第十一幕「荒ぶる巫女の蹴りは強烈でした」
月夜――かがり火に照らされた舞台で楽太鼓が大気を震わせる。
金色の冠に桐紋が入った白衣、緋袴を身に纏った巫女姿の潤が、舞台中央まで流れるように進んで歩みを止める。顔に掲げていた扇を下げて、左手に持った神楽鈴を鳴らすと、龍笛、和琴が音色に合わせて白雨神楽の演奏が始まった。
シャンシャンと切れのある鈴の音――。
潤がその場でくるりと一転すると、後ろで束ねた長い黒髪がふらりと宙に浮く。煌びやかな舞台で優雅な踊り。指先まで行き届いた演舞に、遊馬はすっかり目を奪われていた。
「綺麗でお淑やかで素敵な方ですね。それに舞もすごくお上手」
「お淑やか? アイツが? まさか。普段は口うるさくて、いろいろと迷惑してるんだ。一応、神社の跡取りだけど、将来はアイドル声優になりたいから、跡を継ぐ気はないんだと。この神社も後々どうなるんだか。潤にとって、これも予行演習みたいなもんだろう」
「そんな……私なんて人前に立つことさえできないのに、憧れます」
そう言いつつも遊馬は潤を信頼しているし、真面目なところは尊敬もしている。
ただ身近な存在だけに彼女を褒めるのには抵抗があるのだった。
「あっ」
ふと、舞台上にいた潤がこちらに見て遊馬と視線が重なる。一瞬、遊馬に微笑みかけてきたが隣にいるナズナを目にした途端、彼女は硬直した。その拍子に足がもつれてよろめくと、観覧席からざわめきが起こる。
慌てた潤は何とか踏み止まりどうにか神楽を続行した。
「危なっ、潤があんなミスするなんて珍しいな」
「どうしたんでしょう……」
すると、花梨がまた余計なことを言い出して、
「誰かさんと違って、でっぱいだからだよー。大きいのも考えものだね、あんたん」
「こ~ら~、またそういうこと言うんじゃない」
「しゅん……」
妙なライバル心を再燃させる花梨を叱る。
あまり構ってもらえなかったことが不満なのか、今日はずっとご機嫌斜めだ。
テッドに執拗に迫られていたのもストレスの一因だろう。
――そういえば、鳴子に拉致されたまま戻ってこない。アイツは無事だろうか?
「死にはしないだろうけど……。ん、メッセージ?」
不意にボロスグラスへ一通のメッセージが舞い込み、アイコンが赤く点灯する。
数年使用されていなかった端末に誰かがメッセージを送るなんてことはまずない。
そうなると答えは一つ、次の《謎解き》が始まったということだ。
「ナズナ、自分のボロスグラスを持ってきてるか?」
「はい、一応バッグの中に入れてきましたから」
「じゃあ、悪いがそいつを今すぐ掛けてくれ」
ナズナが愛用している赤縁のボロスグラスを取り出し、解れた髪と一緒に耳に掛ける。彼女がARLモードで起動したのを確認すると、遊馬はグループ共有へ誘い、さっき届いたメッセージを二人で見られるように表示させた。
《フェーズⅠ――鏡界の四神が目覚めし時、月光を朱雀が守りし囲いを照らせ。その中に第五の獣が姿を現すだろう》
そこに書かれていたのは、この一文だけだった。
「意味、分かるか?」
「ごめんなさい……見当もつかないです」
「だよなぁ……」
すると、花梨が浴衣の袖をグイグイと引っ張ってきて、
「あんたんたちだけズルい! 花梨にも見せたってよ~!」
「見たってしょうがねぇだろ。お前、漢字読めないんだから」
「しゅん、今日のあんたん嫌い」
「まったく、花梨はおませさんだな。ほら、貸してやるから見るだけだぞ」
「やったぁ~!」
遊馬からボロスグラスを受け取ると、花梨はご満悦な笑みを浮かべた。
ふふんと鼻を鳴らし、彼女がグラスを逆さにしたままレンズを覗き込む。
その瞬間、花梨は大きな声を上げる。
「むう、これは!」
「おおっ? 花梨、お前に解けるのか?」
「目がいた~い、クラクラするう……」
「はいはい」
お約束通りだった。
「恐らく舛花神社に由来する何かだろうけど、俺は神社のこと何にも知らねぇんだよな。神楽が終わったら潤にでも聞いてみるか」
「は、はい……お友たちに…………なれるかな?」
ナズナは俯いて両手の指を絡める。表情には不安と期待が入り交じっていたが、彼女なりに一歩を踏み出そうとしていた。出会ってまだ日も浅いが遊馬はその変化を影ながら応援する。
そして演舞が佳境を迎え、潤は一礼して足早に舞台から去っていった。
祭りの目玉が終わり、ちらほらと神社から離れていく灯りが高台からよく見える。
薄雲から漏れた月光が、青々とした田園を淡く照らした夜陰の一幕。
めっきり人気が無くなった境内には社務所から灯りが漏れ、労を賑わう祭りの実行委員や町内会、伝統芸能保存会として祭りを盛り上げた大人たちだけとなった。
そんな中、遊馬は舞を終えた潤を探して社務所を訪ねたが見つからず、花梨ははしゃぎすぎたせいか、遊馬の肩で小さな寝息を立てる。
――いつもこんな風に大人しければ楽なのに。
軽く口元を綻ばせると、隣を歩いていたナズナがそんな遊馬の顔をにこやかに眺めていた。
その刹那――赤い明神鳥居を抜けた先にある高台側の林で草木がざわめく。
揺れる葉音が得体の知れない《何か》がいることを知らせ、肩を強張らせたナズナが左腕に抱きついてくる。遊馬は咄嗟にナズナを背に隠すと木の下闇を注視した。
「誰だ、そこにいるのは!」
不安と緊張が入り交じり額からアゴに一筋の雫が垂れ下がると、暗がりから呻き声が漏れてくる。そして、茂みから倒れるように出てきたのは……。
「ヘ、ヘルプ、ミ~……」
「テッドか?」
彼の髪はボサボサで着衣は乱れ、体のあちこちに歯形が付いていた。
「花梨を頼む!」
「はい……」
花梨をナズナに預けると、遊馬は見るに堪えない姿になって戻ったテッドに駆け寄り、前のめりに崩れた肩を支える。よほど恐ろしい目に遭ったのか、テッドは膝を震わせて何かうわ言を呟いていた。
「三十路前の女性って本当に怖いデスネ~、恐ろしいデスネ~……。鳴子先生はいかに二次元が素晴らしいモノかをミーに再認識させてくれました。いやー、アニメって本当に良いものですネ。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ~……」
「おい、どこへ逝こうっていうんだ。しっかりしろ! テッドぉおおおおお~っ!」
彼は虚脱して真っ白になると笑みを浮かべて気絶した。
それから3分後――。
「びゃはっ!」
顔面に浴びせたペットボトルの水でテッドは目覚めた。
自分の身に何が起きたのか分からない様子で、キョロキョロと辺りを見回し、空になったペットボトルを手にした遊馬に問いを投げ掛けた。
「ミーはどうしてこんな場所で寝てたんだい? それに体中が痛いヨ……」
「良かった、覚えてないならそれでいい。人間、知らなくていいことは沢山あるからな。さぁ、手を出せ」
「サンキュー。そういえば潤のコスプレショーが始まるんだよネ? 早く見にいこうヨ、どんな格好で出てくるのか楽しみダヨ!」
頭の打ち所が悪かったのか?
酷い思い違いをするテッドにどう声をかけるべきかと遊馬は迷った。
いや、下手に真実を伝えるより彼の妄想を既成事実化してやることこそ、本当の親友ではないか。そう信じて遊馬はテッドに合わせることにした。
「なーに言っちゃってんの。さっき一緒に見たじゃないか、あの軽快なサンバを!」
「ホワイ……産婆?」
「いや、字が違う。サンバだ」
「OH~、たしかクリスマスツリーみたいな髪に香水臭いデコレーションが乗っていたような? 頭がぼやけて思い出せない……潤は本当にサンバを踊っていたのかい?」
恐らくそれは、昇天ペガサスMAX盛りのことだ。
「当たり前じゃないか~。巨大な羽根飾りにきわどい衣装、キレキレの腰振りダンス。プリっとした尻でお前のことを誘惑してただろう?」
「イエス……イエス、イエス! そうだったネ、どうして忘れちゃったのカナ? ミーはたしかに見ました、ビッグでピッグな潤の白い暴れ尻を~っ!」
脳内物質が未知の科学反応を引き起こして在りもしない記憶が一人歩きし始める。
彼の声が神社の境内に反響し、木霊となって戻ってくると……。
ついでに探し人も呼び寄せた――。
「こんの……ド変態がぁあああああああああっ!」
赤い鼻緒の下駄がテッドの脇腹を抉るように凹ませると、彼はくの字に折れ曲がって蹴り飛ばされた。その際、風圧で広がった袴からチラリと白いモノが見え隠れすると、遊馬には昨日の終業式で見た光景と重なった。
デジャヴ――それはフランス語で、既視感という意味。
ただ、昨日と違うのはここが現実だということ。
勢いよく地面に転がったテッドは悶絶し、上手く呼吸ができずに奇怪な悲鳴を発した。
「ゲェボボボボボボ……」
腕を組み、蔑んだ目でうずくまった彼を見下ろす潤。
「何でアンタが日本にいるのよ! うちの神社で何てこと叫ぶのよ! 社務所にはまだ村長さんやお偉いさんがいるってのに。説明しなさい、この変質者!」
トドメは苦しむ彼の横顔を下駄の凹凸で踏みつける、だった。
「ワ、ワレワレの業界ではご褒美デスから~……」
「相変わらずのアホね。遊馬、どうしてコイツは私の名前を叫んでたの?」
「へっ?」
遊馬はブルブルっと勢い任せに顔を横に振る。
もしもサンバのことがバレたら自分の身も危ない。
「全ては妄想。つまり、彼の脳が平常運転だということです」
我が身可愛さに親友を猛狂う巫女に平然と売り渡した。
お気楽、安全、怠惰、それがマイウェイ――。
「……まぁ、そうね」
納得した潤が大きく息を吐く。
彼女は花梨をおぶったナズナを一瞥すると、少し物悲しい表情を浮かべた。
「で、アンタはこんな場所で何してたのよ。連れてる女の子は何処のどなた?」
「まだ紹介してなかったな。こいつは来栖ナズナ、終業式でデメキンがいただろう? あれが彼女だ。昨日、白雨村に来たばかりで案内がてらに祭りへ連れて来てやったんだ」
「ふーん、面倒くさがりのアンタが案内ねぇ」
「それにお前のことも探してたんだぜ」
「ア、アンタが私を……?」
「ああ、実はお前に協力してほしいことがある――」
遊馬は当たり障りがない程度にこれまでの経緯を説明する。最初は身構えていた潤も話を聞くに連れて警戒を解き、最後はナズナの境遇に感化されて涙を拭っていた。
「何、何、その少女漫画みたいな展開。家のために好きでもない相手と結婚しなきゃならないなんて、許せない! いいわよ、私にできることなら何でも協力してあげる。ナズナさん、そのお宝とやらを見つけて自由を手にしましょ!」
「こ、こちらこそ、宜しくお願いします……」
秋空の如くコロリと気分が変わる潤にナズナは戸惑っていたが、恐らく初めてできたであろう同姓の友だちに深々とお辞儀をする。その顔はどことなく綻んでいた。
「さ~て、それで私は何をすればいいのかしら?」
「こいつを見てくれ。叔父さんから届いたメッセージだが、さっぱり意味が分からん」
潤に叔父のボロスグラスを手渡すと、彼女はそこに書かれた一文に目を通す。
そして、くすりと笑いを溢してグラスを遊馬に返却した。
「鏡界の四神ねぇ。どこにいるか知ってるわよ」
「本当か!」
「だってそれは、うちの《御神体》だもの」
「御神体?」
「
「ほほう」
「上下左右に四神と呼ばれる、朱雀、青龍、白虎、玄武が模られていて方位や季節を現しているの。でも、その後に続く第五の獣って何かしらね? 中国では黄龍とか麒麟を合わせて五神っていうみたいだけど……」
さすがは神社の娘、難しいことをよく知っている。
「なるほど。四神の正体は分かったことだし、その鏡をちょっと見せてくれよ」
遊馬が無理難題を吹っかけると、潤は目を丸くして両手を胸元で小さく振る。
「む、無茶言わないで、御神体だって言ったでしょ。神様なんだからそうそう人には見せられないわよ……」
「今日はお祭りじゃないか。それにお前が舞を奉納したんだろ? 大丈夫、神様だってそのくらい大目に見てくれるさ。おーい、みんな行こうぜ~」
「もう! 見つかって大目玉食らうのは私なんだから、絶対の絶対に内緒よっ!」
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