第二章 ツギハギ(23)

「分かっているのか。」



「ん。

あぁ、このくらいならあたいだって作れるよ。」



「そうではない。

分かっているのかと尋ねているのだ。」



 言葉足らずの斎藤との会話は、新参者である鈴音には難しいものであった。

 まだ誰のことも知りきれていない彼女は、隠された彼の言葉を掘り起こすことはできなかったが、声色の具合から斎藤が不満を潜ませていることは察することができた。



「何怒ってんだよ。」



 怒りの原因がはっきりとしない要領を得ない会話に、鈴音の言葉にも棘が潜む。



「貴様がするからであろう。

そんなむごいことを。」



「はぁっ。

何のことだよ。」



 喧嘩っ早い性格の鈴音であったが思慮の欠片は多くある方であったため、苛立ちを滲ませながらも斎藤が何に対して怒っているのか、考えてやらない訳ではなかった。



 自分がとった行いを順に思い出していく。



 まず始めに握った手のことが思い出された。ただ、その時の怒気と今の怒気は比べものにはならない。


 次に足下に並べた膳と、真後ろでこそこそ様子を見ている童が思いだされるが、どれも腑に落ちないものである。



 もうどうにも分からない。



 静代がいればと頭を微かに振った時、それが閃光のように視界を横切っては消えた。



「……。

お前、味噌のこと言ってんのか。」



 斎藤に異変が起きた辺りの自身の行動と言えば、それしかない。



「他に何がある。」



 言葉足らずである己が欠点を思い出した斎藤の語気が少し弱まる。いつも言葉の手助けをしてくれる藤堂は、今この場にはいないため心許ない気持ちを抱きながらも、鈴音と向き合う。


 武士という名に、己にかけて間違ったことは述べていない。


 伝わっているかは別として。


 言葉尻の強弱と眼差しが不釣り合いな斎藤に、鈴音は答える。


 面倒くささを巻き付けた言葉で。 



「あんなに味噌入れようとしてっから、止めてやったんだろ。

それ全部入れたら、辛くなるに決まってんじゃねぇか。

目分量が分かんねぇなら、味見しもっていれんだろ、普通は。」



 斎藤は愕然とした。



 立っているのもままならないほどの衝撃であった。



 味見をしながら調節をしていく。



 何度試行錯誤を繰り返しても辿り着くことの出来なかった、極めて単純な方法である。そのような微調整で味を突き詰めながら、皆、当番に励んでいたというのだろうか。


 斎藤は自身が情けなく思えた。篦を持つ手が僅かに震える。



 そんな様子に米粒程度の戸惑いを感じながら、鈴音は近くの具材や味の足しになりそうなものを本当の目分量で投げ入れていく。


 脱力しきった飯当番は、視界の端でそれに気がついてはいたが、自身を責めることを優先した。


 興味深そうに足を無理に伸ばし勝手台を覗き込む丸い目に見守られながら、鍋の中身は再び混ぜられる。


 数回箸で茶色の世界を分断すると、鈴音は食台に乗せられた小皿に手を伸ばす。

 軽く袂で中を拭いてから鍋の世界を一部取り分けてやると、それを呆然とする男に差し出した。



「こんな程度で良いのか、お前が食って確かめてくんねぇと。」



 突き出された紛うことない味噌汁の色と香りに、遠退いていた意識が鼻から引き戻されていく。



 何故、己で味をみないのだろう。



 彼女の先刻の言葉からふと、そんな疑問が浮かぶが、斎藤は敢えて口には出さず小皿を手に取った。


 鼻孔のくすぐりと合わせて、じゅっと滲む唾液が味見をするまでもなく、その答えを告げている。


 陶器を満たす汁は外気と器の冷たさにその熱を奪われてはいたが、体を温めるには十分な熱さであった。


 そんな熱を息つく間もなく舌に広げたい気持ちもあったが、念のため数度吐息を絡ませる。


 幼い光を宿した瞳と視線が合ったのを機会に、小皿の中身をぐっと口に流し込む。



 舌を虐める熱さと同時に広がる味噌のうまみ。

 ほんのりと香る苦みと、どことないつれなさは、何か特別なものを入れたことによるのだろう。



 屯所の中でこんな味噌汁を食べたのは初めてのことである。食に疎い斎藤の口が、その味をもう一度求めるほどの味であった。



 知らぬうちに閉ざしていた瞳を開くと、少し不細工に結われた総髪と、その後を追う童の姿が勝手場から去っていくのが見える。



 この胸の感情を伝えたく呼び止めようとするが適当な言葉が思いつかない。


 それだけでなく、口を開くと舌に残るうま味が逃げ出してしまうように思われ、無闇に言葉の門扉を開閉することが躊躇われたのだ。



 何も言わずに二人を見送る斎藤。



 完全に一人になった彼は鍋に向き直ると、突き刺されたままの杓子で汁をすくい上げ、それを小皿から再び口に運ぶのであった。







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