第二十一幕「赦しは再出発への最短ルート」
再び居間に戻る。そこには潤に踵落としを喰らったテッドが意識を取り戻し、ちゃぶ台の前に座っていてた。居間の戸口に立つ遊馬に彼が深々と頭を下げて台がゴツンと音を立てる。
「フレンドでいてくれて、アリガトウ――」
――もう、そんなことをする必要なんてない。
「誰だって家族や親しい人を人質にされたら、じっとなんてしていられないさ。助けなくちゃならない仲間がいるだろう? お前の力を貸してくれ」
もちろん言うまでもなくそれはナズナのことだ。
彼女は今なお、遊馬とテッドを貶めたマリウスの手中にある。受け取ったメッセージで無事は確認しているが叔父が隠したというお宝、マトリクス・コードをあの男に奪われたら、ナズナの、白雨村の、全ての希望が摘まれてしまう。遊馬は叔父のボロスグラスを外して壁掛け時計に目を移す。
午後19時40分――。
ロロ子との待ち合わせまで、あと1時間20分だ。
「現地まで一時間もあれば行けるけど少し早めに出発しておこう。花梨、お前は爺の家まで送ってやるから……? どうした、いつもなら一緒に行くって聞かないのに」
「あのう、そのう……」
「おしっこか?」
「ち、違うもん!」
「なら、どうしてモジモジした顔をするんだ?」
「花梨はあんたんにもらった大事なバナナを無くしちゃいました……ごめんしゃい」
「バナナ? 今朝持たせてやったアレか。ほしいならいくらでもあるぞ?」
――可笑しなことを言う、食べれば無くなるに決まっている。
もしかしてマリウスに誘拐された時、車内に落としてきたのか?
いや、そもそもマリウスが花梨みたいな幼女を誘拐する根拠が思いつかない……。
遊馬はハッとして花梨を見下ろすと、強い口調で問い正す。
「――花梨、お前何やった?」
「…………」
答えない、やはり彼女は何かを隠している。
「怒らないから言ってみな」
「本当に?」
「ああ、だから正直に話すんだ」
「穴に……バナナを穴に突っ込んじゃいました」
「あ、穴?」
何の穴? 何処の穴? 遊馬が困惑する。
そして、花梨は目を細くして全てを白状するようにあの事故について語りだした。
「あれは今朝、花梨がバスの停留所一休みしてた時のことです――」
今朝ナズナに話しかけられたこと、赤いランボルギーニに乗った男がナズナに言い迫っていたことを。その会話を訊いて花梨は確信した。ナズナがあの男と結託して、遊馬を陥れる算段をしているのだと。でも、遠くて詳しい内容までは上手く聞き取れない。
――ならば、どうする?
花梨の決断は早かった。
停留所を抜け出してランボルギーニの後部に回り込み、二人に急接近した。話に夢中になるマリウスの隙きを伺い聞き耳を立てたが、ランボルギーニから吐き出される臭い煙を吸って花梨はたまらず咳き込んでしまう。
「それでつい、バナナを……穴にねじ込んじゃいました」
ねじ込んだ穴。それはランボルギーニの排気口を指していた。
騒々しい音と共に吐き出される排気ガスに耐えかねて、花梨は何か栓にできないかと探した結果、バナナを取り出してくの字に折り、それを二本のマフラーを塞いだらしい。むせるような臭いは次第に薄れてこれで良しと花梨は満足した。
それでようやく二人の会話が聞き取れるようになりマリウスが遊馬をたぶらかせとナズナに告げた途端、疑念が核心へと変わったそうだ。
「あんたんを騙そうとする奴は花梨が許しません!」
そんな正義感からか花梨は反対側のドアからこっそりランボルギーニに乗り込んで後部座席に身を潜め、マリウスの正体を突き止めようとした。その結果はランボルギーニのエンジンが火を噴き、慌てたマリウスがハンドルを切り損ねて電柱に激突。
近所の住人の通報で隣町からパトカーと救急車が到着して、二人は車体に炎が回る前に救出されたのだった。幼いだけに花梨は事故のことがよほどショックだったようで、サロペットの裾を握り膝と肩を震わせていた。
そんな花梨を遊馬はギュッと抱きしめてやる。悪さをしたことは許されることではないし、ゲンコツを3つ落としても足りないくらいだ。だが、それ以上に冷え切っていた胸を熱くさせた。遊馬の無念に一矢報いてくれたからだ。
「良くやった!」
「ふぇ?」
花梨は訳が分からず、キョトンと遊馬の顔を見澄ます。
「お前がやったことはたしかに危ないことだった。でも、俺が手も足も出なかったキノコ野郎に一泡吹かせてやったんだ。こんな痛快なことは他にないぞ!」
「あんたん……怒ってないん?」
「ああ」
そして、隣にいた潤が屈み込んで花梨のほっぺを軽く摘む。険しい表情が小さな瞳を覗き込み花梨の顔に影を作る。はわわ、と彼女が言葉にならない悲鳴を上げると潤の口元がふわりと緩んだ。
「でも、二度とあんな危ないことはやっちゃダメよ?」
「うん! 花梨、もうしないよ。あんたんも潤もしゅきしゅき~っ!」
胸のモヤモヤを吐き出しすっきりして、いつもの花梨に戻った。
そして――。
「ヘイ、花梨ちゃん。ミーにはしゅきしゅきしてくれないのかい?」
「第一印象から嫌いでした、クズ野郎」
「酷い言われようなのネ……だが、それがイイ!」
ついでにいつものテッドに戻った。
「……やっぱり気持ち悪いわ、アンタ」
笑顔の潤が発した一言でわだかまりが全て吹き飛び、笑いが込み上げてきた。
後はこの輪にナズナが戻れば全てが元通りになる。
遊馬が腕を伸ばすと、潤、テッドがその上に手を添えた。
「花梨もやるう!」
「お前も立派な仲間だもんな。ほら、手を出しな」
足元にいた花梨も一緒にやりたいと背伸びしたので、三人一緒に膝を曲げて彼女にも手が届くようにしてやる。4人は再び気持ちを一つにして《聖域》と呼ばれる鍵穴のある場所へと向かった。
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