第一章 ヒトダスケ(11)
「おい、あれは何だ。」
土方の問いかけに、顔を向けることもなく鈴音は答えた。
「蛇だろ、雌の。」
物の怪の存在に気がついた隊士達の怯えた声が、背後で聞こえ出す。
それを見て妖物は、赤い下をチラチラ覗かせながら嬉しそうである。
「……あれは、蛇なのか、雌の。」
「蛇の胴体に女の体がくっついてんだから、雌の蛇なんじゃねぇの。
雄ではないだろ。」
「蛇に雌とか雄があるんですか。」
「そもそも、あれは蛇なんですか。」
土方を押し潰さんとする勢いで寄り集まった隊士達が、あれやこれやと鈴音に質問を投げる。
「おい、うっせぇぞ。
てめぇら敵前だ、わきまえろ。」
叱責されると、一同は身を縮ませ静かになりはするものの、
土方にできる限りくっついていようとする様子は変わらない。
鬼と恐れられはするものの、ただの悪鬼ではないようだ。
一本の串に寄りつく丸餅達を隣に感じながら、鈴音は小声で呪文を唱え呪詛をかける。
呪詛とは、言葉に自身の霊力を重ね合わせることで呪いとする、いわば言霊と同じようなものだ。
呪詛を使えば、姿を変貌させたり誰かを殺すこともできる。万能な呪いと表現するのが一番相応しい。
鈴音は、橋の魔に睨みを利かせながら霊力をこめ言葉を飛ばす。
その身が解き放たれ、それぞれが元ある場所へ戻るよう。祈りを込めて言霊を結んでいたその時だった。
鈴音の長い髪を揺らめかし、何やら大きな塊が川の方へ向かって半円を描きながら落下していく。
恐れに負けた一人の隊士が誰の指示もないままに、近場にあった大きな石を、
川に向かって投げつけたのだ。
でたらめに投げられたはずのそれは、ご機嫌に人間を見物していた妖物の額に命中した。
それはそれは、とてつもなく痛かったのであろう。
妖物は、言葉にはとれない大きな悲鳴をあげながらのたうち回る。
土方はこの期を逃してはならないと、抜刀をしながら妖物めがけて駆けだしていく。
石をぶつけられたことを痛がるのであれば、刀で斬りつけることも十分打撃になる、そう考えたのだ。
物の怪だの妖物など、大それた名で呼ばれてやがるが、結局刀で斬れんじゃねぇか。
土方は、刀の柄を両手で握ると頭上高く構えながら飛び上がる。
激しく身をよじらせる妖物の腹付近、ちょうど人間の部分と蛇の部位が交じり合う境目を狙う。
「あの、馬鹿っ。」
鈴音が待てと声を上げたときには、もう遅かった。
土方が振り下ろした鈍色の刃は、妖物の腹をかすめる。
鋭い瞳で土方を捉えた妖物は、その身を引きながら刀身をかわす。
わずかに飛び散った赤い雨の中、獲物を仕留め損ねた刃が空を斬る。
地面に爪先が触れたと同時に、腹部に強い衝撃を感じながら土方の体は再び宙を舞った。
川面からうねり上がった妖物の尾が、土方を払い飛ばしたのだ。
背中と首に痛みが走り、砂が跳ね上がる。
地面に打ち付けられた勢いで、右手が刀を手離してしまう。
仰向けに転がる土方の上に、水飛沫が散らばり落ちる。
僅かばかり覗く月光の光が滴に反射し、
きらきらとした星の輝きが降ってくるように思えた。
怒りの咆哮が妖物からあがり続けている。
土方はすかさず体を起こし刀を手にしようと腕や腰に力を入れるが、鈍く刺すような痛みに上体を持ち上げることが出来ない。
「っ……。」
投げ飛ばされた際、とっさの判断で頭をかばいながら受け身を取ったため、大事には至らなかったが、結局、致命傷を避けただけで見に見えない負傷はしているのだろう。
「副長。」
腰を引かしながら、隊士達が土方に駆け寄ってきた。
「俺の刀を取ってくれ。」
一人の隊士に支えられながら起き上がる。 刀が手元に来たところで、起き上がれど斬り込む余裕は残っていない。
鬼としての威厳を貫こうとしただけである。
引くなら今か。
隊士達に後を任せたところで勝てるはずもない。
がむしゃらな突撃は、隊士を無駄死にさせるだけである。
それに……。
橋本も限界だろう。
隊士が背に負っている橋本に視線をやると顔の血色が悪くなっており、呼吸も耳を澄ませなければ聞き取りにくくなっている。
我を忘れ荒れ狂う妖物に視線を移しながら、土方は歯を食いしばる。
「お前ら、橋本を連れて引け。
奴さん、今なら頭が回ってねぇようだから、
気付かれないように後退すれば、橋まで戻れるはずだ。
物音を立てねぇように気をつけろ。」
その言葉に異を唱える者も、それらしい顔をする者もいなかった。
誰もがその場を離れたいと思っていたことは確かだろう。
上背のある生身の同じ人間を相手にするのであれば、誰もここまで怯えはしなかったはずだ。
技も力も見てくれも何もかも予想ができない。そんな相手に挑む恐怖は、蛇を前にした時の得も言われぬ不安と恐怖と相違なかった。
「あの、副長……。」
「何だ。」
「殿は……。」
「……殿は、俺が請け負う。
だから振り返らずに行け。
後ろは護ってやるから。」
強い光を宿す瞳を隊士に向けると、彼らは静かに頷いた。
「おい、出られると思ってんのか。」
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