第十七幕「忘れたい過去を追って」

 ボロスからログアウトして現実世界へ帰還する。時間は正午。庭に照りつけていた陽光が目に慣れず、少し目が痛い……。遊馬は同じくログアウトを終えた三人の顔を見遣る。役に立てたと微笑むナズナ、好きな曲を唄えて満足する潤、それと何故か急に黙り込んでしまったテッド。


 ナズナと関わるな――その意味深な言葉の真意は分からない。長年、彼と向き合ってきたからこそテッドがそんな冗談を言うヤツではないと、遊馬はよく知っている。


 脳裏に不安が渦巻き、遊馬は急に恐くなった。

 自分たちが探しているモノとは一体……何なのか?

 本当に探し当てても良いモノなのだろうか?


 未だ、想像さえつかないお宝を見つけてしまった、その後――。

 ナズナは、遊馬の前から姿を消してしまうかも知れない。

 彼女はただ、父親の命令でその《何か》を探しに来ただけなのだから。


 思いを募らせるだけ募らせて、叔父の時みたいにまた裏切られてしまうのか?


 それに心の奥底では叔父に会えるかもという期待を抱く自分がいる。叔父の影を追い、希望という名の風船を膨らませ続けてきたが、最後には破裂して全てが消えてしまうかもしれない。遊馬は思い惑ったが時はその時間さえ与えてはくれなかった。叔父のボロスグラスが、新たなメッセージを受信したからだ――。


「あら? 今の音、次のメッセージが届いたのね!」

「お、おう……」

「さぁ、早く開いて見なさいよ!」


 しょうがなくと言いつつ、お宝探しに割り込んできた潤が今では一番の牽引役だ。

 肩を揺さぶられた遊馬は気乗りしないまま、届いたメッセージを開封する。


「地図みたいだ。それにしても……またやっかいな」

「えっ? ここはもうしない場所じゃない。どうやって行くのよ……?」

「どうされたましたか?」


 示された場所に困惑して遊馬と潤は顔を合わせると、二人の様子が気に掛かったもナズナもリンクされたメッセージに目を通した。


「……ダム?」


 そう、そこは白雨ダムだった。村から随分と離れた場所で近くに住む住人もいない。数年前、西地区が丸ごとダムの底に沈んでしまったため、今では何もない場所だ。


「私、あそこ好きじゃないのよ。思い出を半分、置き忘れた気分になっちゃうから……」


 潤はため息を吐いて肘をちゃぶ台の上に乗せる。彼女の言う通りあそこには幼少期を共に過ごしてきた記憶が色濃く残っている。遊馬も近くを通りかかる度、半身が濁った水面下に沈んでいる気分になるのであまり近づきたい場所ではなかった。


「しょうがないさ、いつだって決めるのは役人か、金のある大人たちだ」

「そうね。当時の私たちにはどうにもできなかったし……。でも、この地図が示してる場所ってダムのど真ん中よ? 今更どうやって行けっていうの? 泳ぐの?」


 泳ぐ、それを訊いたナズナは酷く不安な顔をして告白する。


「……私、泳げないです」


 ――はい、よく存じております。


 それは彼女が田んぼに落ちた時、すでに立証済みなので遊馬には聞くまでもなかった。しかし、遊馬はふとテッドを空港に迎えに行った時のことを思い返す。


「その心配はないぜ。前に通りかかってちょいと覗いて見たら、この日照りで水はすっからかんになっててロープがあれば降りられそうだったぜ。な、テッド?」

「オ、オー、イエス……そうダネ」


 テッドは遊馬と目を合わせようとはせず軽く俯く。あの動揺、彼は何かを知っている。遊馬はすぐにでもテッドを問い詰めたかったが、ナズナのいる前でことを大きくしたくもない。仮にテッドの思い過ごしだった場合、彼女を傷つけてしまうからだ。


 ――今はまず、お宝の正体を突き止めよう。


 遊馬は自分の頬を二度叩くと気分を入れ替えていつも通りに振る舞う。


「さぁて、白雨ダムまで徒歩で行くにはちょっと遠いな。潤、いつもの電動スクーターで来てるのか?」

「そりゃそうよ、こんな日差しの強い日にアンタん家まで歩いてたら焼きイモリになっちゃうわ。玉の肌にシミが大変だしね」

「ハイハイ。ナズナは俺の後ろに乗せるとして……テッド、ちょっと手を貸せ」

「……ホワイ?」


 炎天下、日差しが皮膚をジリジリと焼き付ける中――。

 遊馬とテッドは額に汗を滲ませて埃臭い納屋の中で声をかけ合った。 


「いいか、押し出すぞ?」

「OKネ」

「せーのっと!」


 二人が持ち出したのは傷だらけのサイドカー。長い間、納屋に放置していたため所々にサビが出ているが、この程度であれば使用するのに問題は無い。遊馬のSWー1と同じカシューナッツベージュに塗装していて、陽射しを浴びた風除けが十字の光を放った。


「わぁ、それまだ残ってのね。懐かしい~っ!」


 潤が手を合わせて驚喜する。


「昔、二人でこのサイドカーを取り合ってたよな。結局、二人で狭い座席に座る羽目になって、叔父さんの運転でツーリングに連れて行ってもらったんだ」


 遠い日の思い出。サブフレームをバイクに取り付けて、サイドカーを連結するボルトをしっかりと締める。またこうして、サイドカーを使う日が訪れるなど想像していなかったが、取り付け作業を進めるに連れ、叔父との思い出が込み上げてきた。


「これで良し。テッド、座ってみろよ」

「こ、これは安全なのかい……?」


 遊馬はサイドカーの後部に乗せてあったスペアタイヤをポンと叩いて、嫌がるテッドを呼び寄せる。


「カリバーにでもなった気分ダヨ……」


 たしかに身長180センチ近い彼にはキツそうだったが、これで納得してもらうしかない。その理由は遊馬が二度とこの男を後ろに乗せたくない。ただそれだけであったが……。


「ごめんなさい、やっぱり私が……」

「いやいや、こんな埃臭いのにお嬢様を乗せられないよ。だよな、テッド?」

「……OKネ」


 あからさまにテンションが低い。テッドはナズナと目を合わせようともしなかった。ムードメーカーである彼がこんな状態ならば、自分が引っ張るしかない……。

 遊馬はパンっと手を叩く。


「よし、決まりだ!」


 テッドに予備のヘルメットとダムへ降りるためのロープを投げ渡し、遊馬はバイクに跨がってキーを回す。マフラーが黒煙を吐くと、後部シートを叩いてナズナを呼び寄せた。


「次で最後だ。お宝を持ち帰って、マリウスとかいうキノコ野郎の鼻を明かしてやろうぜ」

「は、はい……っ!」


 湿気混じりの暑い風を切って、二台のバイクが見通しの良い田舎道を直走る。隣では潤が首に掛けた麦わら帽子がバタバタとはためく。そして、前方の山並みには灰色の雲が広がり、ひと雨来ることを遊馬に予見させた。

 それと数年ぶりに取り付けたサイドカーは随分と重く、普段と違う乗り心地に少し戸惑いがあったが、それでもツーリングは気持ちがいいものだ。風と一体化するだけで、嫌な気分を易々と吹き飛ばしてくれるからだ。後部シートで横座りをしたナズナが腰にしがみ付くと、遊馬は彷彿とクラシック映画のワンシーンを思い起こし、ついこのまま彼女を連れ去りたい気分になった。

 するとそこで、一人、快適な走りを楽しんでいた潤が大声で遊馬に話しかけてくる。


「遊馬、いくら荒木さんにもらったバイクでも今時ガソリン車なんて前時代的よ。それに比べて、私の電動スクーターは音が静かでとってもエコ。環境のことも考えて、アンタも電動バイクに買い替えなさいよ」

「うっせーな……。いいだろ、人の趣味にケチつけんな。そんなだっさい玩具に乗れっかよ。電動なんてロマンがないんだ、ロマンが。さぁ静聴せよ、このマフラー音を!」


 そう言って遊馬はアクセルを絞ってエンジンを唸らせると、呆れて潤が首を振っていた。


「はぁ~。まだまだガキね、アンタって」


 彼女は首を軽く左右に振って成長のない遊馬を憐れむ。

 すると突然――遊馬の網膜に見慣れない光景が映り込んだ。


「事故か……?」


 こんな片田舎で事故が起きるなど何十年ぶりのことか。

 県警と書かれたパトカーが数台道の脇に止まり、警官の一人が誘導灯を左右に振っていた。遊馬と潤はバイクの速度を落として事故現場を注視する。そこにはへし折れた電柱と、畑に転落した赤いランボルギーニが黒煙を上げているところだった。


「まさかあれって、キノコ野郎が乗っていたランボルギーニか?」

「そう……みたいですね」


 青ざめた顔でナズナが頷く。


 ランボルギーニ、ヴェネーノ・ロードスター。

 ――時価、約4億4000円。


 サラリーマンの生涯を超える赤い暴れ牛は無残にもフロントがくの字に凹み、ボンネットが紙クズみたいに千切れ飛んでいた。

 潤は興味津々で前屈みになり、事故の惨状をまじまじと覗き見る。


「うわ、高そうな車なのに勿体無いわねえ……」

「自業自得だろう」


 あの無謀な暴走運転はいつか事故を起こすと遊馬は予見していたが、まさかこんなにも早く現実になるとは思ってもみなかった。いけ好かない男だったが一応はナズナの婚約者。遊馬は少し複雑な気分でナズナに確かめた。


「どうする? お宝探しは延期して、キノコ野郎がどうなったか尋ねてみるか?」


 すると、少し間を空けてナズナが返答を寄こす。 


「いえ、いいです……知らない人と話すの、恐いから」

「ですよね~」


 短く切られた会話。悪事身に返ると言えど愛車が大破し、婚約者に見限られてしまったマリウスを遊馬は少し哀れに思った……が、利己的で傲慢な態度とキノコ頭が脳裏に浮かんだ途端、それは《ざまぁみろ》に替わった。


 ――ザッツ・オールライト。


「天気も崩れて来たし、先を急ごうぜ」

「はいっ」


 それからの道中、遊馬とナズナの間でマリウスの話題に上ることはなかった。




 長い一本道から山道に入り、曲がりくねった坂道を右へ左へ延々と登り続ける。

 山頂に見ると、いつの間にか雲がその厚さを増し、勢いよく鳴いたセミも雨の気配を察して鳴りを潜めていた。山道にはストロークエンジンの音だけがどこまでも響く。

 SWー1はサイドカーというお荷物を抱えてもグイグイと坂道を登り続けたが、潤の電動スクーターはモーターは馬力がなく悲鳴を上げて今にも止まりそうだった。


「アンタたち待ちなさ~い、置いてかないでよ~!」

「誰だ、さっきガソリン車なんてダッサ~イとか言ってたヤツは~? それじゃ押して歩いた方が早いぜ、プププ……」


 勝ち誇った遊馬はバイクを停車させて笑みを浮かべて後ろを振り向く。


「お……覚えてなさいよ~!」


 潤は負け惜しみを言ったがとうとう諦めて電動スクーターから降ると、本当に手押しで峠を登り始めた。とはいえ、ここさえ登り終えればダムの堤防に辿り着く。

 潤なら大丈夫と踏んで遊馬は先へ進むことにした。


「もう一押しだ、上で待ってるから早く来いよ」

「ファイトだよ、うるみん!」

「うわ~ん……」


 泣き言を言いながらも置き去りされた潤は拳を上げて声援に応えた。


 アクセルを絞って残り100メートルの距離を一気に登り終えると、遊馬たちの眼前に拓けた景色が広がった。すっかり干上がったダムの底、昔の面影がちらほらと見受けられる。変わり果てた跡地を見下ろすのは何度やっても慣れない。また来てしまったという後悔の念が心中で渦巻くからだ。


 ――しかし、今は忘れよう。

 遊馬は風除けのゴーグルを上にズラしてヘルメットに引っ掛ける。


「寂しい……所ですね」


 後部シートに座ったナズナが、堤防の下に広がる旧白雨村跡地を覗き込む。


「ここには村の西地区が丸ごと眠ってる。年寄りたちは東地区に越してきたが、若い連中はみんな良い機会だと言って村を出ていっちまったよ。不況も重なってこんな限界集落じゃ仕事もないからな」

「そんな……素敵な所なのに。白雨村は無くなってしまうのでしょうか?」


 いつか白雨村が消失する――何気ないナズナの一言に遊馬は、


「不思議だよな。昔は鳥の鳴き声で目覚め、季節を感じながら畑を耕して。そんな生活で充分に暮らして来られたのに。今の時代は効率とか便利さだとか、そんなものばかりに目が行って時間に追われる毎日。寝る時間を削って勉強したり、仕事に命を賭けたりして。俺は贅沢できなくてもこの村みたいな時計が要らない暮らしの方が、幾万倍も生きている実感がするよ」


 などと、長い間……胸の内に貯め込んでいた本音を吐露してしまった。

 突拍子もない話題にきょとんとした顔でこちらを直視するナズナ。


「あ、俺って怠け者だから。働いたら負けっていうか、ただ楽がしたいっていうか……」

「くふふ。いいですね、時計が要らない暮らしって。もし、私も自分で未来を決められたら……将来、この村で暮らすのもいいかな」


 どこか哀しげで哀傷が入り混じった笑み。てっきり笑われると思っていたが、意外にもナズナは遊馬の考えに賛同してくれた。


 最高のハッピーエンド――。


 それはナズナがマリウスとの婚約を解消して、この村で静かに暮らすこと。もし叶えることができれば、夢を見ることをやめてしまった自分を変えるチャンスかもしれない。そうすれば、彼女と同じ景色を眺め続けることができる。


 遊馬の中でそれが新たな望みとなり、沸々と使命感に変化していった。


「その夢、実現させようぜ」

「……はいっ!」


 遊馬がナズナとの会話を弾ませていると、そこへようやく峠を登り終えた潤が到着した。


「ハァハァ、やっと着いた……」

「頑張ったね、うるみん! お疲れ様、スクーター重くなかった?」

「こ、このくらい平気よ! 田舎の娘はこのくらい体力がなきゃ、やってけないから!」

「体力……やっぱり私には無理かも」


 潤の逞しさに圧倒されてナズナの決意がガラス細工みたいに崩れていく。

 せっかく盛り上がった気分を下げまいと、遊馬はナズナを懸命に持ち上げた。


「いくらたくましくったって、ゴリラ女に嫁の貰い手なんていないさ! それよりもお淑やかで上手い飯を作れる。これこそ村で上手くやっていく秘訣だと思うぜ!」

「本当……ですか?」


 ぱっとナズナの顔に笑みが戻り、反比例して潤は眉間に深いシワを作った。


「ちょっと、遊馬! 私だって料理くらいできるわよ。さっきだって私が……」


 だが、遊馬はキッパリと言い退ける。


「昔、ままごとで泥団子をおはぎと偽って食わされた悲しみを俺は絶対に忘れない」

「……あれ~、そんなこともあったっけ~?」


 潤がギクリとして肩を縮め、口を尖らせて恍けたフリをする――まぁいい。

 思い出したくもない過去を掘り起こすよりも、今は未来に続く希望を追い求めるべきだ。


「そんじゃ、地図にある印の位置へ降りてみようぜ」

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