ツムギノカケラ(11)



「あ。」



 橋板を支える支柱の側に、白く浮き出たものを見つけ、鈴音はざぶざぶ川を進む。ごつごつとした石の角が足の裏を刺激するが、それを早く引き上げたい気持ちの方が大きく、どんどん歩く。



「やっと見つけた。

ったく、早く出てくりゃ良いのに。」



 水中から救うようにそれを引き上げる。


 灰がかった色味の水から顔を覗かせたのは髑髏であった。


 腐敗した皮膚や毛髪が所々に残り、眼孔にはヘドロが入りこんでいる。

それが空気にさらされたことで異臭が増し、ぬるついた腐敗物が手を伝って流れ落ちていく。


 川本来の泥臭い臭いとは異なる、肉が腐った酸いような、吐き気を呼ぶ臭さであった。


 鈴音は髑髏を落とさないように指の力を強め、それを水に浸す。

 綺麗な澄んだ水ではない。底も見えないような汚れた川であったが、取り残された人間の一部を洗い落とすには、十分事足りるものであった。



 そうして頭部の円に沿うように、片方の手で白い骨を何度も撫でつける。


 彼女の手が白い丘を繰り返し滑る度、ぬるぬるとした泥まみれの髪が指に絡まり、水に放たれ、川面の奥へ吸い込まれていく。


 白骨部分だけが手の中に残るまで、鈴音は繰り返し骨を洗う。


 優しく、そっと。


 傷んだ骨が砕けないように、優しく優しく。


 何度も何度も。


 腐臭漂う汚れを水の底へと落としていく。



「もう良いか。

これ以上は綺麗にできねぇぞ。」



 答えるはずもない骸の一部に冗談めかして笑うと、川岸へ引き上げる。


 水を吸った着物の重みに足が負けそうになるが、早く岸に上がってやりたかった。

 まとわりつく水から勢いよく足を持ち上げる。しぶきが音を立てながら、

鈴音の足を離れ水面に帰っていく。


 いつぶりかの草と土の感触は、ふやけて感覚が麻痺した足裏には何も伝わらない。

一枚分厚い布を挟んで地面に立っている。そんな感覚だった。


 普通の者であれば、すぐ様に暖を取るため火を起こしたり、手拭いで濡れた部分を拭くといったことをするのであるが、彼女はそれらをしないで一直線に歩みを向ける。


 覇王が掘ったあの穴に向けて、地面を踏んだ。


 凍てつく水の冷たさも、曖昧なものとしか取れない鈴音にとって、冬の川は大したものではない。普通の者からすれば、身を刺すように冷えた水中に体を浸けるなど、自死に近い行いである。だが、四季を感じとることができなくなった鈴音にすれば、寒さも暑さも大したことはない。


 それでも感覚が麻痺をしているだけなため、皮膚の限界こそは変化しておらず、鈴音の白い手足は、斑に赤らんでいた。その冷え切っているのであろう四肢に、少しの痛みはあるが、それ以上のことは何もない。あってないような痛みである。


 それが時に虚しさに成り代わるが、今はどうでも良かった。



「よいしょっと。」



 濡れた袴に土が密着することを厭わず、彼女は穴の前に、どさっと腰を下ろす。


胡座を組んでできた、足のくぼみに髑髏を乗せる。



「ったく、薄情な連中だぜ。

あたいが川から上がったら誰もいねぇんだから。」



 胸の袷に手を入れるが、手拭いが見当たらない。



「あっ。」



 という驚嘆の声と共に、手拭いの居所に見当が付く。


 溜息が漏れた。


 静代が繕ってたか……。


 少し前、顔面に投げつけられた手拭いの柄が、やけにゆっくり思い出された。



「使おうと思ってんのに……。

ったく。」



 唇を少し尖らせるが、息を吐く間に元に戻る。

 手拭いが無いのだから仕方が無い。

 鈴音はおさがりの着物の袂で、濡れた髑髏を包む。


 湿った袂では、骨の水気を十分に拭ってやることはできないが、ぐっしょり濡れているよりはましであろう。



 彼女は髑髏と向き合う。



 眼前の高さに腕を掲げ、かつて瞳が座した闇を見つめる。



「もう、誰もお前を傷つけたりしないから。

ゆっくり休めよ。


大丈夫。


お前が土に帰るその間だけ、誰にも邪魔されないように、あたいが結界を張っててやるから。


だから、ここで休みな。」



 前屈みになりながら、穴の中に髑髏を寝かせる。



 どんな言葉も橋の魔に届くことはない。幽霊として彷徨っていただけであれば、

魂は残ったのであろう。だが、人を食い殺し魔のモノに身を落とした段階で、魂は穢れる。人でありながら人ならざる者と化してしまう。


 その穢れと罪は大きく、一度祓われれば魂は消滅し二度と戻ることはない。


 そんなことは承知であるが、鈴音は髑髏に声をかけてやりたかった。魂魄がない以上、こんな弔いをしたところで、覇王が言うようになんの意味も無い。


 それでも、少しでも静かな場所で人らしく終わらせてやりたいと思ってしまう。



 自分が関わってしまった妖物だけでも良いから。



 魂が失われ、来世がないと分かっていても良いから。



 誰にも届かない、自己満足でも良いから。



 人間に、戻してやりたい。



 形だけでも良いから。



 自分が人に戻ることができないから、余計にそんな感情を抱いてしまうのかもしれない。



「これじゃぁ、本当に自己満足になっちまうな。」



 自嘲した笑みを、髑髏を通して自分に向ける。



「まぁ、それでも散々悪さしたんだから。

最期はあたいの気持ちに付き合ってくれよ。

良いだろう。

もう積めない徳を積ましてやんだからさ。」



 笑みを浮かべた鈴音は、髑髏の頭部に手を添える。



「じゃぁな……。

おやすみ。」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る