第一章 ヒトダスケ(5)
覇王は鼻で笑い、頭を乱暴に掻きむしった。
「何がおかしい。」
「確かに、俺がお前らに協力したって何の得もねぇさ。
これっぽっちもな。
まぁ、納得なんざできないだろうが、手伝う理由があるとすれば、気に入ったからだな、お前らの局長を。
このおっさん、粋だよなぁ。
庶民の店なんざ気にする必要もねぇってのに、丸腰になってでも様子見に行くなんてよ。
俺ぁよぉ、そういう心根に惹かれたから協 力したくなったってわけよ。
けどなぁ……」
呆れを感じさせるような深く長いため息を吐きながら、覇王は言葉を続ける。
「このおっさんは、こんなに器が広いってのに、その下にいる奴がこんなんじゃなぁ。
特にお前、トシとか呼ばれてたっけか。
まずは自己紹介が普通だろ。
信じらんねぇわ、人間として基礎的なことができてねぇなんてよ。
まぁ、それは置いといたにしても、自分達の置かれている状況分かってんの。
結構、上の連中に詰められてんだろ、おっさんから聞いてっけど。
あのさぁ、偉そうに言うわけじゃないけど女はいらねぇとか、そんな我が儘言える状態かよ。
第一、物事の教えを乞うのに、男も女も関係ねぇと思うがなぁ。
頭の固い奴だぜ。
意地張ったって仕方ねぇだろ。
何の知識も力もなく、刀で突っ込みゃ勝てると思ってんなら、お前ら幸せな連中だよ。」
風が草木を揺らす音が聞こえる。
返す言葉が見当たらない。
ぐうの音も出ないとはこのことだった。
新選組があやかし退治において功績をあげなければ、取り潰しの可能性も示唆されており、誰が何だと品定めができる余裕はない。これまでに、何度か霊者・術者と謳われる人物に声を掛け依頼をしたが、その全てが偽物だった。
微力ながら何か力があると思われた者もいたにはいたが、あやかしを祓うまでの力はない。
結局、高額な報酬を要求され、金を奪われたに過ぎなかった。
近頃では、その支払いにあてる金すらない。そのため迂闊に人を頼ることもできず、頼ったとしても、強烈な圧で依頼料を踏み倒すことしかできないでいた。
「けっ。
どうせ、協力者を探す段階から進んでねぇんだろ。
世の中そんなに術者で溢れてるわけじゃねぇんだ。
そんな奴がそこかしこにいんなら、とっくにこの町は平和になってんだろ、普通に考えてよ。
へたに依頼すりゃぁ、騙されて金毟り取られんのが関の山ってもんだ。
言っておくが、日ノ本中を探したって俺に並ぶ術者はいねぇから。
まぁ、いたとしても一人だけだな。
こいつだけだ、俺が一から十まで術の何たるかをたたき込んだ、こいつな。」
隣に座る小汚い女の肩に腕を回す。
女は恥ずかしがる様子もなく、胡座をかいている。色あせ繕いまみれの裾が大きくはだけ、色白の足が左右重ね合わされている。
どこをどう見ても覇王が言うような優秀な術者には見えない。
だからといって、いかさまの割には大胆なうえに、そのフリをする素振りもない。
信用に足るのか判断が難しく思えた。
「術の前に、その女にこそ教養ってやつを
つけるべきだったんじゃねぇのか。
男の前で堂々と胡座なんざかきやがって。 恥じらいってもんがねぇのか。」
聞き覚えのある言葉に覇王は、むっとする。
「言ったらできんだよ。
普段はちゃんとしねぇが、ここぞって時は ちゃんとできんの。
なめんなよ、うちの鈴音を。」
なっと、鈴音の肩を引き、自身の方へ引き寄せようとするが、機敏な身のこなしにより、それをかわされる。
重心を傾けていた覇王は、唯一の支えをなくしよろめきはするが、何とか体勢を立て直す。
袖を振られたことのバツが悪かったのか、明後日の方向を見ながら、口笛を吹き出す。
「樹、鈴音様はたいへんお怒りです。
突然、帰ってきたかと思えば、身支度する間もなく、このような場所に連れられてきたのですから、当然のことですが。」
三人の中で一番まともそうに見える女は、話し方にいたっても丁寧だった。
覇王と話したところで埒が明かない。
土方は、話になりそうな女に声をかけた。
「おい、あんた。
名は。」
「……。私ですか。」
「あぁ、そうだ、あんただ。
この中で一番、まともに話ができそうなのは、見たところあんたしかいなさそうなんでな。」
「そんなことはございませんよ。
鈴音様だって、しっかりお話できますよ。」
「あぁ、そうかい。
で、名は。」
「それはそれは、もう可愛らしい声でお話
されるんですよ。
鈴が鳴っているのを頭に浮かべてみて頂きたいのですが、その鈴の音に負けず綺麗な声にございます。」
「んな情報はいらん。
俺が、聞いてるのは名だ。」
「あら、是非聞いて頂きたかったのですが、仕方ありませんね。
私、静代と申します。
先ほど紹介しました、鈴も恥じらってしまう可愛い声の、あ、お顔も可愛いんですけれども、あちら鈴音様にございます。
ちょっと前髪が伸びすぎて、不気味な感じになっておりますけれど、近々、整えますので。
樹ふくめて、以後お見知りおきくださいませ。」
名前を答えるだけで、どれだけ時間を食おうってんだ。
当てが外れた土方は、自分に対してまで苛々し始める。
どいつもこいつも話にならねぇ。
こうなりゃ、力尽くで追い出すしかねぇわな。
斬るとでも脅しゃぁ帰るだろ。
あいつの腕前は、気になるところだが。
土方は、鈴音の傍らに置かれた刀に目をやる。
無造作に置かれた刀の鞘に、左手が添えられていた。色の白い手は、黒鞘によく映えている。
腰を下ろした時から、その手が鞘の側を離れたことがないのを、土方は見落とさなかった。
いつでも抜刀できるってか。
一番訳の分からない奴が、一番まともだったのかもしれねぇな。
こんな多勢に三人で入り込んでくるんだ。
警戒しない方がおかしい。
失笑してしまいそうになる口元に力をこめなおし、三人を見据える。
茶番は仕舞いだ。
「おい、おめぇら。
良い加減に……。」
「もうやめんか。」
土方は、声音から本気で殺意を持っていることを示そうとしたが、それは成されなかった。
近藤の大きな声が、土方の声をかき消し、広間中を駆け渡ったからだ。
もしかすると、屯所中とする方が正しいのかもしれない、そう思える程、腹の底から出された声であった。
「二人とも、もうよさんか。
本当にトシは血の気が早いうえに、頭が固くてな。
うちにいるのは、だいたいそんな感じでもあるんだが……。
すまないな、覇王君。
無礼をはたらいたこと、許して欲しい。
それから、静代さんと鈴音さんだったかな。
二人にも、嫌な思いをさせてしまって、本当に申し訳ない。」
近藤が、深々と頭を下げる様子を見た幹部の面々は、土方へ一斉に視線を向けた。
お、俺が悪いってのかよ……。
幹部、特に沖田からの冷たい視線に、土方は、そっぽを向く。
新選組のためとはいえど、大人げない点があったという自覚が、心のどこかにはあるのだろう。
「お詫びをしたうえで、改めてお願いしたい。
我々を助けて欲しい。
その力を貸して頂きたいんだ。」
近藤の大らかさに、覇王は、膝を打ち、「よし来た、いいぜ。」と、ご機嫌だ。
「ただ、さっきからの話で分かってるとは 思うが、俺はお前らと一緒には生活で
きないからな。
俺は、自由でいたいし、雑魚相手に借りだされんのも、男にまみれんのも得意じゃねぇんだ。
勿論、顔は出すし協力もするが、細かいこ と含めて全般は、こいつらに任せる。
それは、許してもらわねぇと手は貸せない。」
「あぁ。その件に関しては、大丈夫だ。
しかし一点だけ。
新選組に女子がいるとなると、それは少し問題になってくる。
だから、お願いできる立場ではないのを、重々承知で言うのだが、二人には男装をして過ごしてもらいたいのだ。
部屋からでない時は、勿論、好きな着物でいてくれて構わないんだが、それ以外の時は男のフリをして生活して欲しいのだ。
構わないだろうか。」
「なんだ、そんなことか。
着物着せといてくれんなら、構わないさ。」
なんてことはないと言わんばかりに、愉快そうに、太ももを叩きながら覇王は笑う。
「あ、いや、覇王君。
俺は、彼女たち二人の答えを聞きたいんだ。
どのような術者であっても、女子は女子。見ての通り、こんな男所帯だ。
窮屈に過ごさなければいけないことは、目に見えている。
だから、俺は二人が、本当はどんな気持ちでいるのか、それを知りたいんだ。
何も気にすることはない。
嫌なら嫌だと言ってくれて構わないんだからな。」
「……近藤さん。
俺は、まだ認めちゃいねぇぞ。
それに、他の幹部の連中がどう思っているのか、話合いは済んじゃいねぇ。
それに……。」
「トシ。」
「……。」
あぁ、何を言っても無駄か。
近藤さんは、もう決めちまってんだな。
じっと自分を見つめる近藤を見て、土方は悟った。
竹馬の友という言葉では、計り知れないほどの絆で結ばれている二人には、時として言葉は不要なものとなる。
「皆も、分かって欲しい。
繰り返し会議を重ね、皆の意見を聞いて決めたわけじゃない。
ほぼ、俺の独断で決めることだ。
何かあれば、俺が全ての責任を取る。
だから、今回は俺に任せて、俺の我が儘を聞いてくれまいだろうか。
頼む。」
誰も意義を唱えようとはしなかった。
自分達の状況を、よく分かっていたこともあるが、局長である近藤が頭を下げて、頼んでいるのだ。反対できるはずもない。
「近藤さんが、そこまで仰るなら。」
平助が、それぞれの顔色を窺いながら意見を述べると、各々が意義がないことを述べ始める。
「皆、有り難う。
……トシも、それで良いか。」
「……。あんたの好きにしろ。
けど、俺はそいつらを信用なんざしちゃいねぇからな。」
新選組を護りたい。
近藤と土方の根底にあるものは、同じである。だからこそ、厳しく取り締まる役が必要なのだ。
近藤の大将としての器が、この新選組という船を沈めてしまう杓にならないように。
頑として首を振らなかったところで、近藤の気持ちは変わらないだろう。
ここで俺が、引き下がらないと近藤さんはまた頭を下げて、説得を繰り返すだろう。
そういう所は嫌いじゃないが、大将として相応しい姿じゃねぇ。
構わねぇか。
天女か女狐か、狐であれば斬れば良い。それだけのことだったな。
土方は、近藤に渋々笑みを向けた。
「有り難う、トシ。
いつもすまないな。」
本心が、どうであるか。
近藤も土方の内心を汲み取ることはできたが、賭けにでなければ新選組に明日はない。
ここで保身に走ったとしても、この件に関する別の機会など訪れないない可能性の方が高い。
どちみち新選組の明日が暗雲の中にあるのであれば、今あるこの賭けにでたところで同じことである。
近藤は、覇王達の方へ向き直り、改めて答えを求めた。
「正直、戸惑ってはございますが、約束は
約束にございますし……。
男装くらいであれば、かまいません。
私も鈴音様も、どれだけのお力になれるか 分かりませんが、出来る範囲でお手伝いさせて頂きたく思います。」
やれやれ。
覇王は、自然と肩の力が抜けていくのを感じながら、悟られないよう息をつく。
詳しい説明もせず、無理矢理連れてきたことや、静代が鈴音を危険な場所に巻き込むような選択を取るのか、内心どぎまぎしていた。ただ、今回は鈴音を思う気持ちが別の考えに働いたようだ。
静代が首を立てに振れば、よほどでない限り鈴音も同じ返事をくれるだろう。
「あぁ、そう言ってもらえると助かるよ。
これで、新選組は鬼に金棒、百人力だな。
……えっと、鈴音さんは、どうだろう。
君は、どう思っているんだろうか。」
口を開かない鈴音を、どう扱うべきか。
眉を下げながらも、笑みを浮かべたまま鈴音に問いかける。
どう……って。
静代が良いというのであれば、やりたいと思うのであれば、やれば良いのだと思う。
静代が興味を持つのであれば、自分も協力はしたい。
ただ、やっぱり面倒くさい。
何度考えても、どんな手順で考えても、あらゆる可能性を見出してみても、面倒くさいという結論に至ってしまう。
色々教えるのも面倒くさいし、仕事をさせられるのも、微妙に歓迎されていないこの雰囲気も、はっきり言えば邪魔くさい。
本来なら、しなくても良いことをさせられるのだ。
これは、肩身が狭い生活だけじゃない。
毎日、雷を纏ったのかと思うほど、苛々して過ごさなければいけないかもしれない。
そこのところを、分かってんのか、あいつ。
それに……。
人と関わるのが、一番面倒くさい。
側面から背後にかけてむけられている視線分の人数に、前方の二人。
加えて平隊士。
人と距離を取って生活したい鈴音にとっては、全力で拒みたい依頼である。
そのことは静代も、よく分かっているはず。 鈴音のことを、静代はよく理解している。
それこそ、近藤と土方の関係に並ぶほどといっても良い。
だからこそ、鈴音にも分かるのだ。
静代が何故、この依頼を受ける気になったのか。
彼女のお節介にため息が漏れそうになる。
右腕にぐりぐりと痛みを感じたため、顔をやると、樹が引きつった笑みを浮かべながら左肘をねじ込んでいた。
何なんだよ、その顔。
あたいがそんな顔したいわ。
もう泣きてぇよ。
お前のお節介のとばっちりを受けてるってのに。
鈴音は、鼻で深く息を吐くと近藤の方に顔を戻す。
大の男が、懇願するような泣きつくんじゃないかと思えるような顔で、こちらを見つめている。
「あの~鈴音さん……。」
力なく、鈴音は首を二度、立てに振った。
「え、そ、それは……。」
「良いってことだよ、近藤のおっさん。」
この場で口を開く気はないのだと分かった覇王は、代わりに言葉で返事を返してやる。
そうか、そうか、有り難いなぁ皆と、男泣きを見せながら、子供のように喜ぶ近藤を見て、誰もがどこかで笑顔を浮かべた。
「じゃ」
そんな中、覇王は、さっと立ち上がる。
「え、覇王君。」
と、慌てる近藤。
「帰るわ。」
「帰る……。
あの、折角だから歓迎の宴でも……。」
「宴って……綺麗な姉ちゃんくんの。」
「いや、そんな予算はちょっと……。」
「うん。
じゃ、帰るわ。
今日は、良い姉ちゃんと呑みてぇ気分だか らよ。
また今度、一緒に呑もうな。」
「あ、覇王君……。」
大きく伸びをすると、覇王は近藤が呼び止めるのも聞かず、そのまま広間から去っていった。
「行ってしまった……。
……本当、自由なお人だなぁ。」
近藤は声を上げて笑いだした。
無鉄砲な覇王の姿に、土方以外の幹部も呆れて笑ってしまう。
人斬り集団と噂に名高い新選組でしたが、意外と愉快な方達の集まりなんですね。
静代は、袖元で口を隠して笑みながら、鈴音に目をやるが、まだまだ不機嫌そうだ。
お向かいの土方さんとやらと、そっくりな怖いお顔になっておりますよ、鈴音様。
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