第一章 ヒトダスケ(4)

 近藤勇という男は、人を疑うことを知らず、馬鹿が付くほどのお人好しである。人を騙したことなど、生まれてこの方一度も無いと断言できる程、心根優しく純粋で、大真面目な男なのだ。そんな性格であることは、広間にいる誰もが承知していることであり、それこそが彼の元に人を集わせ、険しき道を共に歩くと決意させる代物でもある。


 だが、その度を過ぎた猜疑心の無さというものは、近藤に対する尊敬の念を時に、呆れに変えてしまう。それが、たった今、この状況のことである。


 「大事な大事な情報を漏らして、あんた何考えてんだ!?

本当に、そいつが今日、その誰かしらを連れて屯所(ここ)に来ると思ってんのか?

来る訳ねぇんだよ、絶対来ねぇよ、まんまと情報だけ盗まれて、はい、さようならに決まってんだろっ!

……近藤さん……あんたの良さってのは、

きっとそこにあることは間違いねぇんだ。

そんなことは、俺が誰よりも一番知ってるさ。

けどなぁ、あんたは大将だ。

あんたに従う連中がいることを意識してくれ。

少しで良いんだ、もう少しだけ、考えて行動してくれ、近藤さん。」

 

「トシ…。

覇王君は、必ず来る。来てくれるに違いない。いや、もちろん、お前が言うことも分かる。分かるが、覇王君は違うんだ!

こうなんと言うか、ビリビリと言うのか、ジリジリと言うのか…。

とにかく、うまくは言えないが、他とは違うものを感じたんだ。

だから、覇王君は必ずここに来てくれるはずだ!

もう少し待ってみてくれ。な、な、皆もそう思うよな?」


 近藤は、鎮座する幹部たちに同調を求め辺りを見渡すが、沖田を除いて、誰も彼と目を合わせようとはしない。

 あれやこれやと言葉を並べ、自身が覇王から感じたものを聞かせようとはするが、彼らを納得させる言葉もなく、だからと言って覇王を疑うことも諦めることもできず、唯一の同志である沖田と瞳を交え、頷き合う。


 沖田はいつだって近藤の味方である。無理難題を言い出そうが、気が遠くなるような夢物語だろうが、沖田は近藤を否定することなどしない。それが、愛であると信じているからだ。

 もし、近藤の言葉を否とし変えさせようとする者がいたり、その考えと異なる結果が出るのであれば、力づくで、それらを全て押さえつけ、ねじ変えてしまえば良いとすら考えている。天才剣士と謳われてつつも、どこかまだ幼さを十二分に残しているようだ。


(また、そうやって近藤さんを甘やかしやがって。

総司の奴…。)


 鋭い眼孔を沖田に向け、それを制しようと試みるが、全く土方と目を合わせようとしない。二人はどこか別世界にいるかのように、自分たちの世界に入り込んでいる。そんな様子に、腹の底からこみ上げる怒りをぶつけたくはなったが、自らを律し、冷静さをひしと抱きとめた。堂々巡りを繰り返している場合ではない。


 一刻も早く、覇王と言う男を探し出し、対処する必要がある。そうでなければ、近藤から知り得た情報を何に使われるか、知れたものではない。

 ましてや、こんなことがお偉方に知られでもしたら、新選組は一巻の終わりである。

 おそらく、屯所にはやってこないであろう覇王という男を、どのようにして探し出すか。機密を知った者を、生かしておくわけにはいかない。

 襖の向こうから、近藤を呼ぶ声がした。


 「局長、山崎です。

 お話中に失礼致します。」

 観察の山崎が襖を開ける。


 「どうした。何かあったのか。」

 土方の問い掛けに、片膝をついて座る山崎が顔を上げた。その顔は、困惑の色に満ちている。

 表情を表立って出すことが無い山崎のその表情。

 土方の肩に自然と力が入り、広間にも一瞬にして緊張の臭いが漂う。


 「あの……。

 変な連中が訪ねてきています。

 三人組なのですが、そのうちの一人が近藤

 局長に会わせろと騒いでいて……。

 見るからに怪しげな身なりをしていました

ので、追い返そうと何度も試みたのですが、

 局長に会わせろの一点張りで、全然帰ろう

 としないんです。

 しまいには、俺は覇王樹だぞと喚き散らか

 しだしまして……。」


 嘘だろ……。おい、聞いたか……。


 山崎が発した名前を聞いた途端、広間が騒めき出す。先ほどの緊張感は一瞬にして消え失せた。

 近藤は、言った通りだろうと声が聞こえてくるような笑みを沖田に向けている。

 

「あの……どうすれば。」

 談義に参加せず、別の任務に就こうとしていた山崎は、何の騒ぎなのか皆目見当もつかない。

 「山崎、早く通して差し上げろ。

 くれぐれも粗相のないようにな。

 頼むよ、山崎。」

 近藤の指示に、山崎は軽く頭を下げると足早に去って行く。

 信じていたことは正しかったのだと、どこか浮かれる素振りを見せながらも、客人の前。新選組局長として、近藤は居住まいを正す。 


 喜んで良いのやら……。

 自らを人ではないと名乗る奇妙な男。

 それを簡単に信じられるはずもない。

 身元の分からぬ者を、新選組に入隊させるなどもってのほか。

 大きな危険を伴うことは、できる限り避けたかった。


 寄せ集めの集団など、些細なことですぐに崩壊してしまうものだ。

 どんな思想を持ち、敵側の密偵でないことが、はっきりと分からない以上、この屯所の内部に足を踏み入れさせることさえ拒みたいところである。

 胸中を駆け巡る不安を表に出さないよう、土方も近藤に倣い身なりを整える。

 どこの誰かは知らないが、なめられたら仕舞いだ。


 まぁ良い……。

 吉とでようが凶とでようが、俺たちの進む道が蛇の道であることに変わりはねぇ。

 来るなら来い。敵と分かれば、即刻斬るだけだ。


 「お連れ致しました。」

 襖が開き、先ほどと同じように山崎が跪いていた。

 皆々の視線が山崎の方に向けられるのとほぼ同じタイミングで、三人の者が順に部屋に歩を進めてくる。


 初めに入ってきた男は、役者の匂いを漂わす二枚目な顔立ちで、その身なりも伊達である。諸肌脱ぎにした着物を腰元でだぶらせ、表に見える襦袢の胸元を臍が見えるほど、たゆらかしていた。おまけに襦袢の色もえんじという派手さ。

 これが覇王という男だろう。

 近藤の話から、その場の誰もがなんとなく察した。


 そんな派手な男、覇王の後に続くのが、小綺麗な身なりをした女だ。顔立ちからして大人しそうな様子がうかがえる。一見、単なる町娘を思わせもするが、歩き方や品のある細やかな動作から、武家の娘であるようにも見て取れた。女は、注目を寄せてくる面々に、小さく会釈を繰り返しながら、覇王の後ろをついていく。


 そして最後に、もう一人の女が姿を見せた。伸ばされた前髪で顔立ちは分からないが、体つきから女であることが分かる。

 何度も繕い直された汚い着物に、ぼさぼさに遊ばせている長い髪。

 同じくぼろぼろの帯元から覗く匕首と、腰に提げた刀だけが、その姿に反して立派に見える。


 彼女が一歩踏みだす度、柄に結われた鈴が身を振り笑う。

 派手に普通にみすぼらしい。呆気にとられるほど、ちぐはぐな組み合わせだ。

 三人は、近藤に対峙する位置に立つと、横並びに腰を下ろす。近藤の真正面には覇王が座る。

 それぞれが座ったのを見計らい、笑顔の近藤が口を開く。

「やぁやぁ、覇王君。

わざわざこんな所に足を運んでもらって、

すまなかったなぁ。

本当であれば、こちら側から出向きお願いをさせてもらわねばならんというに。」


「いいさ、んなことは別に。

ただ、もうちと上手く話をつけといてくれたら、俺たちは簡単にここまでたどり着けたんだがな。」

 冗談めかして笑い声をあげた覇王は、土方に視線を向ける。その瞳に笑みは見られない。僅かに茶色みがかった眼の奥底に、お前のせいなんだろと責め立てるかのような、冷たい色が見える。

まるでこの部屋の中で、どんな会話がなされていたかを知っているかのようだ。

土方は、眉間に皺を寄せ、その冷めた光を受け止める。

鬼と呼ばれる男は、この程度じゃ怯まねぇってか、さすが。

覇王はふくみ笑う。


「それで、覇王君。

そちらの女子のお二人は、一体……。」

土方から視線を戻し、今度はんだ目で、

「何言っちゃってんだよ、近藤のおっさん。昨日話したろ。

俺は、入隊できねぇからよ、他に腕の立つのを連れていくってよ。

んだよ、酔いが回ってたとは思えなかった が、酒と一緒に抜けちまったのか。」

と覇王が返す。


「いやぁ、それは勿論覚えているが、女子とは聞いていなかったんでなぁ。」

「新選組に女はいらねぇ。」

 口を開こうとした覇王の言葉を、土方がきつい言葉で制した。

 憤怒をふくんだ低い声音と、挑発的な物言いに覇王は目を細める。

「おい、トシ。

 覇王君にそんな言い方失礼だろ。」

「近藤さんの酒の相手をしてくれたことは 感謝する。

礼も言おう。

 だが、どこの馬の骨とも分かんねぇ、昨日今日会っただけの奴を、新選組に入隊さ

せることなんざできないんでな。

 折角だが、その女どもを連れてお帰り願おうか。」

一欠片の信用もない、冷めた視線に捕らえられた蛙は、不適な笑みを浮かべた。

「色男の兄ちゃんよ、悪いが、俺はお前の頼みは聞かねぇぜ。

お前がこうして気にくわない相手の話を聞かないように、俺もお前が嫌いだから

聞く必要はない。

そもそも、俺は近藤のおっさんと約束してんだ。

関係ないお前に、ごちゃごちゃ言われる筋合いはねぇし、もう黙っててくんな

い。

 長屋の母ちゃんじゃあるまいし、口五月蠅 いんだよ。

とにかくだ、こいつらは約束通り置いていく。」


今にでも雷を落としてきそうなこめかみの青筋具合を見た近藤は、気付かれないようにそっと土方から距離を取る。


「……ふざけたことぬかしてんじゃねぇよ。どうやら、随分とおつむが弱いみてぇ

だな。……望みはなんだ。

お前が俺たちに協力して、なんの得がある。得なんざあるはずねぇのに、力を貸す

ってのは、お前が間者・密偵の類いだからだ。

 第一、百歩譲って、てめぇの力を借りるこ とになったとしても、さっき言っただ

ろ。新選組に女はいらねぇ。」

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