第十五幕「悪い魔女と清楚な少女」

 ナズナが無料販売所を後にした頃、遊馬の自宅ではまだ死闘が繰り広げられていた。赤いメガネを曇らせたロロ子が潤を廊下に押し倒して馬乗りになると、嫌がる潤に息を荒く顔を寄せる。遊馬はその様子をドキドキしながら見守っていた。


「ハァハァ。潤ちゃ~ん、アナタからは私たちと同じがするの。巫女も魔女も大差ないわ。いい加減諦めて《眠れる森》に入会しなさいな。今なら恋が成就する呪い袋を進呈するわ」

「そ、そんな怪しげな物いらないので持ち帰って下さい! それに御利益があるなら、まず自分で使いましょうよ!」

「まったくもう。遊馬くんといい、潤ちゃんもノリが悪いわねぇ……冗談よ、冗談」


 ――いや、その眼差しは本気でした。


 ロロ子はため息を漏らして潤に乗っかかった体を退かせる。遊馬はすっかりロロ子のことを失念していたが、襲来……もとい、来訪の理由をロロ子に尋ねてみる。


「ところで、ロロ子さんは一体何しに俺ん家へきやが……いえ、我が家においでになられたのですか?」

「うーん、鋭い! いい質問ね」


 招かれざる客、其ノ二は指を頬に当てて首を傾けると、来訪の真意を語り出した。


「実は昨夜、この地域一帯であり得ない数値の負荷がかかってね。異常が起きていないか調査しに来たところなの。人口が少ない場所だし目立った施設もないけれど、夕方から深夜にかけて、白雨村の年間総通信量に匹敵するデータが発信されたのよ。調べてみたらどういうことか、異常なデータ発信源の一つが……遊馬くん、アナタの家だったわけ」


「へ……へぇ~、そうっすか~」


「だから、このクッソ忙しい中、どうにか時間を捻出してここまで出向いてきたわけ。キミなら何か心当たりがあるんじゃないかな~って、お姉さんの勘は言ってるのだけれど、ま・さ・か、遊馬くんが犯人……なんてことはないわよね?」


 これはマズイ――ロロ子は以前、お宝の噂せいで不眠不休の対応に追われた痛苦な過去があり、遊馬がお宝探しを始めたことがバレたら、どんなペナルティーを課せられるか分かったものではなかった。


「まさか~! そんなこと1ミクロンもあるはずないっすよ。そうだよな、潤!」

「へっ?」


 どうにか誤魔化そうと遊馬は潤に話題を振る。

 が、彼女はそれを予期していなかったのでキョトンと遊馬の顔を注視した。

 しっかりしろと、遊馬は慌てて潤の脇腹に肘鉄を入れる。


「アイタっ! そうそう遊馬、昨日はうちの祭りに来てたもんねぇ~。家に居なかったんじゃあ、何も悪さはできないわよね~、ね~?」

「そうさぁ~。第一、俺はロロ子さんに喧嘩を売る気概なんて持ち合わせてませんから」

「フーン、そうなの」


 ロロ子は、遊馬と潤を訝しんでこちらをジっと眺める。

 二人は蛇に睨まれたカエルみたいに身を寄せ合い、恐怖に打ち拉がれていると……。

 大きなバスケットを抱えたナズナが、玄関の戸を軽くノックした。


「あの……お取り込み中でしょうか? でしたら今日のは延期して明日また――」

「アーッ! タカを探しに行くんだっけ? この辺りは野鳥が沢山いるからねっ!」

「どうしたの、遊馬? そ……それにこちらの女性は……?」


 苦況に鉢合わせたナズナが狼狽する遊馬を心配げに見つめると、ロロ子は不敵な笑みで赤いボロスグラスをクイっと押し上げ、私欲に満ちた魔の手を彼女に伸ばした。


「あらあら、私好みの可愛らしい子じゃない。何処のどなたかしら~? ウフフ……」


 本能から身の危険を感じたナズナは、震えながら手にしたバスケットを地面に落とす。大慌てで遊馬が間に割って入ると、ナズナを背に隠して悪い魔女に言い放った。


「ロロ子さんお願いっす! 彼女は純粋無垢な子なので、どうか汚い大人の現実で穢さないでやって下さい……」

「もう、随分な言い様ねぇ……」


 ロロ子は残念そうに立ち上がり、フォーマルなスーツのスカートをパンパンと叩く。慣れた手つきで懐から名刺を取り出すと畏まってナズナに手渡した。


「初めまして清楚なお嬢様、私は山吹ロロ子と申します。アナタのお名前も聞かせてもらえると嬉しいわ」


 すると、ナズナは少し戸惑いながらロロ子に自分の名を告げた。


「わたし……は、ナズナ・クリスティーナ・デ・ソルフェリノ。一昨日、ここに引っ越してきました。遊馬は私の恩人で、村のことが分からない私に良くしてくれています」

「ふーん、ソルフェリノさんねぇ。なるほど、やるじゃない遊馬くん。二股、しかもその両方を家に招き入れるなんて! ちゃんと甲斐性があったのね、ムフフ~。実はアナタのこと、すごく期待……いえ心配してたのよ。遊馬くんったら、お姉さんの露わな格好を見てもそっけないからつい、女性より男性に興味がものだとばかり……」

「ダ~っ! その話はまた今度! それより他にも用事があったんじゃないんですか?」


 ハッとしたロロ子は嫌なことを思い出したようで、


「そうなのよ~。ブーゲンビリア社とかいう外資系企業が上層部に圧力をかけて、近々ボロスシステムに導入する予定の商品を、よりによって白雨村で実地テストをさせろと言ってきたのよ~。それにあそこの社長って、まだ20代そこそこの若造なの。キザで、傲慢で、高圧的で、残念なイケメンなんだけど、たしかマリウスといったかしら……?」


 などと、仕事上の不満をつらつらと語った。

 フィアンセの名を聞いたナズナはすっかり顔を青くしてしまい、申し訳なさそうに顔を俯かせる。遊馬もいけ好かない男の顔を思い出して眉を細めたが、それよりも後ろで震えていたナズナが気になり、彼女の手をそっと握ってやった。


「まぁ一応、はだいたい飲み込めたし、来てみて良かったわ。せいぜい頑張りなさい、遊馬くん。ナズナちゃんのためにもね」

「はぁ……」


 そして、ロロ子はボロスグラスの端に表示された時計に目を遣ると、


「あ、いけない。もうこんな時間だわ。それじゃまたね!」


 そう言い残して、道路脇に駐車してあった緑色のローバーミニに乗り込む。

 結局、あの人は何をしに現れたのか? 

 遊馬はロロ子の意図を理解できなかったが、宝探しの一件はバレずに済んだらしい。だが、ひとつ引っ掛かったのはロロ子はナズナを知っていたらしく、彼女の名前を耳にした途端、何故か含み笑いしていた。

 けれど……ラスボスを退散させた後となってはどうでもいいことだった。


 安堵した潤は大の字で廊下に寝転がる、そして気が抜けた声で笑う。


「アハハ……脅威は去ったわね……」

「ああ……嵐は去った。それにこんな所でダベっててもなんだ、中に上がろうぜ」

「さんせ~い」

「あ、あの、おじゃま……します」




 居間に戻ると、遊馬は畳に横たわったテッドを部屋の隅に押しやり、ナズナが座るスペースを確保してやる。食器棚からガラスのコップを取り出して麦茶を注ぐと、丁度、麦茶の容器が空になった。

 するとやはり気になるのか、ナズナがチラチラとテッドに視線を送る。

 さすがに潤が彼の首を羽交い締めにしたとは言いづらく、渇いた喉に黙々と麦茶を空きっ腹に流し込むと、その途端、腹の虫が鳴いた。


「そういや朝飯作ろうとしてたんだっけ。悪りぃ、ちょっとカップ麺でも作ってくるわ」

「もう! だから言ったじゃない、私にまかせておけば……」

「いや、それだけは断る」

「アンタねぇ、やっぱり私の料理食べる気ないでしょ!」


 啖呵を切った潤が遊馬の胸ぐらを掴むと、遊馬は半笑いで彼女の視線から目を背ける。

 すると、二人のやり取りをオドオドと見守っていたナズナが……。


「あのう……良ければ、私、サンドイッチを作ってきたので、皆さんで摘みませんか?」


 と、バスケットに掛けていたテーブルナプキンを取り払い、豪勢なサンドイッチをちゃぶ台の上に並べた。


「わぁ、すっごい……」

「これ、ナズナが作ったのか……?」


 遊馬と潤は思わず声を上げる。食パンはほんのり火で炙って茶色を帯びており、中には玉子、レタス、トマト、茹でたエビなども挟まれている――これはクラブサンドだ。

 見た目といい、ボリュームといい、遊馬の胃袋を刺激するのに充分な代物だった。


「は、はい、マッローネが昨晩のうちに材料を手配して、朝の5時から厨房を貸し切って作りました。でも後ろでマッローネや料理長、給仕やメイドさんが応援幕を作って見守っていたから、緊張しちゃって……上手くできたか自信ないですが、どうぞ」


 遊馬は健気なナズナが厨房に立つ姿と気の良い使用人たちが目に浮かぶと、涙ぐましい努力が込められたクラブサンドに喉を鳴らす、旨そうだと。


 だが――先入観に惑わされてはいけない。


 自然界には擬態化という姿を周囲に溶け込ませ、獲物に毒を盛る生物が多く存在する。つまりこのクラブサンドが、そういう類いのモノではないという保証はない。

 遊馬は額の汗を拭い眼前のクラブサンドと見えない戦いを繰り広げていると、ナズナは目尻に涙を溜め酷く落ち込んだ声で呟く。


「やっぱり……知り合ったばかりの他人が作った料理なんて、食べられないですよね。ごめんなさい、私一人、舞い上がってたみたいです」

「いやいやいやっ! 食べるよ、食べますよ! うわ~、旨そうだなぁ。このカリカリなベーコンが挟んであるヤツから頂こうっと」


 ええい、ままよ――遊馬は意を決してクラブサンドに大きな歯形を作る。

 そして……目から鱗と、ほっぺたの両方が落ちた。


 シャキシャキとしたレタスの歯ごたえに塩胡椒が利いたベーコン、それとトマトの酸味が口の中に広がり、さらにもう一口かぶり付く。


「うんめぇ~! 何だコレ……潤も食ってみろよ」

「え? あ? わたし? そ、そうね……」


 むさぼりつく遊馬に戸惑っていた潤もクラブサンドを手にとり、三角形の先を少しかじると、強張った顔が驚きに変わった。


「……お、美味しい」

「だよな、これなら毎日だって食えそうだぜ」


 ベタ褒めされたナズナは、恥ずかしげにテーブルナプキンで顔を覆って首を振る。

 仕草が遊馬には可愛く映り、また少し縮まった気がした。

 すると、ナズナが急にテーブルナプキンを下げてきょとんとした顔を覗かせると、何か思い出したように口を開いた。


「そういえば、花梨ちゃんは何処に……ここへ来る途中にお見かけしたのですが」

「お~っと待った、そいつは禁句だぜ」

「そう……なんですか?」


 その時だ――。


「う、う~ん……どうしてミーは土壁にキスしながら倒れてたんだい?」


 馬鹿が夢から目覚めた。


「おはようテッド。よく熟睡してたな、もう二度と意識が戻らないかと思ってたぞ」

「OH、いつの間に寝てたのカナ? ここ数時間の記憶がないんだヨ……」

「大丈夫。ここ数時間、何事もなく平和なひと時だった」


 どうやらテッドは記憶に混乱があるらしく、花梨の母がかの有名なアイドル声優だということを忘れていた。


「ソレ、どうしたんだい? 美味しそう……って、潤とナズナもいるじゃないカ。いつの間に来たんだい? それに確か、潤がミーの首を――」

「おおっと、早くこのクラブサンドを平らげちまおうぜ! 食い終わったらお宝探しを再開するからな!」

「た、沢山あるので、どうぞ召し上がって下さい……」


 満ちた胃袋に体中の血液が集まると、幸福感と眠気が優しく肩に寄り添ってくる。

 今、身を委ねれば、さぞかし気持ちの良い眠りを堪能できるだろう。が、今ここで横になったら潤からキツイ一撃をもらってしまうので、遊馬は眠気という甘い誘惑に耐える。


「さて、そろそろ始めっか」

「今日はどうするの? 早く言いなさいよ」


 しょうがなく手伝いに来たはずの潤が一番やる気をみせて、遊馬にオーダーを寄こせと責っ付いてくる。遊馬は、叔父のボロスグラスに息を吹きかけてホコリを飛ばすと、フレームを耳に掛けた。


「みなさん、ボロスグラスのご用意を」

「んしょと、これでいい?」

「よし、みんなをグループ共有に登録したから、俺のアイコンにアクセスしてくれ」


 遊馬は三人がオンラインになったことを確認すると、昨日届いた新しいメッセージを開く。タイトルは無し、他にはテンプレートされた《QRコード》だけだった。


「これだけ?」

「そう、これだけ」


 潤が怪訝な視線を送ってくる。


「で、コードの中身は何だったのよ」

「んー、昨日の夜に少しアクセスしてみたんだけど、いきなりフルダイブ(仮想現実モード)のサインが出ちまってさ。どうせ潜るなら全員いた方がいいと思ってな」

「懸命な判断ね。せっかくの楽し……いえ、アンタじゃあ解ける謎も解けないかもだし」


 散々な言われようだった。


「それじゃあ、行くぞ?」

「さっさとやんなさい」

「3、2、1……GO!」


 一瞬、レンズ越しの景色が制止すると、ドット状に分解されて後ろへと流れ出す。

 それが全て砂塵みたいに耳許をすり抜けていくと、視界が真っ白になる。

 すると、虹色の閃光が複雑な模様を造り出して網膜に焼き付いた。


《ウェルカム・トゥ・ボロス・ワールド ――ログイン》

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