第十二幕「月夜に舞う獣」


 しんと静まりかえった本殿――すだれが月明かりを遮り、漏れた光が磨かれた床板に横縞よこじまを浮かばせていた。

 遊馬たちは上がり口に手荷物や金魚が入った袋を置いて中へ入り、ひんやりとした床板を裸足で踏んで奥に進むと、潤が祭壇の前に立って深く一礼する。普段は心神深くない遊馬も、潤に釣られて思わず頭を下げた。

 そして、彼女は階段を上ってもう一礼すると、棚にあった祭具や供物を退かせて、そこに足場を作る。


「よっこいせと。遊馬、見てないでアンタも手伝いなさい」

「お、おう」

「ちょっとはしたないけど、棚の上に乗るからしっかり押さえておいて」

「大丈夫かよ。この棚、ガタついてるぜ?」

「しょうがないでしょ、手が届かないんだし」

「いや、俺が心配してるのは棚の方でお前の体重でベキってイッちま……アイテッ」

「この馬鹿! 黙って棚だけ支えてなさい!」


 うっかり口を滑らしてしまい、潤が振り落とした渾身の拳を脳天で受けた。

 しかし、遊馬の言い分にも一理ある。

 荷重のかかった棚は苦しそうにギシギシと悲鳴を上げたのだから。

 潤はガクガクと膝を震わせながら観音開きの戸を引く。

 祀られてあった銅鏡に手を伸ばし、そっと持ち上げた――すると。


「お、重い……ちょっと誰か受け取って~」

「ヘイ! それならミーが――」

「アンタはダメ、絶対にダメ! 本殿に穢れを持ち込んだばかりか、変態に御神体に触れさせるなんてご先祖様に申し訳が立たないわ!」

「ヒドイ言われようネ……」


 そこで潤がナズナに声を掛ける。


「ナズナさん、花梨ちゃんをテッドに預けて代わりに御神体を受け取ってもらえる?」

「わ、わ、わ、私がそんな大切なモノを……む、無理ですう……」


 小心者のナズナは激しく動揺し、逃げ出しそうと本殿の入り口を見る。


「待て待て。大丈夫だから、俺が隣で見ててやる。それならやれるだろ、な?」

「……は、はい」


 ナズナはどうにか思い止まり、スヤスヤと眠り続ける花梨をテッドに預けると、オドオドとこちらへ寄ってきた。まるで野生のキツネを餌付けしているように。


 一方、ニヤケ顔のテッドがスヤスヤと眠る花梨の頬に手を伸ばす。


「ウフフ、なんてキュートな寝顔なのカナ。まるでエンジェルみたいダヨ~、グヘヘっ」

「もし花梨ちゃんに手を出したら……アンタの毛根、呪殺するわよ!」


 潤が子ライオンを守る雌ライオンのように鋭い眼光を放ち、テッドを威嚇する。


「そ、そんな恐ろしいこと言わないでヨ。紳士は優しく見守るものサ……」

「フンッ」


 そしてオドオドしたナズナが手を差し出すと、潤は最善の注意を払い彼女に銅鏡を手渡す。


「ぜ~ったいに、落とさないでね」

「は……は、は、は、はい……!」


 だが、ナズナの手は緊張で汗ばみ、震度5の地震が来たかのように激しく震えていた。いつ床に落としてしまってもおかしくない状況に遊馬まで息が張り詰める。

 今にして思えばナズナが棚を支えて、代わりに自分が銅鏡を受け取れば良かったのではないか? という根本的な間違いに遊馬は気付いたが時すでに遅しだった。


 潤が棚から下りると、遊馬はゆっくりとナズナに手を伸ばす。


「よく頑張ったぞ。そっとだ、そっとこっちに渡せ……」

「は、はぃいいい……」


 ……――緊迫の一瞬。


 細い一本の線が張り詰めた状況下、ちょうど目を覚ました花梨が遊馬の首に気持ちよさげに抱きついた、つもりだった。


「あんた~ん、むぎゅう~……」

「キョヒョォオオオオオ~!」

「あう? あんた……ギャァアアアアアアアア~、何じゃこりゃ~っ!」


 花梨が異変に気付いてまぶたを見開いたが、そこに遊馬はいなかった。代わりに抱きついたのは、鼻息荒く唇を寄せた変態という名の紳士さんだった。

 反乱狂した彼女にできたのは、叫ぶことと卑猥な眼差しに目つぶしすることだけだ。当然、悲鳴でナズナの緊張の糸が切れてしまい、両手から銅鏡がすっぽり抜け落ちた。


 これは必然、これがフラグ、これも全てテッドが悪い。


「きゃっ!」

「危ねぇ!」


 咄嗟に体が反応した遊馬は、今にも床に落ちようとする銅鏡に両腕を突き出す。

 間に合う! そう確信してキャッチしようとした――刹那。

 あじさい柄の隙間から白いふとももが露わになって銅鏡を膝で蹴飛ばした。

 ついでに遊馬の額も蹴飛ばした。


「ギャンっ」


 真横に跳ねた銅鏡は回転し、光を乱反射させながら飛んでいく。

 明暗を繰り返す銅鏡が今にも床に落下しろうになった時、

 うずく額を押さえた遊馬には、もうどうすることもできない――絶体絶命。


 しかし、まだ終わりではかった。

 悲鳴と共に遊馬の横を疾風が駆け抜ける。


「お願い、逝かないでぇえええええええ~!」


 潤が豪快なスライディングで磨かれた床を滑走し、ギリギリのところで銅鏡をキャッチした。彼女は身をねじって仰向けになり豊満な胸に御神体を抱きかかえると、体をくるりと一回転させて勢いを止めた。全ては一瞬の出来事だった。


「ハァハァ……ありがとうございます、神様、ご先祖様。まったく30歳くらい歳を食った気分よ……後で覚えてなさいテッド」

「ちょ、ちょっと待つネ。ミーの何が悪いのさ~?」

「――存在よ」

「…………」


 それについて反論する者は誰もいない。

 と、思われたが一人だけ責任を感じて涙する者がいた。


「うう、あれほど大切なモノだって言われてたのに……全部、私のせいなんです。ごめんなさい、ごめんなさい!」

「いいのよ、ナズナさん。誰だってあんな悲鳴を聞けば驚くわ」

「そうだぜ、み~んなアイツが悪いんだ」

「あんた~ん、怖かったよお~……」


 かわいそうに。人生最悪の目覚めをした花梨はすっかり怯えてしまい、遊馬から離れようとはしなかった。一生忘れられないトラウマになってしまったのだろう。

 それにナズナも罪悪感に苛まれて未だ自分を責め続けている。


「私がちゃんと持っていればよかったんです。どうかこれ以上……テッドさんを責めないであげてください……」

「分かったよ、もう泣くな」


 軽く頭に手を乗せてやり、遊馬は泣きじゃくるナズナを宥める。

 ナズナは黙って頷くと、涙で頬に貼り付いた長い髪を耳にかけた。


 ――どうしてこれほどまでに、彼女は内気なのか? 


 答えはナズナ本人にしか知り得ないが、恐らく特殊な家庭環境によるものだろう。

 それに今はまだ他に頭を使うべきことが残っている。


「とりあえず、お宝の謎解きをしないとだな」

「そうよ。バレたら大変なんだから人が来る前に早く済ませてよ」


 遊馬と潤が銅鏡を斜めに覗き、裏返し、叔父が残したキーワードがないか探す。

 しかし、それには一つ大きな問題があった。


「うーん、暗くて見えねぇな」

「しょうがないでしょ、灯りを付ける訳にはいかないんだから」

「あっ、たしか《月光》がどうとかメッセージに書いてあっただろ?」

「たしか《月光を朱雀が守りし囲いを照らせ》よね……って、アンタまさか――」


 潤は遊馬の企みを察して青ざめる。


「丁度、今夜は満月じゃん。外に出して詳しく調べてみようぜ!」

「や~め~てぇ~…………」




 ボロスグラスの端に小さく表示された時刻に目を移すと、午後22時を回っていた。人気の無くなった境内は祭りのことを忘れさせるほど、暗く静かだ。唯一耳に入ってくるのは社務所で酒盛りを始めた村長や、実行委員の笑い声くらい。

 夜空を見上げると、満天に散らばった星々に混じり、夏の大三角形が一際目映い光を放ち、その間を天の川が壮大な流れを形作っていた。


「いい夜だ」

「それもいいけど、さっさと終わらせましょうよ……」


 気が気では無い潤は周囲の様子に目を配って、抱きかかえた銅鏡を強く締め付けると、月明かりに照らされた石畳まで歩みを進める。月の明かりで露わになった青銅の縁には、潤が話した通り、四神の姿が刻まれていた。

 朱雀、青龍、白虎、玄武――この中でメッセージに出てきた聖獣は《朱雀》だ。


「どう?」

「ん~、ボロスグラスには反応しないな。それに《囲いを照らせ》っていうのは、銅鏡に何かを照らせってことなのか……」


 そう言いかけた途端、潤が大きく目を見開いて遊馬を見澄ました。


「あっ、分かっちゃったかもしれない!」

「マジかよ?」

「ええ、四神にはそれぞれ意味が込められているの。例えば、季節や色、方位とかね。朱雀が守るのは南、それを現す色は朱。ってことは……」

「鳥居だ!」「鳥居よ!」


 声が重なると、二人の視線は石階段の前にある古ぼけた赤い明神鳥居に向く。

 そして、潤が銅鏡を頭上に掲げて月の光を集めようとすると、


「もうちょい右じゃね?」

「私はもっと左かな……」

「ミーは下だと思うヨ」

「花梨もやりた~い」

「みんなしてバラナラなことを言わないで! これって意外と重いのよ……」


 裾から出た二の腕をプルプルと震わせて、潤が懸命に鳥居を照らそうとしたが、なかなか月を捉えることができない。本当なら遊馬が適任だったがさっきの一件で潤はすっかり神経質になってしまい、それを許さなかった。

 だが結局、潤は一度も鳥居を照らせないまま限界がきてしまい、痺れた腕を下げると石畳に膝を突いて休憩を所望した。


「もう無理、手が持たない……」

「だから、俺がやるって」

「ダメダメ。アンタたちほど、信用って言葉が不相応な人間はいないんだから」

「じゃーネ、じゃーネ」


 突然、何かアイデアが湧いたテッドが鳥居に向かって走り出すと、


「このハンサムな顔を輝かせると思ってやってみなヨ。ポーズとって立ってるからサ!」


 などと、またフザけたことを抜かし始めた。


 ――上手くいく訳ねぇだろ、と遊馬は嘲笑する。

 だが、それとは別に不気味で陰気な笑い声が足元から湧いてきた。


「フフフフ……いいんじゃない、それ? アイツの顔を虫眼鏡で炙ってると思えば、何時間でも持っていられるわ!」


 ――潤さん、それ冗談に聞こえません。


 テッドが腰とアゴに手を当てて、腹立たしい笑顔をこちらに送る。


「準備OKネ!」

「不浄よ燃えろ、消えろ、滅せよ……」

「えっ?」


 潤が呪詛の言葉を連呼して凄まじい集中力を発揮すると、鳥居に月光が集まる。

 遊馬の掛けていたボロスグラスが反応して、レンズに映った鳥居には金色に輝くウロボロスの紋章が浮かび上がった。


「やったぜ!」

「ど、どうなの? 成功なの?」

「ああ、もう降ろしても平気だ。サンキューな」

「ふひゅう……」


 ヘトヘトになった潤は腰が抜けてその場に尻餅を突く。

 彼女には随分と無理をさせてしまったので、遊馬もホッと胸を撫で下ろす。

 これで一段落、遊馬がそう安堵した時――ことは起きた。


「キャッ」


 声を上げたのはナズナだった。

 彼女の首に戻したボロスコインが、鳥居のウロボロスと呼応して目映い光を放つ。

 あまりの輝きに遊馬が目を背けると……次の瞬間、鳥居からウロボロスが消えてしまっていた。数秒の出来事、辺りは静けさを取り戻して、ボロスグラスにも反応が無くなる。ナズナは首に付けたボロスコインを握り、突然の出来事に戸惑って肩を震わせていた。


 遊馬が慌てて彼女の元へ駆けつけると……。


「だ、大丈夫か?」

「へ、平気です。でもコレ……見て下さい」


 ナズナがゆっくりと指を開いて、ボロスコインの裏を見えるように差し出した。


「これはウロボロス? こんなの無かったのに、まるで鳥居にあった紋章がコインに乗り移ったみたいだ。でも一体どうやって…………あっ!」


 遊馬も気付いた。ウロボロスの眼に赤い宝石みたいな石がはめ込まれていたことに。さらに似たような石が他に二つあり、それはくすんだ灰色をしていた。


 つまり、謎解きは少なくとも残り二つは存在するということだった。


「ナズナさん、怪我はしなかった?」


 遅れて潤もナズナのところへ歩み寄る。


「はい、潤さんこそ大変な目に合わせてしまって……ごめんなさい」

「いいわよ、気にしないで。それと友だちに、ごめんなさいはもうナシよ」


 思いがけない言葉にきょとんとしたナズナは、潤が伸ばした左手をジッと見据える。少し間を置いて、彼女は差し出された手にゆっくりと自分の掌を重ね合わせた。


「こんな私でも良ければ……よろしく、です」

「良かったな、ナズナ」

「はいっ!」


 ナズナにとって初めてできた同年代の女友だち。彼女らがこれからどんなガールズトークを重ねていくのかは知らない。大きな一歩を踏み出せたナズナに、遊馬は無意識の内に惜しみない拍手を送っていた。


 そして、潤がナズナに提案を持ちかける。


「これからは潤さんじゃなくて、潤でも、うるみんでも、好きに呼んで良いわよ。私はアナタのことを、《ナズナズ》って呼ぶから」

「えっ? そんな、いきなりはちょっと………………難しいです」


 遊馬は戸惑うナズナの肩を押してやる。


「遠慮なんていらないんだぞ。ニックネームは仲良しになる一番の近道だからな」

「ほ、本当ですか? じゃあ、ウルミジール・ミコジョビッチというのは――」

「……えっ?」

「そいつはやめとけ、友だちは金魚じゃない」


 相変わらずのブッ飛んだネーミングセンスで、友だちになったばかりの潤をドン引きさせてしまった。どうフォローすべきか遊馬が頭を悩ませていると、そこで再びボロスグラスに新たなメッセージが舞い込み、レンズの端を赤く点滅させた。


 ニヤリと遊馬の口元が緩む。


「どうやら、二つ目の謎解きが始まったみたいだぜ」

「えっ、終わりじゃないの?」


 これがまだ始まりに過ぎないと知った潤は、疲弊しきった表情でフラつく。

 無理もない。祖先が千年以上も守り続けてきた御神体を無断で持ち出し、あわやそれを壊してしまうところだったのだから。


 ――よくやってくれた、もう充分だ。


 遊馬がそう潤に告げようとした時……。


「コラ~っ! お前たち、こんな夜更けに何を騒いどるんじゃあ~!」

「うわ、やっべぇ……」

「お、お父さんっ!」


 神主である潤の父や村長が、外の騒ぎを聞きつけて社務所から出てきてしまった。

 潤の父は普段なら温和で人当たりの良い人だが、酒が入ると人が変わる。それは昨日、遊馬が奉納した大吟醸萌桜を手にしていることから明らかだ。

 銅鏡の一件でさえ大目玉なのに、酔っ払いが相手となれば朝まで説教されることを覚悟せねばならない。


 遊馬の決断は早かった――。


「逃げるぞ。潤、後は任せた!」

「えっ? えっ? 任せるってそんな……私を置いてかないでぇ~!」


 咄嗟にナズナの右手を引くと、踵を返して鳥居の方面に猛ダッシュする。

 途中、空いた左手で花梨を抱き上げると長い石階段を段飛ばしで駆け下りた。

 一人、取り残された潤は《この世の全てに絶望した》、そんな悲壮な眼差しで自分を見捨てた遊馬を見送った。




 石階段を下り終えた遊馬たちは、息を切らして夜店と鳥居が並んだ一本道を歩む。


「遊馬、良かったのカイ? 潤を生贄にするような真似をして……」

「潤はああみえても村では《才女》で通ってんだ。大目に見てもらえるさ」

「相変わらず適当ダネ~、遊馬は」 

「……本当に大丈夫でしょうか、潤ちゃん」

「平気、平気、あいつの神経は鋼鉄のワイヤーより頑丈だから」

「でも明日、ちゃんと謝らなくっちゃ……」


 せっかくできた友だちに酷い仕打ちをしてしまったと……ナズナは悔いていたが、さほど問題にならないだろう。遊馬が潤を才女と呼んだこと、それが事実だからだ。


 潤は由緒ある神社の跡取りというだけでなく、村興しや奉仕活動にも積極的に参加する誰もが認める優等生だ。他にも伝統舞踊や茶道、特に弓道に関しては全国大会の常連として名を連ねる期待の星だった。


 そんな彼女を誰が責め立てたりするだろうか?


 いや、いない。自分とは違い、村人から絶大的な信頼を得ている彼女だからこそ、この窮地を乗り切れると遊馬は知っていたのだ。


「それより遅くまで付き合わせちまったが、ナズナこそ叱られたりしないのか?」

「大丈夫です。今丁度、執事のマッローネから迎えに来たと連絡がありましたから。この先にあった大鳥居の前で待っているそうです」

「なら良かった」






 大鳥居までの僅かな帰り道で――。


 花梨をおぶった遊馬の隣で、携帯デバイスのバックライトが微細な光を灯らせる。

 チャットを知らせるアイコンが点滅していたが宛先は記されていない。

 画面を操作して受信したメッセージを展開させると、短い一文が浮かぶ。


『例のモノは見つかったか?』

『まだ見つからない、複数のプロテクトがかけられている。そのうち一つを解いた』

『分かっているな? お前に残された時間はあと僅かだ。自由を取り戻したければ、荒木の秘蔵っ子から目を離すな。次の命令を待て』

『……YES』


 最後のメッセージを送信し終えると携帯デバイスは待機モードに戻される。

 再び呼び起こされるまで、静かな眠りについた。






 石畳の長い道を抜け注連縄が吊り下がった石造りの大鳥居を潜ると、

 そこに黒塗りのリムジンが遊馬たちを待ち受けていた。

 いや正しくがナズナを、だ。


「ナズナお嬢様っ!」

「マッローネ、お迎えご苦労です」


 待ちきれずにナズナの元に駆け寄ったマッローネは彼女をつま先から頭のてっぺんまで見上げると、普段とは装いに感嘆した笑みをこぼす。


「はぁ~、何と素敵なお姿でしょう。ご当主様にもぜひご覧頂きたいものです」

「あ……これね、遊馬のお婆様からお借りした浴衣だから、お返ししないと――」

「いいや、そのまま着て帰れ。婆さんからの伝言だ。お前が気に入ってるようなら差し上げろ、浴衣も人に着られた方が幸せだから。だとさ」

「そ、そんな、いけません! きっとお婆様の思い出が詰まった品なのでしょう?」

「だからこそ、だよ」


 するとマッローネは気を利かせてかリムジンの扉を開くと、白手袋をはめた手を遊馬に差し出した。予期しなかった彼の行動に遊馬は大いに狼狽する。


「え……? あ、俺っすか?」

「さ、もう夜も遅うございます。そちらのお嬢さんとご友人もご一緒にご自宅までお送りしましょう」

「い、いやぁ……こういうのはちょっと慣れてなくて」


 無理、無理、と遊馬が首を振ると、


「クス、いつもみたいに図々しくしていて下さい」


 潤は口元に手を当てて笑い、Tシャツを引っ張って遊馬を後部座席に押し込んだ。

 いつもと逆の立場を楽しんでいるのか、彼女は無邪気な笑みを浮かべていた。


 車内は黒い革張りのシートに木目調の内装――。


 下ろした腰がシートに吸い込まれるように深く沈んで、遊馬は大きくまぶたを見開く。


「あんたーん、お尻がフカフカだよ!」

「こら花梨、あまりはしゃぐんじゃない……何か壊れたら大変だ」


 ――たまにはこんなのもアリか。


 動揺を隠しつつ遊馬が隣に座った花梨の頭を撫でると、寂しそうに人差し指を咥えるテッドにも声を掛けてやった。


「何ボサとしてんだ、早く乗れよ」

「……す、すぐ行くネ!」


 マッローネが黒いドアを閉めると、リムジンはゆっくりと進み出す。

 道中、遊馬はふと受信したメッセージのことを思い出した。

 が、今日もういいだろうと、明日に持ち越すことにする――疲れた。


 最初は宝探しになんか興味はなかった。

 いや、本音を言うと、失踪した叔父に無気力な今の自分を見られたくなかった。

 けれど、謎を一枚一枚捲っていく度、胸のドキドキが止め処なく膨らんでいく。

 これが叔父の言っていた夢を持つということなのか?

 努力しても得られないと思っていた高揚感、期待することを諦めていた自分。

 心境の変化に戸惑うところもあるけれど、これも悪くはない。

 遊馬はそう胸の内で呟く――。


 そして、車窓から眺めた夜の白雨村は静寂に包まれ、月光が田園の上を揺らめく有様はまるで金魚鉢の中にいるようだった。


「…………」


 ――金魚鉢、ナズナに渡さなきゃ。

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