一緒にいる理由。
千尋は本当にレトルトカレーを作ってくれた。レトルトは作るうちに入るのか分からないけれど、冷凍ご飯をレンジでチンしてカレーをかけた。外で食べるご飯より美味しい。それを言うと、当たり前でしょ、とお茶を出してくれた。
「午後の授業怠い。一緒にさぼろーよ」
「単位大丈夫なの?」
「大丈夫ではない。あ、ソースかける?」
「ソース?」
「カレーにソース」
何でもお父さんがそうして食べるらしい。私は丁寧にお断りして、カレーを食べ終えた。皿を洗っている最中に千尋はシャワーを浴びていた。点けっぱなしのテレビから天気予報が流れる。今日も明日も晴れらしい。窓の外は良い天気で、千尋の言うとおりさぼってしまいたくなる。
出てきた千尋がポタポタと髪から水を滴らせている。人のこと言えないじゃない、と隣に座ったので髪を乾かしてあげた。着替えた千尋と矢幡家を後にする。
「千尋、ありがと。この恩は絶対忘れないから」
「鶴になる前に恩返しにきてね」
「そうする」
ふ、と千尋が笑った。あ、すごく珍しい。
それをじっと見ると、照れたように目を逸らす。それも可愛くて顔を覗き込むと鼻を摘まれた。いひゃい。
学生の三限の出席率は一限とそう変わらない。来ない人は来ないし、寝坊する人は寝坊するし、ちゃんと来る人は来る。私たちはいつも座っているように前後の席にいると、講義室に入った沙羅がこちらに気付いて手を振ってくれた。おはよ! と元気が大変良い。私の隣に座った沙羅は、千尋と私を見比べる。
「シャンプーの匂いする。でも、違うシャンプーだ」
「沙羅の嗅覚は犬並みだね」
「犬よりゾウの方が鼻が良いの知ってた?」
「なにそれ、初耳」
千尋が振り向く。それから今までの事実を掻い摘んでした。
「ってことは、深夜からずっと一緒?」
「そういうこと」
「仲良しだね、本当。千尋のカレピが泣いてるよ」
「俺を差し置いて二人で会ってるなんて……!」
「郷田くん、おはよう」
「最上、おはよ」
ドラマのような声で登場したのは郷田くん。そう、あの文化祭で大道具係をまとめていた郷田くん。いつの間にか千尋のカレピとなっていたらしい。
「最上、本当にファミレスに泊まってんの?」
「泊まってない、眠ってるの」
「危なくね?」
「千尋一緒に居てくれたし」
「更に危なくね?」
そうかな、と千尋を見ると視線がぶつかった。そうかもね、と答えが返る。郷田くんが千尋の隣に座って授業を受けた。
午後の授業が終わると、沙羅に今日もファミレスに行くのか聞かれて肯定した。気をつけなよーと軽く言われる。心配してくれているのだろう、と勝手に受け取った。
「亜季、ちょっと待って。ロッカー行ってくる」
講義室を出る波に乗っている私に言った千尋は、ロッカーの方向を指差した。
「千尋、今日バイト?」
「居酒屋の方」
「バイト戦士だねえ」
ロッカールームの前で待つ。ふあ、と欠伸が出る。中から千尋の声が聞こえた。千尋には友達が多い。それは大学に上がった今も変わらない。
「どうもありがとうございます、本当に」
「大丈夫です」
ぺこぺことする女子に手を振って出てくる。ほらまた知り合いを増やしている。
女子が私の姿を見て会釈して去っていった。一体ロッカーで何があったのか聞くと、
「ロッカーの鍵なくしたっていうから、貸してた」
「千尋の?」
「そう、それで返ってきた」
なるほど。そうして仲間が増えていくらしい。
携帯が震えたので、鞄を漁って取り出す。裕香さんからだった。文面は『今日は帰ってきますか?』で、昨日と同じ。
これは心配なのか、確認なのか。私も同じ文面で返す。『帰らないです』
「奈桜ちゃん、帰ってきて欲しいんだと思うよ」
「今のメッセージ、裕香さんからだよ」
「今朝、会ったとき、寂しそうな顔してた」
「よく知らないもん、あの子のこと」
千尋は「そうかね」と声で笑った。
大学を出て、駅の方へ歩いた。千尋は駅近くの居酒屋でバイトしている。出入りの多い居酒屋で二年働くのは古株らしく、千尋は重宝されている。たまに沙羅と郷田くんと一緒に飲みに行くことがある。千尋は自分が飲めないのに……と言いながらも手厚くサービスしてくれるので、郷田くんが絶対辞めんな、と言い続けている。
奈桜は、何かバイトしてるのかな……。私が高校のときは長期休暇のときだけ、お弁当屋さんでバイトをしていた。
今朝のあの顔を思い出す。
「私、中学からずっとバスケ部入ってたんだ」
「え、知らなかった。だから背高いのか」
「背が高いのは元々。高校二年の夏に肩痛めて、結局辞めちゃった」
「ああ、だから文化祭のとき」
それを覚えていたことに驚いた。千尋と高校のときの話をすることはあまりない。話をすること、というか、する話があまりない。クラスとしての思い出話は共通でも、私と千尋での思い出話は特にないから。
「うん。肩から上に腕上がんなかったから、釘打ちと交換してくれて助かった」
「先に言えば良いのに」
「んー、面倒だったからさ」
勿論、千尋に説明するのがではない。
「部活辞めるって宣言したとき、すごく引き止められたんだ。そんなの当たり前だけどさ、辞めなくても良いじゃん、マネージャーやろうよ、とか」
「それが面倒だった?」
「引き止められることっていうか、なんていうのかなー……仲間が嫌いになったわけじゃないんだけど、兎に角バスケに関わること全部が面倒に思っちゃったんだよね」
「それから?」
「それから、全力で逃げた。逃げたら追ってこないってわかってたから」
「それで、今回も逃げてるのか」
断言された。
いつの間にか居酒屋の入るビルの前に着いた。日は疾うに沈んでいて、今朝よりもサラリーマンは減った。代わりにきらびやかな服を着たお姉様方が増えている。居酒屋の看板も電気が点く時間。
「じゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい……千尋!」
「なに?」
「ありがと!」
ひらひらと手を振られる。
ファミレスで昨日と同じ席に座った。夕飯としてお蕎麦を食べる。
私がいつもここに通されるのは、常連となる以前に私がここで働いているから。土日勤務の私が入り浸っていることに気付いた後輩が控室で休んだらどうですか? と気遣ってくれたけれど、さすがにそこまで図々しいことはできなかった。
後輩が温かいお茶を持ってきてくれる。
「先輩、今日はあの人居ないんですか?」
「バイトだって」
「先輩、今日もここに泊まるんですか?」
「……うん」
泊まると言ってしまった。私は家で眠れない。千尋の家では眠れるのに。この間まではちゃんと眠れていたのに。
食べ終えて、課題をやっていると夜十時を過ぎる。後輩は「お先に失礼します」と言って帰って行った。ここからが夜は長い。
ふと気付いて、周りを見た。私以外お客さんがいない。まあ、深夜になれば終電を逃したひとがぞろぞろと入ってくるのだろう。昨日も一昨日もそうだった。
ハッと気付くと、ノートにミミズが這っていた。シャーペンの芯をしまって、消しゴムを持つ。人の気配に顔を上げた。
奈桜がいた。一瞬、寝ぼけているのかと考える。そう考えるのは冷静なときだ、と素面では分かるのだけれど。
顔を上げた私と目が合った奈桜は正面に座っていて、すくっと立ち上がる。それを目で追った。奈桜が水の入ったグラスを掴む。
その中身を私に向かってぶちまけた。
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