第八幕「託された希望と宝物」
光を越えると、そこは真っ白な空間がどこまでも広がっていた。視線の先には古風で巨大な本棚が立ち並び、遊馬たちを囲うようにそびえている。まるで中世の図書館だ。
――ここは何処なのだろう? ここには何万冊の蔵書があるのだろうか?
無数の疑問が脳内を駆け巡り、胸の鼓動が急激に加速していく。テッドと花梨は呆気に取られてポカンと口を開けていたが、ナズナだけは何処か落ち着いていて、ある一点を凝視していた。
「よく来たな、お前たち!」
懐かしくて滑舌の良い、大きな声。
白衣をまとった男性が、年季の入った木造の階段を悠々と下りてくる。
心臓が激しく鼓動を刻み、今にも爆発しそうな胸を押さえた。
……その男がもっとも敬愛するあの人物かと思ったからだ。
「叔父さん……いや、これはホログラムか……?」
ここは仮想現実、実物の人間がそこに存在するはずがない。頭では理解していた遊馬だったが、自分自身、思いもしなかった期待という感情に激しく心中を揺さぶられる。
落ち着け――遊馬が何度も脳裏で連呼すると、
ホログラムは記録されていた叔父の言葉をつらつらと語り始めた。
「お前がここにアクセスしたということは、あのコインの片割れを見つけたんだな。ならばお前に、その《ボロスコイン》を託そう。そして、《あの噂》にまつわる真相を今ここで明かす」
ロロ子も口にしていた――あの噂。
それはボロスシステムが稼働して間もない頃の話だ。
しかし……それを語るにはまず、ことの《成り立ち》を理解しておく必要がある。
仮想現実であるボロスには独自の《通貨システム》が備わっており、ボロス内では日本国の通貨である円ではなく、《ボロス》という単位の通貨で全てのモノが流通している。
そのボロス通貨は仮想現実内で行われた生産活動(労働)によってのみ産出され、手にした瞬間からお金に寿命が課せられるという独自の性質を持っていた。
本来、ボロスとは仮想の国土を創り上げ、新たな雇用を増やし、経済を活性化させることが目的として導入されたものだ。
だが、金融の歴史を振り返ると経済領域をいくら開拓しようとも、経済の《根本的欠陥》を取り除かねば、いずれまた同じ悲劇を繰り返すことになってしまう。
あのG2D――第二次世界規模金融危機がそうであったように。
では、経済の根本的欠陥とは何か?
それは人が《お金》いう魔物を生み出した時から、歪んだ歴史がすでに始まっていた。通貨が誕生する以前は、物と物、物々交換によって人はほしいモノを手にしていたが、それは価値の尺度が疎らで時の経過とともに《朽ちる》という欠点があった。せっかく作ったパンも持ったままではいずれ腐って価値を失うということだ。
そこで人は考えた。何百年経とうとも普遍の価値を持つ代用品の存在だ。軽くてより多く持ち運びができ、朽ちないモノでできていること。こうして見い出されたのが貴金属であり、現在の硬貨や紙幣である。
万人が価値を認め、持つ者に相応の力を与えてくれる便利な道具は、瞬く間に世界中で使われるようになり、何百、何千もの種類に膨れあがった。
そして、お金は人間社会において揺るぎない存在となっていったのだ。
が……しかしである。
人々はその便利さゆえにお金を《神聖化》するあまり、必要以上の力を与えてしまったがため、数多の矛盾と悲劇を生み出すことになってしまった。
その矛盾とは――金融、別の言い方をすれば《利子》だ。
利子とは《お金を持つ者》が、それを《持たない者》にお金を貸し付けて利益を得る。ごく当たり前に行われている取り引きの一つだ。しかしそこに、《この世の摂理》に反した大きな矛盾を孕んでいることを、多くの人間は気付いていない。
本来、世の中にある全てのモノには寿命があり、それが持つ価値も時間の経過と共に失われることで成り立っている。
つまり、物や食べ物、動物や人間、それに太陽でさえもいつかは朽ち果て、腐り、消え去る定めにある。つまりは限りがあるからこそ尊く価値があるということだ。
それに比べて、現代社会で使われるお金は無限の寿命を持ち、あろうことか存在するだけで増殖し続ける魔物と化してしまった。さらにお金が電子化されるようになると、実体を持たないま手軽に取り引きされるようになり、加速度的に膨れ上がっていった。
より多くお金を持つ者は肥え太り、それを持たない者は労働……。
つまりは《人生という時間》を切り売りして、
本来支払うべきではないモノが際限なく奪われていったのだ。
そして、西暦2000年代前半――。
世の中に存在するお金の95パーセントが金融、実態のない利子で取り引きされ、物理的に流通していた紙幣や貨幣がわずか5パーセントに満たくなった時、歪みが限界を迎えた。
2029年10月24日――旧世界経済は崩壊したのだ。
そんな大失敗を経て、話はボロス通貨へと繋がる。
ボロス通貨は、時間の経過とともに価値が下がるというデメリットがあるため、貯め込むことができない。その代わり、常に《潤滑油》として仮想経済圏を巡り続ける仕組みになっているため、ボロスを利用する者全てに適切な利益を提供することを可能にした。
さらに現実通貨をボロス通貨にのみ換金するが可能で、現実世界で未だ膨れあがる、インフレーションを浄化する作用も持ち合わせている。
そして、ボロスとはギリシャ語で《ウロボロス》という、自らの尾を呑み込む蛇に因んで付けられた名で、死と再生を意味する。この尾を噛んで環となるイメージは、ヨーロッパだけではなく、北欧神話、古代中国、アステカ文明などでも見受けられ、永続性を象徴するモニュメントでもあった。
なので、ボロスのロゴには《輪になった蛇》の図柄が使われている。
こうして新たな秩序として浸透しつつあるボロスに、様々な噂や憶測が付きまとうのも世の必然だ。中でも行方不明になった開発者、縹荒木に関する噂は後を絶たず、最たる噂がここ白雨村にあった。
それは開発者である叔父が、村の何処かに《お宝》を隠した……というものだ。
村の者からすればあまりに馬鹿げた話だったが、それはネットを介して世界中で語られるようになり、一時期、村はゴールドラッシュみたいな騒動になってしまった。
ある者は山の何処かにボロスの金脈があるとか、ボロス通貨を永久に保持できるマネーカードが隠されているとか。
そして、発見されていない未開拓フィールドが存在とか……。
これはある意味、ニアミスではあったが。
結局、そのお宝が何であったかさえ解明できないままブームは終焉したのだ。
――けれど、今さらそれが何だと言うのだ?
遊馬そんなことより、叔父の安否こそ知りたかった。
なのに荒木はヘラヘラと楽しそうに笑い、淡々と妄想の種明かしを語り続ける。
「実はな、噂で広まったお宝は確かに実在するんだ。何を隠そう、俺自身がその宝を隠して、世界中に触れ回ったからだ!」
ホログラムの叔父は堂々と言い放った――呆れてものも言えない。
「そして、ボロスが世界に広がった今、そのお宝は途方もない価値をお前たちにもたらしてくれると、俺は信じているし、そうなること心から願っている。これまで子供たちが諦めた多くの《夢》を、取り戻すことができるかもしれない」
「子供たち……俺たちの夢?」
意味は分からない。遊馬には叔父の言葉を汲み取ることができなかった。
ただ、何かしら遊馬に見つけてほしいモノがあることは理解できる。
下唇を噛み、少しアゴを下げ、訝しい表情を浮かべて考え込む。
そんな遊馬の姿に荒木がニッコリと微笑むと、最後に彼はこう告げた。
「家の何処かに隠し金庫があって、中にはお宝の地図が入っている。暗証番号は9桁、私とお前の思い出が刻まれた数字だぞ。まずはそれを探し出すことだ、そして……」
ゴホンと、荒木が咳払いをする。
「探せ! この世の全てをそこに置いてきた。ひとつなぎの財宝を! お前ならきっと探し当てることができるはずだ。それと今、お前の傍らにいるであろう《片割れのコインを持つ少女》を、どうか守ってやってくれ。頼んだぞ、遊馬」
どこぞの海賊王気取りで言葉を閉めると、荒木は手を振り、光の粒子となって消えてしまった。相変わらず無茶苦茶な人だった。
「あんたん……あれが花梨のおとんなの?」
「ああ、可笑しな人だったろう? 気さくで、面白くて、自分勝手で……」
不思議そうな眼差しでこちらを見上げる花梨の頭に、遊馬は軽く手を添える。
久々に耳にした叔父の声。得も言われぬ高揚感に包まれたが、それは時間の経過と共に静黙へと変わっていった。
そして、最後に一つの疑問が脳裏に残る。
何故、叔父はナズナのことを知っていたのか?
ナズナは叔父の居場所を知っているのではないか?
様々な憶測が頭に絡みついて離れず遊馬がチラリとナズナを一瞥すると、
「…………」
彼女もまた、遊馬と同じく困惑した表情を浮かべていた。
遊馬は拳で自分の額をゴンと打つ。
「ワンダフル! 今のが荒木博士かい、ミーが思い描いた通りの人だったネ。まさか、あの噂が本当だったなんて! 早く隠し金庫を見つけてお宝探しをしようヨ!」
都市伝説として語られてきたお宝の存在に、テッドはすっかり舞い上がっていた。
――無理もない、何せあの噂の逸品だ。
誰でも、その正体を突き止めたくなるのは自然なことだった、しかし……。
「いいや、この話はこれで終わりだ。居間に戻るぞ」
「エエエエ~っ? 遊馬、ユーは気にならないのかい? もしかしたら、リッチになれるかもしれないヨ。第一発見者として持てはやされること間違いなしネ」
遊馬は少し口籠もると、子供みたいに爛々と目を輝かすテッドから目を逸らした。
「俺には関係ない。俺は今のダラダラした生活が好きなんだよ。今さら勝手に現れて……少しは花梨にかけてやる言葉はないのか。宝探し? くだらねぇ、自分で隠したなら自分で取りに行けばいいじゃないか!」
遊馬の怒りにテッドは反論できず、黙り込んでしまう。
しかし、そう言い放った遊馬は分かっている。これはただの八つ当たりだと。
けれど、今さら叔父にそんな頼みごとをされても簡単には受け入れられない。
――ナズナを守れ? 何から守れというのだ。
彼女は大財閥の令嬢で自分とは身分が違いすぎる。
こんな惨めな自分が叔父の期待に応えられるはずもない。
そう、遊馬が胸の奥で連呼し続けていると、沈黙していたナズナが初めて口を開いた。
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