第二章 ツギハギ(10)
鈴音の右手が柄に添えられる。
「そんなこと、できないよ。」
にたぁっと口が開く。
その隙間から見える口内は血のように赤く見えた。
人の心を読むだけといえども、所詮は妖怪。
食い物として人を食らうことは、造作も無い。
斬れば良い。
抜刀するために力強く鞘を握ると、それをさせまいと子供達が女を取り囲む。
「こら。」
近藤が慌てて嗜めるが、小さな兵隊はもう動く素振りがない。
「どけ、くそガキ。」
頑として動かぬ傭兵は、抜かれた刃に怯まず立ちはだかったままである。
「操られているのか、って今、そう思った。」
さとりの笑みが近藤に向けられる。
まだ見慣れぬ人成らざるものに、若干のたじろぎを見せた。
「怖い、怖い。
そんな気持ちになっているんだね。」
さとりの頭が一回転。
けたけた笑いながらぐるりと回る。
「ガキを返しな。」
「お友達だから。
それはできないよ。
僕と一緒にくる方がきっと楽しい。」
鈴音は思わず鼻で笑ってしまう。
「最後はお前が食い殺すのにか。」
「うん、そう。
でも、それまでは楽しく遊んでいられる。
働く必要もないし、家を手伝う必要だってない。
ただ、僕と遊ぶだけ。」
「それは……、友達というのかい。」
近藤の言葉を背中で聞く。
妖怪に何を説き伏せようと言うのだろうか。
そんなことに何の意味も無いというのに。
それでも鈴音は近藤の話を背中に受けた。
「自分が寂しいからといって、相手のことも考えずに連れ去って、
必要がなくなったら、その……食うのだろう。
全部……自分のためだけじゃないか。」
「それの何が悪いの。」
無邪気な笑みは消えることもない。
「何が悪いって、それは……。」
自分のことしか考えていないからじゃないか、という言葉が詰まる。
先ほど述べた言葉で伝わらないのだ。
似た言葉を並べたところで何になるのだろう。
「無駄なんだよ。
道理が分かるような相手なら、端からんなことはやっちゃいねぇさ。」
小柄な背中から放たれた言葉が胸を貫いていく。
貫通した心の穴には虚しさが漂う。
「ふふふふふふふふふっ。
悲しいと感じているの。」
近藤は表を伏せる。つぶらな瞳が全てを見透かすことに恐怖を抱いたからだ。
だが、伏せられた眼玉に、
警戒心を解かず自身を睨めつけている沖田の姿が映った。
はっとして顔を上げる。
「総司をなんで子供なんかに……って考えてるの。」
言葉を先に奪われた唇は閉じきらず、微かに開いたままである。
「この笛の音は子供にしか聞こえないんだ。
だけど、幼少に返りたいと思っている大人には聞こえるみたいで、
そんな人は皆子供に返ってしまう。
でも、僕はいらないよ。
大人だった子供なんていらない。
一緒に遊んでも楽しくなさそうだし、不味そうだから。
役に立ちそうにないものはいらないんだ、僕。」
笑い声を上げるさとりは、腹部に鋭い痛みを感じ仰け反る。
足下には笛の音で手懐けた傭兵が倒れていた。
目を見開きながら顔をあげると、白刃が迫っているのが見える。
寸でのところで転がるように身をかわす。
「鈴音さんっ。
なんてことをするんだ。」
暴れ馬に蹴散らかされた子供達を土方と受け止めながら、
距離が遠退いた背に声を上げる。
「本当……。
驚いたぁ。
僕の友達だよ。」
目の前の悟れない女に、さとりは苛立つ。
常であれば相手の瞳を覗き込むだけで何を考えているのか、
文字として浮かべてみることができた。
だが、鈴音の心を覗こうとすると、深い靄の中に誘われていくような気になる。
どうしても見えない。
いや、見えるようで見えない。
隙が生まれない限りは覗けない。
さとりの歯がぎしぎしと鳴る。
「お前に食い殺されるのと、かすり傷で生きて戻るのと、どっちを選ぶだろうな。」
「いや、だからといって年端もいかない子供を……。」
体で叫ぶ近藤の胸元に土方の手が触れる。
何故、止めるのか。
自身の懐刀とも呼べる存在の視線に気付く。
辿らずともその先に何があるのか察しが付いた。
ソレに視線を向ける。
鋭く光らせた瞳に涙を溜めた沖田が、口をきつく結んで佇んでいた。
「どっどうした、総司。」
無理に近づけば逃げてしまうかもしれない。
および腰で声を掛けながら、幼子の背後にふと目をやると、
その背に合わさるように華奢な背中が見える。
「もしかして……。」
総司の異変に気が付いたから……。
先ほどは遠く見えた背中が、そう遠くはないように思えてくる。
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