第二章 ツギハギ(35)



 時を告げる鐘の音がうっすらと聞こえる。

 夢と現の狭間を往来している小さな童は、どちらに進めば良いのか。

 意識のずっと奥底で悩んでいた。



 間違えれば叱られる。



 誰に。



 姉上に。



 叱られるの。



 そう。



 放っておけば。



 できないよ。



 どうして。



 姉上が悲しむし……怒られる。



 姉上に、嫌われたくないの。



 ……うん。



 姉上がいなくなったら、叱られないよ。



 ……でも……叱られたら嫌だけど。

 姉上のお婿さんも嫌いだし嫌な人だけど。



 だけど。



 それでも、姉上とは一緒にいたい。

 頑張れば、上手く出来れば、昔みたいに褒めてくれるかもしれない。



 ふ~ん。じゃぁ、姉上が、大好きなんだね。



 ……うん。



 じゃぁ、姉上に褒めてもらう方法教えてあげようか。



 え……。




 姉上に褒めてもらえて、大好きになってもらえる方法。




 そんなの、あるの……。




 あるよ、とっても簡単なこと。

 知りたい。




 ……知りたい……。




 教えてあげる。それはね。




 それは。






 お前が死んでいなくなることだよ。









 恐怖に開いた眼は、こちらに向かってくる白く尖ったものを映し出す。

 夜目もまだ利かず、まどろみから体も頭も冷めていない。

 沖田はそれでも懸命に身をかわし、布団から這いつくばるかたちで横に身を投げ出す。


 すると何かが壁にぶつかる音がした。


 枕が飛んだのかもしれない。


 沖田は状況を把握するために、眼を必死で凝らす。

 自身が先ほどまで眠っていた場所に何かの気配を感じる。闇の中に更に濃い闇がある。


 それは微動しながら、こちらを向いた。


 沖田の頬を冷たい汗が滑り落ちていく。


 寸でのところで沖田に逃げられた常闇の黒は、けたけたと笑い出す。


 闇が欠けたように見えるほどの白い乱杭歯。 夜に目が慣れ出すと、見慣れた姿が黒に浮かぶ。



「どうしたの。


ねぇ。


大好きな姉上に好かれたいでしょう。


褒められたいでしょう。」



 夜陰にぼおっと浮かぶさとりの姿に、沖田の呼吸はさらに荒さを増す。



 襲撃されていること。



 死への恐怖。



 人ならざるものの姿。



 あらゆることへの恐怖と、さとりの言葉が沖田の胸を押し潰す。


 空気の入る箇所が失われていく。


 息を吸う度に苦しさが増す。


 誰かを呼ぶ声を絞り出す余裕もない。


 沖田は呼吸を乱しながら、後ろ手に尻を引きずりながら後退る。



「お前がいなくなれば、姉上はお前を大好きになってくれるよ。

褒めてもくれる。


邪魔なものが、自分からいなくなってくれたって。

姉上は嬉しい嬉しい。」



 さとりが笑うと血生臭いにおいが肺に入り込んでくる。それが植物の根のように辺りに細い線を巡らせ酸素を奪っていく。

 

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