第十六幕「思い出の曲が流れる時」

 水のせせらぎと何かが軋む音が鼓膜を震わせる。

 聞き覚えのある懐かしさ、童心に戻ったようなこの感覚――。

 ゆっくり瞼を持ち上げるとそこは随分と古ぼけた小屋の中だった。


「ここってもしかして……」


 遊馬は操作パネルを表示してボロスマップの座標を確認する。


 やはりそうだ――村の外れにあった水車小屋だった。

 随分と昔から野ざらしにされ子供の遊び場となっていたが、祖父の玄がまだ若かった頃は米搗こめつきに使用していたそうだ。米搗きとは玄米を精米することで、大昔はどこの農村でもこんな水車があった。

 しかし、今では近代化されて全て機械で精米されているため、使うどころか現存しているだけでも歴史的価値があるらしい。潤が懐かしそうに柱に手を掛けて水車小屋の隅々にまで目を配る。


「わぁ、久しぶりに来たわ。昔よくアンタと一緒に遊んだわよね~。まさか、ここまで忠実に再現されてるなんて」

「あの頃、隠れん坊でよくここに潜んだっけ。それでお前、小屋から出られなくなって泣いてたよな」

「も、もう昔の話よ!」


 恥ずかしい話を蒸し返されて潤は赤面して目を背ける。

 しかしそれは、潤が出られないように遊馬が引き戸に支え棒を置いたからで――、

 なんて今さら言えない。


 童心に返った気分で周囲を見回すと、壁に手入れの行き届いたクワや鎌が置かれていたり、精米や脱穀で散らばった玄米が所々地面に落ちていたりする。まるでさっきまで誰かがここで働いていたかと思えるほど、ここには人の息遣いが残さていた。


 そして、しばらくすると遊馬のボロスグラスが再びメッセージを受信する。


「お、続きが来たみたいぜ。なになに……」



《フェーズⅡ――壊れたレコード盤、光と影の隙間に封じられた彼の曲を探せ》



 さっぱり意味が分からない……。

 遊馬が首を傾げると隣にいた三人も首を傾げる。


「レコード盤って何だよ? ここには朽ちた木材と雑草、それと年中変わらず流れ続ける小川くらいのもんだぜ……」

「うーん、タイムカプセル的なモノが埋まってるのかしら?」

「ノンノン、潤。キミは良くも悪くもミーと対等に語れる同志と思っていたのに――」

「何よ、テッドのくせして偉そうに……同志なんて気持ちが悪いこと言わないで。鳥肌が立っちゃったじゃない」


 突然、自信満々にテッドが名乗りを上げると、遊馬も潤と何を偉そうにと訝しむ。

 だが、もしかしたら彼もやる時はやる男……なのかもしれないと思い、とりあえず言い分を聞いてやることにした。


「お前なら解けるんだな? このメッセージに秘められた謎を」

「もちろんネ! 光と影と言えば一つダヨ。それはマジカル・モモカルの第一期オープニングテーマ《恋は気まぐれ、ライト・アンド・ダークネス》に決まってるじゃないカ!」


 ――は?


 遊馬と潤は、僅かに期待で胸膨らませてしまったことを後悔した。

 呆れて言葉を失い、周囲に小川のせせらぎだけが空しく響く。

 この男に、何かを期待した自分が恥ずかしい……。

 さらに同類扱いされた潤は近寄りがたいほど強烈な殺気に満ちていて、半笑いで目が据わった顔はしばらく夢に見てしまいそうなほどに恐かった。


 ――さぁ、潤さん。この救いようがない馬鹿に思いの丈をぶつけてやって下さい。


「この変質者、水車に括り付けて溺死するまで回してやろうかしら。それを言うなら、マジカル・クロカルちゃんが唄う、第三期のエンディングテーマ《独りぼっちのシロクロ流星雨》でしょうが!」


「……そこかよ!」


 類は友を呼ぶ――というよりも、同族嫌悪の醜い言い争いが始まった。遊馬は二人のやり取りを後ろで大人しく傍観していたが、ナズナは違う反応を示した。


「あの……もしかしたら、そのアイデアは的を射てるかもしれないです。水車をよく見てて下さい。あれをレコード盤に例えると……」

「あっ!」


 芯棒から放射状に広がった梁が断続的に陽光を遮り、最後の1フレームがズレていて、一瞬レコードの針は飛んだみたいな動きをしていた。すると、ナズナは嬉しそうに耳に手を重ねて解説を続ける。


「それに気付きませんか? 小屋の中で反響してる《音》に――」

「音? 小川と水車の軋む音くらいしか……それがどうかしたのか?」

「あ、あのですね。私、生まれつき絶対音感というのを持っていて、ここで聞こえる音、全てにズレを感じるんです。分かりやすく説明するとですね――おいで、デメンスキー」


 ナズナはおもむろにあのパシリを呼び出すと、宙に浮いた金魚に手招きして呼び寄せた。出たぞ、と遊馬は思ったが不細工なデメキンと戯れるその姿は、どことなく遊馬と潤を和ませてくれる。


「改めて見るとブサ可愛いかも。あれって本当にナズナのパシリだったのね」

「ああ、無類の金魚好きだからな。ただしデメキンに限る」


 そして、ナズナに寄り添うようにデメンスキーがひと回りすると、泡を吐きながら彼女の掌にちょこんとその身を乗せた。実に微笑ましい光景だ。と、そこまでは遊馬も潤も同意見だった、しかし……。


 次の瞬間、ナズナはデメンスキーの頭を羽交い締めにすると、強引に腕を口に突っ込んだ。苦しげに尾ひれをバタつかせて涙を流すその姿に二人は思わず絶句する。

 そして、ナズナが何かを掴むとデメンスキーの口からそれを引っ張り出す。その有様は22世紀から来た猫型ロボットが持っていた、異空間に繋がる半月ポケットを連想させたが、遊馬は敢えてそれを口にしない。


「よいしょっ」

「……こ、琴?」


 潤がぽつりと言葉を溢す。ナズナがデメキンの口から抜き出したのは、幅2メートルほどある十七弦琴だった。

 ここは仮想空間――ナズナは身丈より大きな琴を水平に浮かせると、腰くらいの高さで固定し、周囲に無数のモニターが表示させた。琴爪を付けた指を弦に当てて一本一本を調弦する度に、モニターに複雑なプログラムを書き出されていく。


「では、音を拾い集めて一つの曲に紡ぎ直してみますね」


 そして、調弦を終えたナズナは辺りに混在している音を拾い始めた。


「まず脱穀用の木臼を付く音……」

「次に汲み上げられた水が落下して打音する音……」

「最後に水車の回転で繰り返される明暗のリズム――」


 流麗な音色を奏でるナズナの姿はどこか可憐さと奥床しさを兼ね備えていて、光芒に煌めく銀の髪が遊馬に天界で戯れる天女を連想させた。


「素敵な音色だわ~。イタリアに住んでいたって聞いたのによく琴なんて弾けるわね」

「母は日本人なので、故郷の習い事を沢山教えてくれました。今まで音色から日本を想像することしかできなかったけれど、改めてここで弾いてみて自然と共存してきた日本文化の奥深さを感じられた気がします……クスクス」


 潤が投げかけた問いを楽しげに答えるナズナこそ、現代の日本人よりも日本人らしく感じてしまうのは可笑しな話だ。彼女の隠れた才能に遊馬はすっかり感嘆したが、それ以上に驚いていたのはポカンと口を開けて立ち尽くすテッドだった。遊馬がテッドの肩を揺さぶると、彼はこちらに視線を移し目玉を見開いた。


「どうしたんだよ? ハトが揚げ玉ボンバー喰らったみたいな顔をして」

「アメイジング……彼女が組み直したコードを見たかい? あれはボロスの根底を構成している環境法則プログラム。開発者用の《アーキテクト・コード》ダヨ。一般人があんな代物を扱えないし、コーディングのスピードも尋常じゃナイ。弦の一つ一つが複雑なショートカットとなって、途轍もない情報量を処理したヨ……」


 こう見えても一応、テッドはプログラミングの才能が認められて留学した特待生。

 その彼からしても、ナズナがやってのけた離れ業は、化け物じみて映ったらしい。

 けれど遊馬には、そんな芸当を彼女に教えた人物に心当たりがある。

 それは《あの人》しかいないだろう。


 そうして、しばらくナズナの奏でる琴に耳を傾けていると、あっという間に時が流れて全ての音を解析し終えた。


「終了しました。ズレを調律した音を再生してみますね」

「お? やってくれ」


 ナズナは右小指の琴爪で弦の一本を弾く。

 途端、水が急激に逆流して水車が反時計回りし始めてピタリと止まる。

 そして、再び時が動き始めると――。


 水車はさっきまでとは違う一つのメロディを奏でる。

 その曲を耳にした途端、テッドと潤が顔を合わせて曲名を一字一句違えずに叫んだ。


『このフレーズはマジカル・モモカルの第二期挿入歌、《世界はオセロ・ロジック》!』


 ――やはり、コイツらは似た者同士。同じ穴のムジナだった。


 テッドは地面に落ちていた角材をケミカルライト代わりにして振り回し、潤は小振りのスコップをマイク代わりに唄いだす。突如、カラオケ会場と化した納屋。

 遊馬は頭を掻いてナズナの隣に腰を下ろし、残念な二人が歌い終えるのを待った。

 そうして潤とテッドが気持ちよく一曲歌い終えて最後にポーズを決めると、ナズナが胸に手を当てて小さく声を上げた。


「遊馬さん、これを見て下さい……!」


 振り向くとナズナが首にぶらに下げていたボロスコインが光を放ち、二つ目の宝石が装飾され新たな色が加わった。今度はエメラルドブルーだ。


「これで残りはあと一つだ、チョロいもんだぜ!」

「わ、私でもお役に立てたでしょうか……?」

「あったりまえじゃないか~、だからもっと自分に自信持てよな、な?」

「……はいっ!」


 初めて役に立てたと実感したナズナは、両手の指を絡ませ頬を赤くして頷いた。

 今まで見たことがなかった彼女の嬉しげな表情に魅入り、遊馬もすっかり気が緩んで柱に手をかけると、いつの間にか隣にしゃがんでいたテッドが脇腹をツンツンと突いてきた。


「ふぇっ何しやがる、俺は脇が弱いんだ!」

「……ちょっと聞きたいことがあるんダヨ」

「気持ち悪いな、どうしたんだ急に……」


 彼は神妙な面持ちで耳元に口を寄せて小さく囁く。


「前から気になっていたケド……ナズナちゃん、彼女は何者ネ? ミーさえ知らないコードも読み書きしてしまうし、尋常ではナイヨ……」


 たしかにテッドの意見には耳を向けるだけの意味はあった。

 だが、尋ねられた遊馬でさえ彼女については知らないことの方が多かった。


「ん~、詳しくは知らねぇけど前にナズナは叔父さんを先生って呼んでたし、お嬢様だから習い事の一つとして教わったんじゃないか?」

「あ、荒木博士が彼女のティーチャーだったのカイ! まさかナズナちゃんのラストネームはソルフェリノって言うんじゃ……?」

「ああ、長ったらしい名前の最後がそんなだった気もする。それがどうかしたのか?」

「ノー、ノー……まさか、こんなことになるなんて………………」

「おい、大丈夫かよ?」


 テッドは次第に声のトーンが低くなり持ち前の陽気さが鳴りを潜めると、最後にナズナを一瞥して何かを言いかけた。が、遊馬は上手く聞き取れなかった。

 彼らしくない様子が気に掛かりテッドの肩に手を乗せると、彼は小声でだけ言葉を漏らした。


「遊馬……これ以上、彼女に肩入れしない方がイイヨ」

「――えっ?」

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