第七幕「開かずの間と心の鍵」
「あ……あのう……」
つい彼女に見蕩れていると、何も喋らない遊馬にナズナが困惑していた。
遊馬は焦って彼女に何か声を掛けようとすると……、
足元にいた花梨がピシャリと引き戸を閉めた。
「お、おい!」
慌てて引き戸を開け直す。さっきまで気恥ずかしそうだったナズナの顔は、哀しげに眉を下げてしまい、目には大粒の涙をたわめた。
「…………」
「ご、ごめ――」
これはマズイと思って遊馬が必死にこの場を取り繕おうとしたが、頬を赤く膨らませて嫉妬心を燃やした花梨がそれをさせなかった。
「帰れ! 泥棒猫~!」
と叫び、またしてもピシャリと戸を閉ざしてしまったからだ。
「やめなさい、花梨! お客さんに失礼だろ……」
「だって、だって……誰なの、あの女?」
「後で説明してやるから、あっちへ行ってなさい」
「しゅん……」
遊馬は花梨を居間に帰すと、誤魔化すように頭を掻いて引き戸を開く。
「いや~、ごめんごめん。うちの従妹が悪戯を……って、アレ?」
……そこにナズナはいなかった。
代わりに落ちていたのは脱ぎ捨てられた白いつば広帽子とサンダル、そして麻編みバッグ。さらに道を挟んだ先には、またもや田んぼへダイブしようとする彼女の姿があった。
「ちょっと待て~い!」
面食らった遊馬は思わず駆け出す。
シチュエーションさえ違っていれば、白い浜辺を走る初々しいカップルに見えたかもしれない。しかし、その先にあるのは青い海ではなく、カエルやカブトエビが泳いでいる泥臭い田んぼ。遊馬は彼女の愚行を阻止しようと必死に後を追い、白い手を掴んで強く引いた。
「ハァハァ……悪かった、俺が悪かったから。だからもう、田んぼに飛び込むのはやめてくれ。だいたい農家の人に迷惑だ」
「ご、ごめんなさい……もうやらない、です……」
泣かしてしまった。握った手を放すと、ナズナは両手で顔を隠してその場に座り込む。どうすべきか困惑した遊馬だったが、シャツで手を拭うと改めて彼女に手を差し伸べる。
「そんなところに座るとまた服が汚れちまうぞ。せっかく来たんだ、むさ苦しい所でよければ寄っていけよ」
「はい……」
小さく掠れるような声でナズナが答える。考え無しに言った言葉だったが、彼女は少しだけ笑顔を取り戻して遊馬の手をとってくれた。けれど、その好意が後にどんな結末を招くことになるか、今の遊馬には知りようがなかった。
畳六畳の居間に男女が四人、ちゃぶ台を囲んで正座していた。
右には花梨、左にはナズナ、正面には不審そうに三人の顔色を窺うテッドだ。
「あんたん家に上がってもいい女は、花梨とばーばだけなのにぃ~!」
「あの……その……」
すっかり5歳児に気圧されて、ナズナは申し訳なさそうにペコペコと頭を下げる。
けれど花梨の不満は募るばかりだった。
本来、ナズナは何も悪くはない。ただ、遊馬の家に訪れたというだけでこの責め。
彼女を哀れに思った遊馬は咳払いをすると、誤解を解くためナズナの弁護に回る。
「この人は、来栖ナズナ。昨日、白雨村分校に編入してきた転校生だ。つまりは俺の同級生ということになる。昨日、ちょっとした事故でナズナと知り合ったんだ。だから、
「OH! あのデメ子ちゃんネ! ミーも知ってるヨ、まさかこんなお嬢さんだったなんて驚きダネ。ユーがもう10歳若ければ、きっとミーの……」
「はいはい、おまわりさんが来る前にその辺りで黙っとけ~」
痛々しいことになると予見した遊馬は、軽犯罪予備軍に釘を刺しておく。
「もういいですよ、あんたん。やめましょう、こんなふもうな言い争いは――」
「おお。花梨、分かってくれたか?」
花梨は納得して頷くと、テーブルをバンと叩いて立ち上がった。
その際、お茶の入った湯呑みがぐらりと傾く。
「なるほど、あんたんのお友だちだったわけですね。それはよ~く分かりますた。ただ、大事なことなので二度言いますよ。あんたん家のしきいをまたいでいいのは……花梨とばーばだけなんじゃ~い! とっとと去ね、この女狐めぇえええ~!」
――ああもう、台無しだ。
ナズナがまた泣きそうになったので、遊馬は慌てふためき彼女を宥める。
すると、ナズナは手持ちの麻編みバッグからおもむろに何かを取り出した。
「もしかして、これを届けるためにわざわざ――」
それは昨日、遊馬がナズナに手渡してやった白いタオル。
「グズン……まだちゃんとしたお礼も言えてなかったし、お借りしていたタオルを手洗いしたので、今日はこれだけでもと思って……。明日、また改めてたんとしたお礼を――」
「いや、そんなに気を遣わなくたっていいんだぜ。タオルなんていくらでもあるんだし」
「でも小出しに攻めればそれを口実に何度でも会いに行けるって、執事のマッローネが……あ、これは言ってはいけない約束でした。ごめんなさい!」
ナズナは気弱な上に、かなりのうっかりさんでもあった。指を揃えて土下座したナズナが顔を上げると、ほつれた髪が頬にかかり、その魅惑的な面持ちがこちらを見つめる。
――か、可愛いじゃないか……。
つい遊馬が彼女に見蕩れていると、
「何ですか、何なんですか~、そのこびた目はっ! あんたんも、あんたんだよ。花梨というものがありながら、ほかの女にデレデレするなんてぇ~!」
「ソウダヨ、幼女を悲しませるなんて男として最低ネっ!」
水と油だった花梨とテッドは奇跡の混合率を割り出し、結託して遊馬に責める。
本来ならば昼寝をして一日を無駄に過ごすことが、遊馬の理想とする夏休みだったはず……。
遊馬は敢えて自らに問う、どうしてこうなった! と。
「まぁ、落ち着けって……」
「今日はあんたんをひとり占めできるはずだったのに~」
「今夜はミーと遊馬で二人きりのナイトを過ごすはずだったのに~」
「えっ?」「えっ?」
突然、テッドの失言で話があらぬ方向に向いてしまう。
花梨とナズナがただならぬ顔でこっちを見遣った。
そして、二人は今にも泣きそうになる。
「うう、あんたん……」
「ち、違うよ、違うんだよ? テッド……誤解を招くような発言してんじゃねぇ!」
「イタタタタタっ! ソーリー、ソーリーヨ。ちょっとした悪ふざけダヨ……」
テッドの口を親指で広げると、彼はちゃぶ台を叩いてギブアップする。
これで良し。身の潔白を証明した遊馬は額に滲んだ冷や汗を拭い、立ち上がって三人の前で高らかと宣言する。
「ここは叔父さんから受け継いだ、俺の城だ。今後、誰を招き入れるかは俺に選ぶ権利がある。だから、花梨もテッドもナズナもみ~んな俺の客だ。だから誰一人として差別はしない。これで仲良くできるな?」
花梨はしょぼくれた顔をしたが、小さく返事する。
「ハイ……みんな一緒、です」
「そうだ、花梨は良い子だな」
「ムフフ。あんたん~、しゅき~」
ぐずっていた花梨がすぐに機嫌を直すと、遊馬はナズナの顔を見下ろした。
「ってことで強引に決めちまったが、ナズナも好きな時に遊びに来ればいいから」
「ありがとう、遊馬……さん」
「堅っ苦しいのはナシ! 遊馬でいいよ」
「……はい、あす……ま」
ナズナは恥ずかしげに答える。これで
それにあの男にも《一言》言っておくことがある。
ぽんとテッドの肩を叩くと、
「荷物をまとめて納屋で寝てくれ」
「ちょっと待つネ! さっきみんな一緒、差別しないって言ってたじゃないカ~!」
「やっぱり、お前と同じ屋根の下ってのは身の危険を感じる……」
「そ、そりゃないヨ……!」
遊馬とテッドのやり取りを見て、花梨とナズナがようやく頬を綻ばせる。
だが、ふとお互いに顔を見合わせると、花梨は頬を膨らませてそっぽを向き、ナズナは気まずそうに俯いてしまった。
――夏休みはまだ始まったばかり。長い目で見守っていこうと、
遊馬はちゃぶ台の上に置かれた湯呑みを取って、冷め切ったお茶をすすった。
「ところで遊馬、ユーのハウスには二階があるじゃないカ。そこに部屋は空いてないのかい? 見知らぬ国に来た初日から野宿だなんてあんまりダヨ……」
子犬みたいな瞳で懇願するテッドが少し哀れに思えて、遊馬は腕を組んで唸る。
「ん~…………、あるにはある。ただなぁ……」
「ダメなのかい?」
「いや、あそこは叔父さんの書斎なんだよ。俺がこの家を引き継いでから一度も入ってない。もしかしたら、いつか……」
つい、隣にいた花梨を一瞥してしまう。花梨は叔父の顔さえ知らないのでピンと来ていなかったが、逆にそれが遊馬を憂鬱にさせる。
「OH! 荒木博士の書斎なんてあるのかい? 将来、ボロス・エンジニアを目指すミーとしてはぜひ拝見してみたいヨ!」
「ん~、どうすっかな……」
その時だった。
「あの! 私……私もその書斎、拝見してみたいです。ダメ……ですか?」
珍しくナズナが力のこもった声を上げて、テッドの願いを後押しした。
その眼差しは真剣そのもので、遊馬は断り切れずに身を後ろに引く。
――そうだな、いつまでも嫌な思い出に蓋をすることはできないのだから……。
「分かったよ。ただし、置いてある物には絶対触るなよ」
「イエ~ス! これで一つ、ダディにお土産話ができるネ!」
薄暗く傾斜のきつい階段を踏み鳴らして、四人は一列になって二階へと向かう。最後の段差を跨ぐと左手に短い廊下があり、その突き当たりに叔父の書斎があった。
遊馬はバイクのキーが付いた鍵の束を腰から外し、色褪せた真鍮製の鍵をドアノブに差し込んだ。
カチリ――と、音をがすると、扉から独特の香気から漏れ出す。これは本の匂い。
懐かしさ、優しさ、温かみ、そんなキーワードが遊馬の脳裏を流れていく。
だが、そこに遊馬が追い求めた背中はない。
ただの抜け殻。風化した思い出が蘇って虚しさに打ちひしがれそうになる。
「ここが叔父の書斎だ」
「WOW! オ、オウ……思ってたより普通だったネ。本しかないヨ」
期待に胸を躍らせていたテッドのテンションが緩やかに降下していく。
本の虫だった叔父は蔵書する癖があり、十二畳ほどある部屋は壁一面が本棚で埋め尽くされていた。さらに収まり切らない本は床に平積みされ、ジャンルは専門書以外にも古典文学や伝記、叔父の幼少時代に連載していた漫画なども多く混じっていた。
遊馬はよくこの書斎に入り浸り、叔父がすすめする漫画を夢中になって読みふけっていたものだ。今もあの頃と変わることなく、漫画が棚に背を並べて眠っていた。
「な、期待するようなものなんて無かったろう?」
遊馬は叔父が愛用していた黒檀の机に乗っかり、書斎に一つだけある窓を開ける。
「これが荒木先生の……」
そして、最後にナズナが書斎に踏み入った瞬間――それは起きた。
「キャっ!」
ナズナのチョーカーに付いたコインが七色の光を放ち、何かと共振し始めたのだ。
「ファンタジック! あれ、遊馬のお尻も光ってるヨ?」
「これは叔父さんくれた……」
同じく光を放っていたのは、遊馬が腰にぶら下げていたキーホルダーだった。
――これは何事なのか?
すると、ナズナのコインと遊馬のキーホルダーが一本の赤い光で繋がる。
「もしかして……ナズナ、それちょっと外してもらえるか?」
「は、はい」
ナズナからチョーカーに付いたコインを受け取り、遊馬はそれぞれのアクセサリーを並べると、欠けた凹みがピッタリと重なって黄金色をした一枚のコインになる。
そして以前、遊馬が来栖家別邸で感じた疑問は確信へと変わった。
「やっぱり、そうだったんだ……」
遊馬がそう言葉を漏らした、次の瞬間――万華鏡のような光が四人を覆った。
いや、正しくは書斎そのものが光に呑まれていたのだ。
「これは仮想現実内……でも、ボロスグラスもかけてもいないのにどうやって?」
「イヤ、これはVRBプロジェクター(仮想現実ボロス投影機)……ダディの会社が開発中の次世代ボロス技術ネ。ボロスグラス無しで映画館やコンサート会場みたいな密閉空間を、丸ごとボロスにフルダイブさせるモノだけど、まさかすでに実用化されてたなんて。さすが荒木博士ネ!」
「叔父さんがこれを……何のために?」
そして空間にデータ転送し終わると、馴染みのメッセージが浮かび上がった。
《ウェルカム トゥ ボロス・ワールド ――ログイン》
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