第二章 ツギハギ(26)



「やはり術を使うだけあって、賢い女子なのだな。」



 思わず溢れた唸るような独り言を漏らしながら、近藤は話しの続きを再開させる。



「婿殿は、総司のことであることないことミツさんに言いいつけ、それを聞いたミツさんは、総司に対してより厳しく接するようになったそうだ。


元から悪戯好きで、少し我が儘なところもある子だったから、彼女は総司が本当に悪さをしていると思ったんだろうなぁ。


一家の主を立て敬うことが武家の女の姿であるから、余計に婿殿の言葉を重んじたところもあるのかもしれない。」



 先の見えた話しではあるが、鈴音は何も言わず耳を傾ける。



「厳しく躾ても、婿殿の不平不満は納まらない。

ミツさんからすれば、総司が言うことを聞かないという認識だったのだろうから、だんだんと疎ましく思えてきたのかも知れないな、総司が。」



 一拍の間に、鈴音は視線を落とす。



「あいつが内弟子として試衛館(うち)に連れてこられた日のことは、今でもありありと目に浮かぶんだ。


捨てないでくれと、良い子にするからと。


喉が裂けるんじゃないかと心配になるくらい泣き叫んでいた総司の姿も。


一度もそれを振り返らず去って行ったミツさんの後ろ姿も。


……伸ばされた小さなあいつの手が、払いのけられた様子も……。」



 自分に起きた悲劇を語るように、嘆かわしげに歪む顔と、冷徹に障子戸に向けられている顔。



 あの男にすれば聞き慣れた話なのかもしれない。



 それでも……。



 大将と尊ぶ近藤が話しているなか、どこか集中しきれていない面持ちでいるのは、どうしてなのか。



 先刻までは、そんな様子ではなかった気もするが……。



 端正な造りの鬼の顔を盗み見ていると、丸く薄黒い影が上から下に流れ落ちていく。


 綺麗な顔を不規則に辿って落ちる影を見て鈴音も障子に目を向けた。


 格子状に組まれた木枠。


 そこに貼り付けられた白い和紙。



 その純白の上を、すりきれていない淡い墨の黒が落ちていく。



 幾度も幾度も。



 下へ向けて落ちていく。



 あぁ、牡丹雪になったんだな。



 少し大きな丸の影に、鈴音は寒さも増したんだろうと、再び土方に顔を戻し、そうして息をのんだ。


 障子越しに雪を眺める顔。


 そこに映る雪の影は、切れ長の瞳から頬を伝うように滑っていく。



「うちに来た翌日から、総司は俺に気に入られようと機嫌を取ったかと思えば、悪さをしでかしたりと、本当に目茶苦茶だった。 


……そうなるに違いないよな。


幼い……ただでさえ寂しがりな子が、そんな仕打ちの中で生きてきたんだ。

総司の心も、同じように目茶苦茶だったんだろう。」



 目尻に涙を溜めている近藤も、牡丹雪の影に視線を捉えられたようなこの男も同じなのだ。



 表に見えたか見えないか。



 ほんのそれだけのことである。



「今でこそ、あれほどに懐いてくれているがあの時はどう接して良いのかも分からず、たいへんだったなぁ。


なんせ原田君や永倉君達、今いる知己達も道場を出入りする前のことだったし、唯一顔をだしていたのは、源さんとトシだが……。


その時のこいつは、家業のついででたまに来るくらいだったから、源さんと俺一人でこの子をどうしてやろうかと毎日あくせくしたっけなぁ。


……考えればあの頃よりかは遠くまで来たものだな、トシ。」



「何言ってやがる、近藤さん。」



 近藤に顔を向けた土方は困ったように笑う。



「まだまだだろ。

もっと上まで行かねぇと。

このくらいを遠いだなんて、年寄り臭ぇこと言うもんじゃねぇよ。


あんたがしっかりしてくんねぇと、俺たちは上れねぇんだから。」



 これは手厳しいなぁ、と後頭部を撫でながら、近藤は土方から困り笑顔を貰い受ける。


 そんな友の肩に拳を軽く押し当て笑う鬼。


 鈴音は二人に気付かれないように、火箸でそっと炭を転がした。


 自分の存在が、この場には不必要なものに思えたからだ。こっそり部屋を後にすることも考えるが、それはそれで場違いさを際立たせてしまうようにも思え、仕方なく炭を虐める。


 話しの本筋がズレてしまったことを常のように正さないのは、近藤の昔語りに鬼も忍びない気持ちを抱えていたからなのだろう。


 居心地の悪さを炭で誤魔化すしかない鈴音ではあったが、旧友同士の戯れを見ていると顔の筋肉が弛んでいくのを感じた。


 ここに来てまだ間もなくはあるが、月を約二つは共に過ごしている。そんな中、こんなふうに二人が掛け合う様を、目にする機会は多くなかった。



 だが、本来はこうなのであろう。



 駆け上がるにはあまりにも急な坂道の上に夢を見ている時は、きっと毎日をこんな風に過ごしていたのかと、京に上る前の彼らを密かに胸に描いていると、近藤が、「あ。」と声を上げる。 


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