第二十二幕「魔窟の森にて」

 午後22時5分、白雨村付近のとある山道――。

 バイクに乗った遊馬たち4人は、峠を登り終えた辺りにあった侵入禁止の脇道に視線を送る。山林で囲まれた砂利道には大型のタイヤ跡が続いており、その跡も先に広がる不気味な闇に呑み込まれて完全に見えなくなっていた。

 遊馬が目線を下げると入り口に錆びたチェーンがうなだれていて、ほぼ中心で半分に千切れていた。いや、それは正しくはない。手にした懐中電灯でチェーンの切れ先を照らすと、何か鋭利な工具で切断されていて真新しい切り口が露出していた。そこから推察してこれがマリウスたちの仕業だと核心し、潤は不安げな顔をしてせっついてくる。


「何グズグズしてんのよ、急がないと先を越されちゃってるじゃない!」

「とは言っても、ロロ子さんがまだ来てないんだ。あの人を置いていったら後で何をされるか分かったもんじゃないしなぁ……」

「そうは言ってられないでしょ? あいつらにお宝が渡ったら元も子もないんだから」

「……そうだな、先に行こう」


 遊馬は潤の言葉に後押しされ、懐中電灯の明かりを頼りに暗がりの砂利道を歩く。

 昼間とは違い夜はひんやりとした空気が張り詰めていて半袖では少し肌寒い。後ろでは潤や花梨が不安げに二の腕を擦り、テッドは……気にも留めていなかった。馬鹿は風邪を引かないからだ。

 そして、道のすぐ横は沢になって下から微かに水が流れる音が聞こえてきた。


「昔はこの辺りも遊び場だったけれど、ダムができてから土石流が頻繁に発生して立ち入り禁止になっちゃったのよね~」

「ああ、今じゃ週に一度、俺が爺の代わりに見回りに……」


 遊馬は途中で言葉を切り、それ以上この話を続けることをやめた。ロロ子本人が来いと言ったので連れて行く分には問題ないだろうが、あまりペラペラと秘密を喋りすぎるのはよろしくない。

 そして、砂利道が終わり足場が土になると四駆の大型車が数台乗り捨てられていて、足跡が先にある獣道へと続いていた。


「間違いないな、奴らは真っ直ぐ聖域に向かってる」

「もう、今日はこんな場所ばっかり……もっと歩きやすい靴で来れば良かった」


 潤が背中を覗くように踵に目を遣るとサンダルの紐で酷い靴擦れになっていた。それを目にした遊馬も痛々しい顔をすると、潤を気遣ってここで待つようにと告げようとした。が、そこへテッドが割り込んできて豊満な胸を下から見上げた。


「ノンノン、ミーはその前に無駄な脂肪を減らした方がいいと思うヨ」

「お・お・き・な、お世話よ!」


 丁度良い高さにあったテッドの顔に潤の強烈な膝蹴りが入る。


「オッフ……我々の業界では――」

「お前、わざとやってるだろ……」


 遊馬の思い違い、まったく無駄な気遣いだった。

 潤ならたとえ米俵一俵を担いでいてもこの山を征することもできるだろうと、山育ちのたくましさを改めて実感する。けれど、こんなことをしている時間もない。遊馬たちはマリウスに追いつくため、先を急ぎどんどんと谷の奥へと踏み入っていった。

 しばらくすると谷を抜けて獣しか立ち入らない森に差し掛かる。一段と闇が濃くなり茫漠とした薄気味悪い森から鹿やイノシシの鳴き声が木霊すると、花梨が遊馬の左腕に小さな手を絡めてきた。


「あんた~ん、暗いの恐い……」

「そうだな、この辺りでいいだろう」


 とうとう聖域の入り口付近までやってきた遊馬は足を止めると、後ろの三人に強い口調で忠告する。


「いいか、これから見せるモノを絶対に口外するなよ。場合によっては今以上にやっかいなになりかねないから」


 テッドが不思議そうに首を傾げる。


「こんな場所にエッチな本でも隠してるのかい?」

「アホか、掛けてみろ」

「ホワ~イ?」

「――ボロスグラスをだ」


 遊馬はショルダーバッグから自分が普段愛用しているボロスグラスを取り出す。準備ができた潤が手を上げると、テッドと花梨もそれに続く。全員がボロスグラスを装着し終えたことを確認すると、遊馬は3人の顔を順番に見渡し頷いた。


「それじゃあ、俺が借りてるでお前たちを聖域に送り込むぞ」


《ウェルカム トゥ ボロス・ワールド ――ログイン》

 



 目映い七色の閃光が瞳に映り一瞬で世界が白一色に染まると、次第に眼が色を取り戻してぼんやり周囲の輪郭が浮かび上がる。

 そこは茜色に染まった森――霧がかかった木々の隙間に金色の光が零れ落ち、深緑で埋め尽くされた天幕がすっぽりと頭上を覆っていた。見慣れている遊馬でさえ、ここへ来る度に息を呑んでしまう。


「……ここが本当にあの裏山?」

「ああ」


 呆気にとられた潤が口を開けて眼前に広がった神秘的な光景を見澄ますと、遊馬は短く答え手にしていた懐中電灯の電源をオフにする。

 すると、テッドが一番に《聖域》の不可解さを指摘した。


「オカシイネ、夜なのにまだ陽が昇ってるヨ? ボロスはその地域に関係する情報と密接に繋がっているハズ。例えば時間とか、天気ネ」

「ここは外界から切り離された、世間では存在しないことになっている場所なんだ。だから時間の感覚はすごく曖昧で、俺が見つけた時からずっとこのままさ」

「そんなことってあり得るのかい? ボロスは人工衛星とリンクしているハズだから、常に最新の情報が更新されているのに」


 難しい質問に遊馬は頭を掻く。


「俺はそういうの疎いからよく分からんが、ロロ子さんの話では旧白雨村一帯をカバーしているモノリスが故障していて、疑似情報を送信し続けてるとか……。まぁそれは置いといて、さっきも言ったがここは通常のボロスとはまったく別の世界。だから、くれぐれもおかしな行動は慎んでくれ。俺にも何が起きるか予測できないからな」


 ここ聖域には人を縛る法は存在しない。


 普段は倫理的制約の中で万人がボロスを活用している。それはプライバシーに始まり、危険行為、環境制御など現実世界に限りなく近い形で制限が課せられている。そのため利用者は常識の範疇はんちゅうでしかボロスという世界を認識していない。

 しかし、その常識から外れた聖域では《起こり得ない》ことが起きてしまう。

 例えば以前、ナズナが水車や水が流れるタイミングを変えたように人の意志次第で自然の法則をねじ曲げることができるということ。つまり、遊馬がこれまで聖域のことを誰にも話さなかった理由は、ここが使い方次第で何でも《願いが叶ってしまう》場所だということだ。


 突拍子もない話を聞かされて、潤がズレ下がったボロスグラスを指で押し上げる。


「ちょっと待ってよ。だとしたら先に入った奴らと出くわしたら……」

「いや、隔離されたこの森にアクセスするには、特殊な《ルートアカウント》が必要で連中はアクセスできないし、ただの圏外エリアだと思い込んでいるはずだ。その分、こちらは有利に立ち回れるのさ」

「ボロスグラスを掛けたミーたちは、この明るさなら相手の様子を探ることができるしネ!」

「足跡はモノリスがある方角へ続いてる。俺らは先回りして奴らを出し抜いてやろう」


 そして、ニヤリと笑った遊馬はマリウスたちが知らない《別の道》を指し示した。


「ヤダ、何よアレ……」

「ミステリアス……ミーも初めて見たヨ」


 周囲の煌びやかさに目を奪われ、見逃していた《アレ》に気づいた二人が恐れおののく。遊馬の指の先には《NO DATA》と記されたノイズ混じりの黒壁があったからだ。


「アレは単なる仕切りみたいなもんさ、触れても大丈夫。ここから先は立ち入るなって言う警告みたいなもんだから」

「警告? 立ち入り禁止なんでしょ? そんな場所に入って平気なわけ?」


 さっきまで威勢の良かった潤はすっかり怖じ気づいて遊馬をじっと見つめる。


「実は俺も数えるほどしか中に入ったことはないんだけど、何て例えたらいいか……魔窟の森?」

「魔窟? 大丈夫なの? 魔物とか出てくるのは勘弁よ?」

「まぁ、ちょっとオーバーだったか。俺にとってはあまり印象が良い所ではないんだ。ロロ子さんと出くわした場所でもあるからな……」


 ――そう、印象が悪いのは全てロロ子という魔物のせいでもある。


「ただあの先はここよりもずっとだ。だから触れたり言葉にしただけで現実になることがある。くれぐれも変なことは口走るな。特にテッド、お前だ」

「O、OKネ……」


 四人は茂みを掻き分け、道なき道を進んで黒壁の前に立つ。

 後ろで誰かが喉を鳴らす音が聞こえると花梨が怯えて遊馬に引っ付いてくる。


「大丈夫だ、あんたんの手をしっかり握ってな」

「うん……」

「いくぞ……」


 右手を伸ばして黒壁に手を当てる。軽く静電気が腕に走ると遊馬はそのまま腕を押し込み、壁の中へと入り込んだ。潤とテッドも後に続いて黒壁の内側に入り、花梨はまだ不安なのか握った手と瞼をギュっと閉じたままだった。


「もう目を開けてもいいぞ、花梨」

「ぷはぁ……」


 花梨は手の力を抜いて大きな瞳をぱちくりとさせると、海にでも潜っていたような顔で大きく息を吐く。その愛らしい姿に遊馬が頬を緩めた。だが、さらなる恐怖心をいだき反対側の手を握ってくる者もいた。


「やっぱり、薄気味悪い所じゃないの……」


 潤が怯えるのは無理もない。さっきまで暖かみがあった森から一変し、近辺が黒とコバルトブルーのグラデーションに包まれていた。まるで海の底だ。そういう意味では花梨が必死に息を止めていたのはあながち間違いではない。


「あれを見るネ……!」


 すると突然、テッドが深海のような暗がりに指を向ける。

 揺らめく複数の小さな明かり――。


「お、お化け?」

「いや、マリウスたちだ」


 腕に胸を押しつけてきた潤に遊馬は声を潜めて答える。


「あそこにナズナも……?」

「――いる、はずだ」


 薄暗闇の中で列を成して行進する無数の灯火。揺らめく懐中電灯のスポットが宙に舞った塵を海中に漂うプランクトンのように浮かび上がらせると、再び深い闇に吸い込まれていく。先回りした遊馬は茂みの中に屈み、様子を窺うとナズナの姿を探し求める。

 そして、思わず声を漏らしそうになって自分の口を手で押さえた。


「……見つけた!」


 大勢いる列の後方、白いワンピースに灰色の長い髪。ナズナは両腕を拘束バンドで縛られ、黒服に背中を見張られながら足場の悪い道を歩かされていた。他には軍服を着た傭兵が十数名、銀色のアタッシュケースを持った白衣の男たち。恐らくブーゲンビリア社の技術者か何かだろうと遊馬は察する。

 それとナズナのすぐ前には遊馬が一番いけ好かないあの男の姿もあった。


「まったく荒木め。いくら人目に付かない場所だとしても、もう少しマシな場所があっただろうに。つくづくはなだ一族には神経を逆撫でさせられる」


 木の棒で靴底に溜まった泥を叩き落としてマリウスは愚痴を漏らす。白かった靴は土色に染まり、スーツの裾には泥が飛び散って斑点になっていた。


「それで、まだ見つからないのか?」

「も、申し訳ありません、マリウス様。山林一帯がボロスから隔絶されているため、持ち込んだ機材が上手く機能していません。意図的なジャミングを受けているような……。ですがかなり強い数値を示しており、間近なのは間違いないかと」

「クッ、役に立たない奴らだ。それも荒木の仕業だろう」


 マリウスが地面に唾を吐き捨てると、技術者はビクリと肩を竦め手にしたタブレット端末で必死にお宝の反応を探し始める。

 その一方、遊馬たちは一つ大きな難題にぶつかっていた。


「あんな強面連中からどうやってナズナを連れ出すのよ……!」

「うん、なかなかいい質問だ」


 遊馬が手でアゴを擦ると、腕組みをした潤が続けて問いかけてきた。


「で?」

「…………」

「まさか、ノープランでここまで来たんじゃないんでしょうねっ!」

「しょうがないだろ~、ロロ子さんがどうにかしてくれると思ってたんだから!」


 ――そうだ、あの人はどこで何をやっているのか?

 頭の中でロロ子を当てにしたのは間違いだったと後悔し、遊馬は自分の無力さを呪った、その時。ふと遊馬の脳裏に素晴らしきアイデアの神様が舞い降りた。


「いける、いけるかもしれない……」

「本当に?」

「ああ、こんなに頭が冴えてる自分が恐いくらいだぜ」


 そして、遊馬はテッドの首に左腕を乗せると彼の耳許でその素晴らしいアイデアを伝授した――。





 未だ遊馬たちの存在に気付いていないマリウス一行は依然としてボロスやGPS、暗視ゴーグルさえ役に立たない森の中を彷徨っていた。すると、先を進んでいた傭兵の一人が物音を察知して茂みに向かってライフルを構え、縦に間延びしていた列が歩みを止めた。


「どうした、早く先へ進め」

「いえ、マリウス様。周囲に何かの気配が……」

「こんな山中だ。鹿やイノシシくらいいるだろう。そんなことよりも早く用を済ませて帰るぞ、この役立たず共め。こんなことなら来栖くるす邸で大人しく待っているんだったな」


 マリウスが悪態をつくと今度は別の傭兵が指で合図を送る。四方で草木が揺れて暗闇の中で葉が激しく擦れる音が彼らの動揺を誘った。ただでさえ不気味な森の中で、正体不明の獣に狙われているとなれば、どんな人間でも怯えずににはいられない。

 そのがパキパキと小枝を踏む音がマリウスに近づいてくると、彼は挙動不審になって自分の周囲に黒服を呼び集めた。


「お、お前たち、どんなことをしてもボクを守るんだ……!」


 そして、ライフルを構えた強面の傭兵たちが一斉に銃のセーフティを解除し、ダットサイトの赤い閃光が無作為に獲物の居場所を探った――その時だ。

 茂みから飛び出したが奇声を上げて緩やかな斜面を駆け出した。


「キェ~っ!」

「いたぞ! は? は、裸……の人間だ!」

「人間だと? 動物じゃないのか? ええい、どっちでもいい。部外者に秘密を漏らすわけにはいかない。そいつを捕まえてボクの前に連れてこい!」


 酷く怯えていたマリウスは言葉が通じる相手だと知った途端、急に態度がでかくなり、警護の傭兵や黒服たちを追い立てて騒動の犯人を追いかけさせた。

 つまり遊馬が言ったとは、全裸で野山を駆け回っていたロロ子の素行を真似て、人の虚を突くという無謀なものだった。だが、それは見事にハマりマリウスたちは蜂の巣を突いたような騒ぎとなり、十分な隙を作り出した。


 そして、列の最後尾では――。


「!」

「シッ。俺だ、遊馬だ」


 悲鳴を上げそうになったナズナの唇に遊馬は人差し指を当てて制止する。ナズナの頬が赤く染まり大きく口元が緩む。両手を口に当てて今にも泣き出しそうだったが、今はこらえてもらう。


 だが……その直後。


「後ろだ、後ろにもう一人いるぞ!」


 黒服の一人が大声を上げてナズナを連れだそうとしていた遊馬を指差した。

 遊馬はナズナの手を強く握る。


「走れるか?」

「はいっ!」


 来た道を折り返して青みがかった森の中へ駆け出すと、異変に気付いたマリウスが懐中電灯で二人の背中を照らす。後ろを振り返った遊馬は眩しさで目を細めた。僅かに見えたマリウスの表情は醜く歪み、キノコの傘が開くように髪が逆立っていた。


「あんの愚民のガキめぇええええっ!」


 してやったり――遊馬はニヤリとほくそ笑む。


 傲慢なあの男を出し抜いたことが得も言われない快感となって、アドレナリンが体内を駆け巡る。貴族だとか、愚民だとか。人を見下してきたマリウスにとって下賎な身分の者に謀られることほど屈辱なことはないだろう。腹の底から笑いが込み上げて遊馬は走りながらそれを声にした。


「遊馬、何がそんなに可笑しいのですか?」

「ははは……気にすんな、大したことじゃない」

「キャっ!」


 すると、ナズナの足が取られて膝をつく。

 サンダルの踵が木の根に挟まり片方が脱げてしまっていた。


「大丈夫か?」

「へ、平気です!」


 心配そうに遊馬がナズナを引き起こすと、彼女はもう片方のサンダルも脱いで手で掴み上げ、谷にそれを放り投げた。ナズナの顔は憑き物が落ちたようにスッキリししていて、遊馬はこれが彼女本来の素顔なのだと思った。

 だが、後ろには黒服が迫っていたのでいつまでもナズナに見蕩れているわけにはいかない。遊馬が再び彼女の手を引いて長い下り坂に差し掛かると……。


「ゴーバック! 戻って、戻って~っ!」


 前方から数人の傭兵を引き連れたテッドが拾った葉っぱで股間を隠し、真っ直ぐこちらへ爆走してきた。


「馬鹿、段取りと違うじゃないか!」

「だってあのマッチョ本気でミーのこと狙ってるんですもの! 汚されちゃう~!」


 本来なら左右に散らばって時間を稼ぐ算段だったが、テンパったテッドにそこまで気を配る余裕はなかったらしい。足を止めた遊馬はナズナの耳許で咄嗟とっさにあるを囁く、その直後――。


「ぐはっ」


 後を追ってきた黒服に強烈なタックルをかまされて遊馬は顔に土を付けた。隣には同じく地面に倒されたテッドの顔があり、腕を後ろで縛られると二人はマリウスの前に突き出されてしまった。

 蔑んだ視線を真っ向から受けると、遊馬は負けじとマリウスを睨み返した。


「ボクに刃向かう度胸はないように思えたが、それは認識不足だったようだ」

「…………」

「だがもう反論する気概も残っていないか。ここにいるボディガードは皆、特殊部隊出のエリートだ。子供の淺知恵で逃げおおせるとでも思ったか? それにテッドくん……何だね、そのみっともない格好は? せっかく父上の会社を見逃してやったのに、こんな醜態を晒すとは。やはりあの会社は磨り潰してやろう」


 マリウスの言葉はある意味では的を射ていた。

 たしかにみっともない奴だ。

 しかし、テッドは声を大にして言う。


「大切なのはお金じゃないヨ、会社なんてもう一度作ればいいサ。本当に失っちゃいけないをすでに遊馬からもらったんダ。それは信頼と友情……そして!」


 一つ余計な単語が混じっていたので突っ込もうかと思ったが、ここは堪える。

 彼の勢いに乗って遊馬もマリウスを煽った。


「お前、友達一人もいないだろう? そうやって高い所からあぐらを掻いて何でも手に入れた気になってるようだが、周りにいるそいつらも腹の底ではお前のこと舌を出して笑ってるんだぜ? ほらそのお前……今、顔に出したな」


 その言葉に慌ててマリウスが後ろを振り返ると、彼の部下たちは一斉にマリウスの視線から目を逸らした。


「プププ、どうやら図星だったみたいだな。やーいボッチ、ボッチ~」

「だ、だまれ小僧がぁ!」


 泥で汚れた靴が遊馬の右頬を蹴飛ばして口の中に鉄の味が広がる。手も足も出せない遊馬だったが、代わりに唾を吐きかてマリウスをさらに挑発する。


 白い生地に赤く染み付いた唾――。


「い、卑しい身分の分際でボクのスーツを……ボクの心を汚したなっ!」


 血を滾らせて顔に赤く染め上げたマリウスの拳がワナワナと震える。

 振り上げた彼の足が遊馬の顔にもう一度狙いを定めると……。


「マリウス様、周囲を捜索したところ他に二人の子供が隠れておりました」


 黒服が呼びかけた声でマリウスのつま先がピタリと動きを止めた。


「お前は……ボクのランボルギーニに忍び込んでいた、荒木の娘!」


 マリウスの網膜に幼気な幼女の姿が映り込む。途端、彼の興味は黒服に捕らえられた花梨へ移り、彼女を掴み上げようとする。だが、ギブスで左腕の自由が利かずマリウスは憎しみのやり場に困ると、硬直したまま微かに肩を震わせた。


「ハハ、ハハハ……完璧じゃないか。忌まわしいはなだ家のガキを二人も捕らえられるとは。特にお前には一生払いきれない貸しがある。後でたっぷりと可愛がってやろう」

「汚い手で花梨にさわるな~っ! この毒キノコ~っ! はぐ……」


 苛立ったマリウスが無傷の右手で罵声を吐く花梨の口を鷲掴みにすると、タコの口になった花梨が反射的に墨を吐くように唾を飛ばす。それがマリウスの左目に直撃し、彼は悶絶して地面を転げ回った。


「ギャ~っ! 雑菌が、不潔な雑菌にボクの目が犯されるぅううううっ!」

「なんて羨ましい……」


 ……そう呟いたのはもちろんテッドだ。


「くそ……こいつら全員射殺しろ! こんな山奥なら人に気付かれることもない。せいぜい獣が死体を食い散らかすだけだ!」

「はっ!」


 構えられたライフルの銃口がこちらを向き、赤い点が胸の辺りに幾つも灯る。


「さらばだ、ボクの庭となるこの森で肥やしになれ!」


 ポケットから白いハンカチを取り出し顔を拭ったマリウスは、苦さと悦が入り交じったような表情を浮かべる。だが、それを目にしてなお遊馬は頬を大きく綻ばせた。


「ナズナ、お前の出番だ!」

「ふえ……?」


 言葉の意味が理解できなかったマリウスは、間が抜けた顔で後ろを振り返る。

 遊馬が尻のポケットに入っていたメガネケースを蹴ってそれが地面を三度跳ねると、ナズナの手に渡る。中には叔父が使っていたボロスグラスが入っていて、フレームがナズナの耳にかけられた――そして。


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