第九幕「忘れた思い出が繋がっていく」

「ごめんなさい……でも5年前、荒木先生が話してくれたアナタなら、私を鳥籠とりかごから逃がしてくれるって信じてきました。今日ここへ訪れたのも、わざわざ白雨村分校に編入したことも全て、アナタに会うためです……。ご迷惑なのはよく分かってます。でも、これが婚約を解消するため、お父様に提示された条件だから……お願いします、遊馬。私と一緒に宝探しをてください!」


 普段は怯えた子鹿みたいに大人しいナズナが、精一杯、頭を下げて思いの丈を遊馬にぶつけた。肩を震わせ、床板に斑模様ができあがる。

 そして必死に懇願する彼女の姿が遊馬の頑なな思考にヒビを入れた。


「悪かった、泣かないでくれ。俺は美人の涙に弱いんだ」


 ナズナがハッと面を上げる。


「手伝ってやるよ、その宝探し。でも、見つけられる保証はないからな」

「はい……!」


 ナズナは口に手を当て歓喜すると、遊馬の首に抱きついた。

 遊馬は頭が真っ白になって彼女のスラリとした腰を思わず抱きしめそうになった。

 が、それを阻止しようと花梨が背中に飛びついたため、どうにか思い止まることができた。


「あんたんから離れろ~! あんたんは花梨のなんだからっ!」

「あっ、私ったらはしたない……ごめんなさい、ごめんなさいっ!」


 途端、我に返ったナズナは顔を真っ赤にして遊馬の胸をドンと突き飛ばすと、全速力で書斎の机によじ登る。恥ずかしさのあまり、窓から外へ飛び降りようとした。


「おい、ここは二階だぞ! テッド、あいつを止めろ!」

「ク、クレイジ~! なんだい、このガールはっ!」


 ――俺に聞くな!


 と、遊馬は叫びたかったが喉まで出かかった言葉を呑み込む。

 花梨と一緒に大股を開いて転けていた遊馬は急いで跳ね起きると、テッドに加勢し、どうにかナズナを窓から引き離すことができた。


「ハァハァ、恐ろしい子ネ」

「……ごめん……なさい」

「頼むぜ、まったくよう……」


 三度、彼女の命を救った遊馬はこれ以上は勘弁だと本気で神に祈った。


「で、どうするんだい? まずは部屋にある本棚を全部ひっくり返して回るかい?」

「いや、目星は付いている」


 テッドの問いに遊馬は短く返答すると、左側にあった本棚の上から二段目を指差す。言葉通りにテッドが棚にあった漫画をどけてみると、壁に埋め込まれた隠し金庫の扉がそこにはあった。


「すご~い……」

「ワオッ! 本当にあったよ。遊馬、どうしてここにあるって分かったんだい?」

「そりゃ、あんな捨て台詞を残していったんだ。あの漫画がある場所だってピンと来たさ」


 遊馬はそれほどでもないと頬を掻き、チラリとナズナに視線を移すと、ナズナがニッコリと微笑んでくれた。初めはあまり乗り気ではなかったのに、次第に胸が高鳴ってテンションも上がってくる。


 そして、次は暗証番号――これは少し難題だった。


「早く開けてみようヨ~。ユー、さっき言い当てたみたいにやっちゃいなヨ!」

「思い出の番号……とか言ってたよな。ん~、番地か? いや9桁もない。電話番号……は桁が多すぎる。あ~ダメだ、さっぱり思いつかねぇよ」


 すると、花梨がグイグイとTシャツの裾を引っ張った。


「花梨、知ってるよ。いっぱい数字がならんでるところでしょ~?」

「え? お前、分かるのか?」

「うん、だってこの前あんたんが花梨のもくれたじゃない~」


 彼女の一言で弛んでいた記憶の糸がピンと張り詰める――グッジョブ、花梨。


「居間だ、居間へ戻るぞ!」


 ドタドタ音を立てて書斎を飛び出すと、遊馬とテッドがさっきまで寛いでいた居間に駆け込む。無数の傷が入ったケヤキの柱に指を走らせると……そこに数字が確かにあった。

 柱には遊馬や花梨、叔父や父の名が無数に刻まれていた背比べの跡が残っていた。

 その中から叔父が彫ってくれた、遊馬の数字だけを追う。


「133、149、156……よしメモった、戻るぞ」

「ま、待ってヨ。あの階段、傾斜がきつくて怖いネ……」


 再び――急な階段を駆け上っていた最中、置いてけぼりにされて、恐る恐る段を下りてくる花梨と鉢合わせる。


「あ、あんた~ん……一人じゃあ下りられな~い……」

「ほら掴まれ、抱っこだ」


 遊馬は膝を震わせる花梨を抱きかかえ、一段一段、踏みしめて書斎に舞い戻る。

 そして、横一列に顔を並べた四人は同時に息を呑んだ。


「いいか、押すぞ?」

「OKネ」「お願いします」「花梨もやりた~い!」


 湿った指先で、金庫に数字を一つ一つ丁寧に入力していく。

 カチリ――と、中で何かが外れる音がして金庫の扉に付いた取っ手を引いた。


「OH……これがお宝の地図かい?」


 中に入っていたのは、どこにでも売られているB5判用サイズの茶封筒だった。

 今まで使用されて形跡もなく、中を覗いて見ても何も入ってはいなかった。


「からっぽ~」

「こんなにガッカリさせられたのは、生まれて初めてネ……」

「叔父さんに一杯食わされたのか……いや、それならナズナのことをほのめかしたりしない。ナズナ、叔父さんから何か聞かされてないか?」


 しかし、ナズナも眉間にシワを寄せて俯く。


「荒木先生は私の恩師だけれど、地図のことは今日初めて聞きました……ごめんなさい、お役に立てなくて」

「いやいや、気にすんなって。きっと、まだ足りていない何かが……」


 ふと、その時。

 遊馬は、金庫の奥にまだ何か入っていたことに気が付いた。

 細長く手に収まる黒い箱。開くと中には使い古されたボロスグラスが入っていた。

 手にした途端、懐かしさで胸が一杯になる。叔父が愛用していたモノだからだ。


「叔父さんのボロスグラスだ。あの頃は大きくて俺の顔に合ってなかったけど、こうして見ると案外、普通だったんだな」


 自然に手が動き、遊馬は叔父のボロスグラスをかけてみる。

 フレームにある電源をONにすると開発者用のドメインに接続し、ARLモードで作動し始めた。書斎にある様々なモノが四角い枠にマーキングされて、簡易情報がレンズに表示される。


 けれど、あの茶封筒は黒いノイズに《UNKNOWN》(不明)と表記されるだけで、他に情報は出てこない。手応えの無さが表情に出ていたのか、ナズナが眉を下げて遊馬に問いかけた。


「ダメですか?」

「ああ、これでもないみたいだ…………おっ? ちょっと待て」


 その時――レンズ内にメッセージアイコンが飛び込んできて、縁に黄色い光が小刻みに点滅する。遊馬はそれをタップしてみると、


《どうだ、遊馬。さぞかしガッカリしたことだろう。だが、これもお前以外の相手に見けられた場合の保険だと思ってくれ。宝の地図は間違いなくお前の手元にある。そういえば昔、お前にカメラを教えてやった時のことを覚えているか?》


 こう書かれた一文が面前に記された。


「どうだい?」

「ああ、何となく呑み込めてきた……この先、手の込んだ仕掛けがいくつも待ち受けているだろうよ~、こんちきしょう。それに地図の見方も分かった」

「ワオ! 本当かい?」

「まぁ、見てろよ」


 本棚の一番上に置いてあった飴色のカメラバッグを引きずり降ろすと、中からインスタントカメラを取り出して、中に専用のフィルムをセットする。壊れていないことを確認すると、さっきの茶封筒をテッドに持たせて窓際に立たさせた。


「ヘイ、遊馬……こんなことに意味があるのかい? 自分がピエロに思えてきたヨ……」

「つべこべ言わずに黙って持ってろ、笑え」


 撮影――フラッシュが焚かれて一瞬、書斎が真っ白になると、苦笑いしたテッドと茶封筒がフィルムに焼き付く。フィルムからネガを剥がし、撮りたての写真をテッドに手渡してやった。


「ほらやるよ」

「……やっぱり、ただの写真ネ」

「必要なのは、こっちなんだよ」


 遊馬は使い捨てのネガを叔父の机に置いてあったメモ用紙に重ね、ローラーでしっかりプレスしてからドライヤーで暖めてやる、と……、


「ファンタスティック! メモ用紙にも写真が写ったネ!」

「すごいです……」


 ネガに残った乳剤が紙に定着して色褪せた絵が貼り付く。

 それを目の当たりにして、テッドとナズナが感嘆の声を上げた。

 さらに色が飛んだ茶封筒には、肉眼では見えなかったQRコードが浮かび上がった。


「これは《イメージ・トランスファー》っていう、ちょっとした技法だ。本来なら暗室でやらないと色が飛ぶんだけど、茶封筒の色なら……もしやと思ったのさ」

「へぇ~……初めて知ったヨ。遊馬は物知りネ!」

「全部、叔父さんの受け売りだけどな」


 自慢げに鼻を吸った遊馬は、さっきのQRコードをボロスグラスに読み取る。

 仮想現実内にデータとして登録されて、ようやくお宝の地図を拝見することができた。


「これでお前たちにも見られるようになってるはずだ。自分のボロスグラスで覗いてみな」

「ホホウ、本当ダネ~。これがあの都市伝説が記されたお宝の地図ネ。それと地図にマーキングされている、赤い目印の場所って何処なんだい?」


 もっともな質問だった。

 ただ少し、遊馬はテッドに告げるのを躊躇ちゅうちょする。

 だってそこは――お前のがいる魔王城。


「――舛花神社、潤の実家だ」

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