第二十幕「一通の手紙に思いを託して」
夕刻――ひぐらしの哀しげな音色に耳を傾け、西へ沈む夕陽を見送る。軒先で大の字になった遊馬は、柱に刻まれた背比べの傷をぼーっと眺めていた。ここ2日であった出来事は全て夢だったような気がして、胸の中でナズナという娘の存在がどんどんと薄れていく。
自分は何も出来ない子供だ。そのことを改めて実感して昔を取り戻しかけていた気持ちはすっかり萎んでしまい、外界との間に再び固い殻を形成し始めた。
挫折、悔しさ、諦め、劣等感……そして無力。
後ろ向きな言葉を数珠のように紡ぐ遊馬の横でテッドが足をたたんで正座すると、深々と頭を下げた。
「ユーには謝っても謝りきれないし、もう友だちとは思ってもらえないだろうケド、ちゃんと言葉にして伝えておきたい。アイム、ソーリー」
遊馬は何も答えず首だけを動かすと居間が綺麗に片付けられていて、畳の上に荷造りした彼のリュックがある。テッドが廊下に押しつけた額を上げると赤く跡が残っていた。
「これ以上、キミたちに迷惑は掛けない。国へ帰るヨ。学校は……まだ分からないけど、たぶん退学する。ミーの顔なんて見たくないだろうから――グッバイ、マイフレンド」
そう最後に言い残して立ち上がり、彼は大きなリュックに手を掛けた。
テッドが居間から出て行こうとした――まさにその時。
「こんの陰気臭いお馬鹿共めぇええええええ~っ!」
「ゴフッ!」
潤のローリングソバットがテッドの脇腹を抉り勢いよく後へ蹴り飛ばした。
テッドは畳にワンバウンドして転がると、軒先で寝転がっていた遊馬と激突して……二人とも縁の下に落ちた。
「イテテテテ……」
「うわ~ん、やっぱりお別れは寂しいのネ~っ!」
「だぁ~気持ち悪いっ! 泣きながら顔を擦り付けるな!」
遊馬が地面で頭を打ち痛みで顔を歪めると、馬乗りになったテッドが涙、鼻水、ヨダレと有りと有らゆる体液を垂らして胸元にすがり付いた。遊馬は必死に彼から逃れようとすると、潤は軒先に屈んでその様子をマジマジと見下ろしていた。
「見てないで助けろよ!」
「嫌よ、自分の足で立ち上がって現実と向き合いなさい。それが出来ないならずっとそこで地ベタに這いつくばってなさいよ」
「くっそ~……どいつもこいつも俺のことを子供扱いしやがってぇええ~。ふぬん~!」
幼なじみの言葉が遊馬の胸奥でくすぶっていた何かに火を灯した。
それは、挫折、悔しさ、諦め、劣等感を燃料にして激しく燃え上がる。
渾身の力でまとわり付くテッドを押しのけようとした。
けれど、彼との体格差が枷になってそれは叶わないと悟ると……、
遊馬は両手でテッドの胸ぐらを掴み上げた。
「許す、お前の全てを許す。それに初めからお前のことを恨んでやしない。俺が腹を立てていたのは自分自身の惨めさにだ。お前だって被害者だろ、そうするしか他に方法がなかったんだろう? 相談してくれなかったのはショックだったけど、言い出せなかった気持ちもよく理解しているつもりだ。だ・か・ら、俺から離れてくれ。気持ち悪いっ!」
「本当にミーを許してくれるのかい……? 遊馬、アイシテルヨ~っ!」
「ちょ、おま、やめてっ!」
小さなプライドをかなぐり捨てて本心を打ち明けた遊馬だったが、どうやら当てが外れたようだ――。
「ごめんなさい俺が悪かったです。助けて下さい潤様!」
「まったくもうアンタたちは私がいないとダメなんだからっ」
潤は嬉しげに口元を緩めると、悩ましい生足を振り上げてテッドの脳天に振り降ろす。ゴツンと痛々しい音と共に踵が直撃し、またしてもテッドは潤に意識を飛ばされた。
「ハァハァ……手慣れてきたよな、お前」
「助けてあげたのに第一声がそれ~? まぁいいわ。うじうじと腐る前にこれを見てからどうしたいか、アンタ自身で決めなさい」
そう言って手渡されたのは展望台で無くした叔父のボロスグラスだった。
「潤、お前これ拾っといてくれたのか……」
「大事なモノなんでしょ。それに悪いとは思ったけれど、アンタ宛てに届いてたメッセージを見ちゃったの」
「メッセージ?」
自暴自棄になって無くしたことさえ忘れていた叔父のボロスグラスはフレームに細かな傷が入り、指でなぞるとザラザラとした心の傷に似た感触がした。乾いた笑いを漏らして、遊馬はレンズに映った文字の一つ一つじっくりと目を通す。
『ごめんなさい、遊馬。こうなる事態を未然に防ぐことができなくて……ごめんなさい。私、また謝ってばかりですね。私は車に閉じ込められていて、あの人が遊馬に何を言ったのは分かりません。でも、アナタを傷つけたことだけはたしかだと思います。だからこそ、これまで遊馬に話せなかったを伝えますね――』
遊馬の視点がレンズの右下で止まると自動的に次のページへと進む。
『お父様からアナタと共に宝探しをするよう申しつけられた他にもう一人、私と同じ指示を受けた者がいました。それがマリウスです。彼がこの《余興》に勝てば、ソルフェルノ家の全てを相続できると約束し、私には望む人生を与えると言いました。お互い干渉しないという条件で荒木先生の遺産を探していましたが、マリウスは遺産の正体を突き止めた途端、狡猾な方法でルールを破りました。それに数日前からブーゲンビリア社が所有する、三台のティタン級ニューロコンピュータがボロスネットワークに介入し、白雨村全域のデータ収集を始めていてもうじき《鍵穴の場所》が彼らに見抜かれてしまいます。昨夜も遊馬の家がターゲットにされたので、止むを得ず私がネットワークを遮断しました。あそこにはとても大切なデータが眠っていたので、ごめんなさい……』
つらつらと書かれた内容に遊馬は唖然とした。自分たちが遊び半分でやっていた宝探しの裏では別の思惑が複雑に絡み合い、自宅がサイバー攻撃を受けていたなど。それをか弱い一人の少女が防いでいたなんて、まるでSFだ。
「おっそろしい話だな……それにネットワーク遮断?」
遊馬はふと、日本限定発売マジカル・モモカルのスペシャルコンプリートBOXのことを思い出した。わざわざアメリカから購入しに来たテッドのことを考えると、いたたまれない気持ちで一杯になった。
――もう少し彼に優しくしてやろう。
遊馬はそう思い、最後のページを捲った。
『今の私はマッローネに手伝ってもらい、このメッセージを届けるのが精一杯です。もしアナタが私のことを信じてくれるなら、《鍵穴の場所》へ行ってマリウスよりも先に荒木先生の遺産を見つけて下さい。その場所は遊馬がよく知っている《あの森》です。ごめんなさい、どうかもう一度だけ私に力をお貸し下さい――』
相変わらず謝り癖が抜けていないのがナズナらしいと、遊馬は笑みを漏らす。
それに謝りたいのは遊馬の方だった。守ってやるなんて大口を叩いたくせに、それがどれほど困難なことかも知りもせず、マリウスに連れ去られてしまったのだから。
けれど、ナズナはこうしてもう一度チャンスを与えてくれた。
今度こそ約束を果たし、彼女を呪縛から解き放とう。遊馬は自分の全てを賭けて彼女の期待に応えると誓い立ち上がった……のだが、もう一つメッセージが残っていたことに気付いて開封する。
『それと……この件がある筋の人にバレてしまい、あちらから私にコンタクトを取ってきました。何でも遊馬と深い関わりのある方だそうで、私も一度顔を合わせていたみたいですが。その方がそちらにお伺いすると言っていました、時間ではそろそろ――』
――ああもう嫌な予感しかしない。
悪寒を覚えて遊馬が肩を縮めるといきなり玄関の呼び鈴が鳴らされる。
「こんな時間に誰かしらねぇ、出てらっしゃいよ?」
潤の言葉に首を横に振るともう一度呼び鈴が遊馬を催促した。
「ついて来て、一緒に来てくれよぉ~!」
「ヤダちょっと、アンタがここまで嫌がるなんて……まさかっ!」
コクコクと頷く。
「い、嫌よ。今度こそ私、あの怪しげな会に入会させられちゃうわ……」
「頼む、後生だ!」
「……こ、この借りはおっきいんだからねっ!」
二人は恐る恐る玄関へと赴く。外灯に照らされた人影に息を呑み、遊馬は掠れた声で何度も鳴らされる呼び鈴に返答した。
「ど、どうぞ~……」
ゆっくりと開かれる引き戸。隙間から顔を覗けたのは……長年、白雨村の駐在を勤めているおまわりさんだった。
「てっきり留守かと思ったよ~。遊馬くん、居てくれて良かった」
歳は知らないがいつも白髪が帽子の横からはねているので、そろそろ定年が近いと遊馬は思っている。
だが、おまわりさんは遊馬にどんな用があるというのか?
すると、その背後から小さな影がひょっこりと顔を出した。
「あんたぁああああ~んっ!」
「わっ! 花梨か。どうしたんだお前、舞花さんと会ってたんじゃないのか?」
「おや~、聞いてませんかな? 今日、村で起きた《誘拐未遂事件》の話を――」
「誘拐……?」
潤と顔を見合わせた遊馬は足に抱きついた花梨を見下ろす。
「ほら最近、見慣れない外国人が村に越して来たでしょう。20代中頃で白いスーツを着た金髪の男性。被疑者だったその男は何でも道端を歩いていた花梨ちゃんを赤いスポーツカーに連れ込んで暴走運転をした挙げ句、電柱に激突して中村さんとこの畑に落っこちたんだ。幸い、花梨ちゃんには傷一つ無くてほっとしたが、こんな幼気な女の子を誘拐するなんて恐ろしい世の中になったもんだよ!」
遊馬は苦笑いしておまわりさんの話に相槌を打っていたが、裏では国際的なスケールの陰謀が繰り広げられているとは言い出せない。とりあえず話を早く切り上げるため、熱く語るおまわりさんのペースに合わせておいた。
「村の平和を脅かすなんて、とんでもないキノコ野郎ですね!」
「まったくだ。だが、残念なことに数人の弁護士が現れて彼の無罪を主張してね。上からの圧力もあって取り逃がしてしまったんだ、申し訳ない……」
「そうですか。花梨、もう知らない人についていっちゃダメだぞ?」
「う、うん……か、花梨は何も悪いことしてないからっ!」
遊馬が花梨の頭を軽く撫でてやるとなぜか彼女はビクリを肩と強張らせる。
すると、おまわりさんが何か思い出したように手を打った。
「ああ、それとここへ来る途中に一緒になったんだが、遊馬くんにお客さんだよ。こんな美人さんと知り合いだったとはねぇ」
「どうも~っ!」
「ゲッ!」
花梨の真似をして、おまわりさんの背後からロロ子が営業スマイルを覗かせる。
「ゲッ……って。相変わらず失礼ね、遊馬くん?」
「ロロ子さん、お久しぶりっす……」
「や~ね~、さっき会ってからまだ24時間経ってないわよ~?」
悪夢だ――遊馬は八方美人な仮面に隠された鬼の形相を想像して身震いする。
だが、ロロ子の正体を知りもしない善良なおまわりさんはすっかり騙され、愛想笑いに隠された分厚い面の皮に鼻の下を伸ばしていた。
「こんな美人さんが村にいてくれれば、もっと活気が湧いてくるんだけどねぇ」
「あら、おじ様ったら口がお上手なんですから~。ムフフ……」
――お気の毒に。
「では本官は見回りの職務がありますので、これにて」
チラリと腕時計に目を遣った後、おまわりさんは帽子のつばを摘んで軽く一礼すると名残惜しそうに玄関から立ち去った。そして、姿が見えなくなるまで手を振ったロロ子がクルリとこちらに顔を向けると……その顔は般若になっていた。
「きゃぁあああああ~っ!」
遊馬は潤と抱き合って身を震わせる。
ロロ子は真顔に戻ってため息を吐くと腕組みをして遊馬を叱りつける。
「まったくもう、こうなる前にどうして私を頼らなかったのかしら。以前、外資系企業が《聖域》を狙ってるって忠告しておいたでしょ?」
「す、すみません……」
「でも起きてしまったことはどうしようもないし、社会では《責任》という名の後始末が待ってるのだけれど。遊馬くん、キミにそれをやり遂げる意志はあるかしら?」
普段よりも厳しいロロ子の口調が遊馬を尻込みさせたが、ナズナとの約束を守るため受けて立つ覚悟はとうにできていた。
「……はいっ!」
「ウフフ、一皮剥けた良い返事ね。安心しなさい、荒木先生はこういった状況も全て考慮してキミを私に託して行ったのだから」
「え……?」
とんでもない人に託されていたと知って、嘆く遊馬。
「はい、そこガッカリしない。私の役目はね、遊馬くんを見守ることと聖域を人目から遠ざけることだったの。キミは聖域が区画整理で偶然できた場所と思っているでしょうけど、本当は全て計画の一部。ボロスを限りなく現実に近づけるめ用意された、次世代システムの試験場よ。それにあそこにはもっと《重要なモノ》が眠ってる……。だからこそ、まだ人に知られるわけにはいかないの」
たしかにロロ子が大学時代に叔父から教えを受けていたことを思うと、彼女が遊馬の様子を見に来たり、聖域へ頻繁に出入りしていたことも合点がいく。憂さ晴らしに職権を乱用していた訳ではなかったのだ。
ロロ子は遊馬と潤の手を取って微笑むと、
「覚悟はいいわね。この秘密を共有した以上、何としても聖域を守り抜いてナズナちゃんを救い出すわよ! そして潤ちゃんはもれなく眠れる森に入ってもらうから!」
「はひっ?」
潤は素っ頓狂な声を上げる。
「それじゃあ同意も得られたことだし、私たちは準備があるからこれで失礼するわ。今夜21時頃に聖域で会いましょう。それじゃ後ほどね~っ!」
「ちょっと待って下さい! 私、入会するなんて一言も言ってませんから~っ!」
「オホホホ~」
ロロ子は愛車のローバーミニに飛び乗ると、甲高い笑い声だけを残して走り去る。
いつの間にかメンバーに加えられてしまった潤は慌てて玄関を飛び出したが、もう間に合わない。潤は尻餅を突いて赤く灯ったテールランプを見送った。
「ノ~カン……ノ~カン……」
潤は青天井の賭博で全財産をスってしまったギャンブラーのように、過去をなかったことにしようとしたがそれは叶わぬ願いだった。
遊馬は脱力した潤に手を差し伸べる。
「とうとう魔物の巣に足突っ込じまったな……」
「……終わりよ、もうお終いだわ」
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