第一章 ヒトダスケ(15)
「橋の魔は取り逃した。
あたいが、こいつらにあの場から引くように言ったしさせた。
だから橋の魔を仕留めそこねた。
あと……。
あの、怪我した奴。
あいつは橋の上から周囲を警戒していた時に、橋の魔の尾に刺されて怪我をした。
橋の魔はすぐに獲物を殺さない。
だから、襲われているのも見て見ぬふりをした。
すぐに死なないことが分かっていたし、お前らが妖物を軽く見ていたから、
本当のところどんなものなのかを、ちょっとは思い知れば良いと思って助けなかった。」
味方と信用されていないような中で、嘘の報告をする者は、なかなかにいないだろう。
そもそも今、そんなことをすれば、同行していた土方から異を唱えられ虚偽であることが知れてしまうのだ。偽ったところで何の意味もない。
鈴音を見つめていた誰もが元よりそう思っていたが、彼女の口から並べられた言葉を聞き、ありのままの報告なのだとより確信した。
鈴音から発せられた言葉は自身の功績を誇るものではなく、誰かに責任を押しつけるものでもない。
どちらかと言えば、襲撃を見て見ぬ振りをしたという自分の立場的に不利な発言をしている。
話終えた彼女の様子から、それが失言でもなく自身の意思を持って述べられたものだと感じ取ることができた。後ろ手にふんぞり返るその様は、失言をした者の様にしては、あまりにも大きな態度だ。慌てて取り繕う発言も挙動不審な動きを見せることもない。だからこそ、その場の人間、特に近藤は嘘でないと確信を得ることができたのだ。
「そうか……そうか。」
近藤は、鈴音の言葉の余韻を噛みしめるように大きく頷きながら、二度頭を縦に振った。
目的の妖物を取り逃しこそしたが、それ以上に大きな成果を得ることが出来たと、彼は密かに高揚する。
これは今後の新選組にとって、大きく重要な一歩であった。
今まで全く前進しなかった妖物退治の道が切り開かれたのだ。今すぐにでも鈴音に駆け寄り膝に軽く乗せられた両の手を握りたい衝動にかられたが、近藤はぐっと腹に力をこめ自制する。
そんな勢いにかられたのは近藤だけではなかった。あらゆる似非術者に苦汁を嘗めさせられてきた組長達は、みんな同じような気持ちであったに違いない。
京という小さな場所で本物の術者に出会えるはずもないと、諦めを抱いている者も中にはいた。それがこんな棚からぼた餅形式で突然に出会えたのだ。
手を握りしめたり肩を抱くどころか、胴上げをしたり、
できる限りのあらゆる持て成しをして、鈴音達を讃えたいような気分だった。
部屋に漂う風向きの変化に違和感を覚えた鈴音は眉音を微かに寄せる。
何故急に周囲の者の空気感が変わったのか、彼女自身には分からなかったからだ。
歓迎されるような、相手にとって有利な話をしたつもりはない。鈴音にしてみれば聞かれたことを、必要な部分だけに省略して話しただけだった。
それに自身は、妖物を甘くみている新選組の連中に、お灸を据える意味も込めて
怪我人をも出させたのだ。
怒鳴られたり斬りつけられる反応こそあれど、この微妙な祝福感を向けられるとは微塵も考えていなかった。
だからこそ、鈴音は余計に対応に困ってしまう。
体を走るむずむずとしたきまりの悪さを隠すように彼女は胡座を組み直す。
「うん。
報告してくれて有り難う。
君が手伝ってくれたおかげで、トシ達は命を落とさずに済んだ。
感謝している。」
近藤が、鈴音に向かって額が畳につきそうなほど深々と頭を下げると、
土方、永倉を除く他の組長も近藤に倣い頭を垂れた。
寄せられていた鈴音の眉音は、正しい位置に帰るが、今度は眉尻が下がってしまう。
大の男達、それも武士に頭を下げられ、どのような返しをすれば良いのか分からず、助けを求めるように静代に顔を向けるが、
彼女は鈴音に口元を緩めて見せるだけで何の助けも示してはくれなかった。
頭を下げられるようなことはしていない。それだというのに、何故ここまで感謝をされるのか。
考えても分からず、感謝されているというこの雰囲気が恥ずかしい。
近藤達にどう答えるべきなのか、結局正しい対応を見つけられなかった鈴音は、
彼らから顔を背けるしかなかった。
行灯だけのほのかな灯りしかない部屋。
長い前髪が表情を隠していることもあり、額を上げた近藤達には鈴音が不機嫌な
様子に見えたが、実際はそうでないことを静代はよく知っている。
彼女が本当は感謝されたことをどこか恥ずかしく思い、陶器色の頬を灯火のように赤く染めていることを。
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