第二章 ツギハギ(27)



「すまない、鈴音さん。

話しが逸れてしまったようだ。」



「別に、構わないけど。」と、鈴音は火箸を灰に突き刺し、両手を擦り合わせた。


 掌がざらざらとする。



「それでな、総司はそんなこともあって心を病んでいた時期があったんだ。


俺が見て思うに、幼くなった今のあいつは恐らく、その頃のあいつだ。


だから、そのあいつが貴方に懐こうとしているなんて、とても凄いことなんだよ、鈴音さん。」



 唾を飛ばし気味に言葉を力ませる近藤の姿が、事の珍しさの程度を語っている。


 いまいち懐かれているようにも思えない鈴音は胡座をかいたまま、後ろ手をつく。


 ふと顔を上げると、夜空の星ほどの煌めきを含んだ瞳と目が合わさる。



 嫌な予感がした。



「頼むっ。

しばらくの間、総司の世話をしてやってくれないかっ。」



 唾が火鉢の中に飛び込み、黒い染みをつくるのが見えた。



「だから、あたいには懐いてないって。

たまたまそう見えただけだろ。


それにそうであったとしても、あたいガキの世話も相手もできねぇよ。」



「いいやっ、そんなことはないぞ。

昨日、境内で童達を促す様は見事なものであったと記憶している。」



「いや、それとこれ……」



「お願いだっ。」



 食い気味の近藤に、ほぐれていた鈴音の表情が引きつっていく。



「勿論、俺だってあいつの傷が少しでも癒えるように、昔みたいに色々やってみるが、総司が自分から心を開こうとしているなら、それを大事にしてやりたいんだ。


そうすることで、本当の意味で傷を癒やしてやれるかもしれない。


そう思わんかねっ。」



 低い姿勢で近藤が、ぐっと滑り寄ってくるため、鈴音は近づかれた分、後ろに滑り下がる。



「思うとかじゃなくて、ここで何か頑張ったって沖田が元に戻ったら全部元に戻るかも知れねぇんだぞ。」



「それも考えた。

考えたが……それでも、あいつのために何かしてやりたいんだ。


元に戻って無意味なことに終わったって構わない。

それは自己満足と呼ばれるのだろうが、それでも……少しでも……あいつらしさを取り戻してやりたいんだ。


僅かな時で構わないから……。」



 近藤から頼まれたそれを、どうこなしてやれば良いのか分からず、鈴音は何も答えられなかった。陰陽術であれば策を練るなどできるが、それとは事が違いすぎる。


 子供の相手も誰かを癒やすことも、意識的にしたことのない鈴音にとっては、役不足も良いところにしか思えない。


 彼女が押し黙っていると、心優しき武人は身なりと姿勢を正し、深々と頭を垂れた。


 広い額は畳と触れあっている。



「ちょっ……。」



 覇王以外の男にも、ましてや侍の類いに頭を下げられ慣れていない鈴音は、慌てて前のめりになり、その頭を上げさせようと手を伸ばす。



「近藤、この年、最後の頼みである。」



 伸ばされた手が、はたと動きを止める。


 この年、最後……。



 その言葉が耳に引っかかり、手の動作すらも停止させたのだ。



「僅かな時で良い。

総司の姉代わりをしてやって欲しい。


ほんの少しで良いんだ。


数日、いや、元に戻るまで……とは言わず、戻ってからでも変わらずっ。」



 男が口を開く度に滲み出る本音が、鈴音の体を後ろに引き上げていく。



「結構、お前、厚かましいのな。」



「それも承知のうえでぇっ。」



 大きな体が抑えきれない駄々を表すように、上下左右に小刻みに動く。


 大将というより大きな童に相応しい。


 他人のために下げられるほど軽い頭ではないものを、誰かのためであれば容易く下げてしまうのか。

 図々しくはあるが、そんな近藤に嫌悪感を抱くことはなかった。



 ただ……。



 力になってやれるようには思えない。



 鈴音が困っていると、仮初めの主人が彼女の名を呼びつける。



「特別何かして欲しいって訳じゃねぇ。


総司が寄ってきたら、今日みてぇに相づちうって相手してやるだけで良い。


変に慰めてやろうともせず、向き合ってやってくれ……そのままのお前で。」



 まばたき二度の後。



「分かったよ。」



 小さく鳴る鈴と同時に、近藤の体ががばっと持ち上がり、華奢な両肩を力強く掴む。



「ちょっ……。」



 赤くなった額に視線が奪われ、鈴音は何を言いたかったのか、言葉が飛んでしまう。



「ありがとう。」



 ただ一言。


 飾られることもない一語が、近藤から伝えられる。


 量でもなければひねりや、物でも表せない。


 たった一言、率直に述べれば伝わるものがそこにはある。


 鈴音は、近藤の額から目を逸らし、ゆっくり首を縦に振った。



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