話す静代に鈴音も小さな声で返す。



「ありゃぁ、怒ってるっていうか……何か考えてんじゃねぇの。

それか……嘆いてるとか……。」



「それもそうですか……ね……。

確かに怒っているならすぐに斬りつけてきてもおかしくないですし、だからといって怒鳴りつけてくるようでもありませんし……。」



 ひそひそ話し合う二人と読み取り難く、得も言われぬ苦汁の表情を浮かべる一人。

 そんな間に一人座る童は、取り残されないように膝立ちで歩きながら鈴音に近寄る。

 大きな着物の裾に引っかかりながら近づいてくる沖田の肩に静代が手をかけ、引き寄せるようにその腕に抱き締めた。


 されるがままに膝に座る童であったが抱かれた際の向きが気に入らず、腕の中で身を捩らせ、背中を女に預けるように座り直す。

 正面を向くと斎藤の顔と自然に向き合ってしまう。童は何とも言えない気分になってくる。



「ねぇ、鈴音様。」



「何だよ。」



「手伝って欲しいんじゃございませんか、あの方。」



 鈴音は顔をしかめる。



「それさっきあいつが自分で言ってたじゃねぇか。

あたい昨日、あいつに軽く作り方教えたんだからそれで何とかできんだろう。」



「それができないから、こうして来たのではありませんか。」



「はぁ。

出来るも何も、飯炊いて汁に味噌入れるだけだろ。」



 静代は沖田を膝に乗せたまま、身をさらに鈴音に寄せると、鈴音も片耳を静代に寄せるように身を傾ける。



「それができないんでございますよ、きっと。

貴方様は分からないかも知れませんが、あの方が担当したと思われる料理、酷い味なんですよ。

本当、味だけでなく食感から何まで、どうしたらこうなるのかと。

私の方がまだマシに作れると、初めの一口で肝を潰しましたもの。」



「え……。


そんな酷ぇのかよ。

確か昨日のほうれん草はじゃりじゃりしてた気もするけど。」



 静代に目を向けると下の方から視線を感じたため、沖田を見ると小さな頭が縦に動かされた。



 静代の方がマシな料理となると……。



 よっぽどだな。



 よく死人がでなかったもんだ。



 鈴音は沖田のまん丸な目を見つめる。じっと見つめていると、その瞳が揺らいでいるのが見てとれた。

 不安に怯え、それを悟られないように努めているようだが、幼すぎる彼は真に隠す術を知り得ていない。


 視線を向けられているのは何故か。心根を測りきれないことへの不安だろうか。


 鈴音が沖田を視界から切り離そうとした際、小さな手が伸ばされる。震えを握ったような手は、鈴音の袂を掴み揺さぶる。それはちっぽけな揺さぶりだったが、情の深さを秘めたこの女を動かすには十分すぎる大きさだった。


 鈴音は握られた袂をそのままに、斎藤に向き直る。


 彼はこの世の苦しみを全て背負わされたのかと思う四苦八苦な形相で頭を抱えていた。


 仰々しい様に顔をしかめてしまいそうになるが、わざと見せているのではないのだろう。腕を組んだり頭に手を添えたりと、五月蠅い動きの斎藤は額に脂汗を滲ませている。



「おい。」



 精神世界に捕らわれた彼は、一度の呼び掛けでは帰ってこない。鈴音は、うざったらしく思いながら、数度斎藤に呼び掛ける。



「……。

どうした。」



 険しい顔を悟られまいと、涼し気な面持ちでようやく返事をしてきた斎藤に、鈴音は自身の膝を拳で打つ。



「鈴音様、落ち着いて。」



 静代が小さく話すと、雑に鼻息を鳴らしながら鈴音は脂汗を隠し忘れた男を見やる。



「手伝ってや……。」



「本当かっ。」



 言い終わりもしないうちに斎藤が言葉を被せ、勢い部屋に膝を侵入させる。



「かたじけない。

助かる、恩に着る、至極有り難い……。」



 抑揚のない謝意・万謝が、外の粉雪のように降り注いでくる。鈴音は煙たく思え、顔の前で手を振った。



「五月蠅ぇから、もう黙ってくれよ。

てかお前、本当に感謝してんだろうな。」



「す、すまぬ。

勿論、感謝してもし尽くしきれぬほどに感謝している。

あまり、伝わりづらいかもしれぬが……。」



 悄然とした肩の下がり具合から、読み取りづらい斎藤の真意が溢れる。



「分かったから。


もう行こうぜ。

そろそろ準備しねぇと間に合わないんじゃねぇの。」



 片膝を立て鈴音が腰を上げる際、袴を踏みつけた彼女は前のめりになった。反射的に手を付こうとするが、その手はい草に届く前に動きが止まる。


 傾いた体が正しい位置にゆっくりと戻されていく。鈴音は自身の肩から伸びる手を辿るように見上げていった。

 脂汗などとうに乾ききった、無口な斎藤の顔がそこにはあった。



「……あ、りがとう。」



 鈴音がぎこちなく礼を述べると、役目を果たした手は肩から離れていく。



「……余裕に気をつけねばならない。」



 鈴音は何も言わず斎藤の言葉の続きを待っている。

 斜に逸らされていた彼の瞳がよそよそしげに音待つ鈴に向けられた。



「……袴は……ゆとりをもって足をさばかねば転んでしまう。

常にゆとりを取ることを心掛けねば……大きな怪我になる。

……良くはないであろう……。


……女子が怪我をするなど……良くはないであろう……。」



 初々しい。



 静代は物言わず、きまりの悪そうにしている二人を眺め唇を弛ませる。斎藤になど興味はないが、主である鈴音が恥ずかしそうに困っている様が愛おしい。もっと見ていたいものだと思っていると、膝に座っていた童がすくっと立ち上がる。


 どうしたのかと様子を見守っていると、文机に置いてあった縫い掛けの手拭いから、まち針を取り外す童。


 大人の丈の着物を着せられている沖田は、器用に片手で裾を持ち上げ、さっさと斎藤の真後ろに向かう。


 手の届く距離に、尻に座られた足の爪先が飛び出してある。



 ぷっすり。



 沖田はその白足袋の上にまち針を突き刺した。



「ぬっん……っ。」



 大音量で叫んでしまいそうになるところを寸でで堪えることができるのは、流石に斎藤である。武士の姿勢を意識し自問自答を重ねているだけのことはあるのであろう。


 だが、顔や動作は五月蠅く、見ていると痛みの度合いが伝わってくる。



「お、おい……。」



 鈴音の呼び掛けに答える素振りもなく、斎藤は痛みの原因を確かめるため背後を振り返る。

 小さな童が、いかにも憎たらしい嫌味な笑みをこちらに向け、まち針を構えていた。じりじりと痛む足先を見れば、真新しい足袋に赤い染みができている。


 斎藤はくるりと沖田に向き直った。



「何の真似だ、総司。

何故いつも、俺にそのような嫌がらせをしてくるのだ。」



 ぷいっと小さな顔が背けられる。


 斎藤の潤んだ目が細められていく。



「童になったというのに何故だ、総司。

その齢までのことは覚えていないということを聞いたぞ。

俺に恨み辛みがあったとしても、今の齢であれば、まだそう多く言葉も交えていなかったと記憶している。


なのに何故だ。


何故、また俺にそのようなことをする。


何がいつも気に食わないというのだ、総司。


答えろ、総司。」



 沖田は顔を背けたまま微動だにしない。

 その様子とまだ傷む足が、斎藤を静かな怒りで燃やしていく。



「総司、黙っていては分からぬ。


話さねば分からぬ。


何が不満なのか。


話さなければ分からぬ、総司。」



 怒ったらまともに話せんだなぁ、と鈴音は斎藤の背を見ながら、袴のゆとりを気にして立ち上がる。

 まだ慣れたものではないが、いつもよりかは立ち上がりやすく思えた。その足を斎藤へ向け歩ませていく。


 うんともすんとも言わぬ童に、ひたすら言葉を投げている彼のま隣に立つとすっと屈み込む。


 目の前の無防備な耳に静かに告げた。


「そろそろ日が昇ってくんぞ。」



 はっと目を丸くした斎藤が顔をこちらに向けると、思っていたよりも近い距離に鈴音の顔がある。

 白粉とは違う透明感のある白い肌。切れ長の澄み切った瞳が、呼吸の触れる距離にあり、斎藤の心の臓は、とくりと跳ねた。


 鈴音は立ち上がる。



「ほら行こうぜ。

遅れたらどやされんだろ、どうせ。」



 真っ先に永倉の顔を思い出す斎藤は、自身も腰を上げる。


 畳に触れた爪先にちくちくとした痛みを感じた。


 だが、それを気にしていられる余裕もなさそうなため、意識しないように廊下へ足を進めるが、鈴音は、ま反対に部屋の中に進んでいく。



「どこへ行く。」



 火鉢の側で腰を低くした鈴音。

 手には小さな着物が掴まれている。



「乾いてんな。

ちょっと濡れてっけど、まぁ着てたら乾くだろ。

あ、先行っててくれよ。

あいつ、まだ着替えてねぇんだ。」



 鈴音が顎で指す先に、何がいるのか見るまでもない。


 こちらも刻限が迫っているため、それは後回しにと言いたいところではあるが、昨日の夕餉の際の雰囲気から察するに、近藤が沖田の世話を頼んでいるのだろう。


 賢さには長けている斎藤は事情を汲む。



「承知した。

では、先に向かい、可能なところまで準備をしておく。」



「あぁ。」



 去り際に斎藤は、沖田に声を掛けておこうと思い立つ。日頃から憎いことをしてくるとはいえ、今は童の身。このままここを去っては、幼子の胸に傷を残すやもしれぬと、沖田が座っている方へ顔を向けた。



 

 勝った。




 

 沖田は威張ったような勝ち誇った顔を、こちらに見せている。


 斎藤は何も言うことなく、後ろ手に激しく障子を閉めた。











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