第五幕「オタクは遅れてやってくる」

 翌日の午前、9時40分。快晴、気温32度、湿度77度、南南西の風――。

 つまりはよくある日本の夏だ。遊馬は峠をバイクで駆けながら、どうしてこうなったのかを思い返す。こんな暑い日はゴロゴロとお昼近くまで二度寝を楽しんでいたはずだ。それなのに海外からこの蒸し暑い、不快指数MAXの日本へ好き好んで来る男がいる。


 テッド・スマルト――彼は午前6時から機内にある安全のしおりや、落とし物を拾うキャビンアテンダントの尻など、まったくもってどうでもいい画像を撮影しては遊馬に送りつけていた。そのせいでやや寝不足気味の遊馬は、不機嫌そうに県内にある地方空港へ彼を迎えにいく途中であった。


「ああ、どうして承諾しちまったんだろ。後々考えてみると、俺にメリットなんてねぇじゃんよ。あ~めんどくせぇ、アイツだけ乗せて飛行機墜落してくれねぇかな」


 などと、愚痴を吐露している間に空港の標識が頭上を通過する。

 遊馬はウィンカーを出して空港周辺にあるだだっ広い駐車場に乗り入れた。


 午前10時30分、夏休みに入って親子連れの多いターミナル。

 なかなか現れないテッドに苛立ち、遊馬が待合席に座って貧乏ゆすりをしていると、到着口からマジカル・モモカルの主題歌を陽気に歌う男が出てきた。

 彼は金髪で長身。大きなリュックにド派手なピンクのハッピを羽織り、漢字で《幼女》とプリントされた白地のTシャツを着用。さらには何十年前かに大流行した、つぶらな瞳をした黄色いモンスターに、赤い球をボール投げつける密猟アニメで主人公が身に付けていた、赤い帽子と革手袋を装着していた。


 響めく民衆、子供の目を伏せる母親。そんな恥ずかしい男がケミカルライトを振りながら、遊馬の名前を連呼している。今さらながらここへ来てしまったことを大いに後悔した。


「ヘイ! 見つけたヨ。遊馬~、テッドだぜっ!」

 アニメの決めセリフと自分の名前をかけたテッドだったが、遊馬の捕獲には失敗した。


「いいえ、人違いです」

「ホワッツ? 何を言ってるんだい、ベストフレンドがこうして会いに来たんダヨ。ハグして出迎えてくれるのが親友ってもんじゃないのかい?」


 ――もう無理だ。


 健全な国民の皆様から向けられる視線に耐えらなくなった遊馬は、リュックを鷲掴みにして海老反りになったテッドを連行する。嫌がるテッドを男子トイレの個室に押し込むと、恥ずかしいTシャツを引っ張りながら彼に迫った。


「プ、プリーズ! そんなに引っ張らないで!」

「とっとと脱げ、それ全部脱げ!」

「OH……何を始めようというんだい? ミーにはモモカルたんという、心に決めた恋人がいるんだヨ。ユーの気持ちは嬉しいけれど……」


 便座に座って胸を隠し、潤んだ瞳でこちらを見上げるテッドに拳骨を落とした。


「アウチ!」

「阿呆か、そんな格好でバイクに乗せたくないし、村にも入れたくない! その汚らしいハッピを捨てて、如何わしいTシャツもどうにかしろ!」

「わ、分かったネ……そんなにコワイ顔しないでほしいヨ」


 遊馬の要望に応えて、テッドは渋々ハッピを丁寧にたたみ、リュックに仕舞い込む。幼女と書かれたTシャツは文字が見えないよう裏返しにして着用させたが、まだ薄らと逆字が浮かんで見えた。が……苦心の末、それで勘弁してやることにした。


「そもそも、よくそんな格好で入国できたな。入国審査で引っかからなかったのか?」

「お~ソレ、引っかかったネ。危うく乗り換えの飛行機に乗り遅れるトコロだったけど、ミーのコスプレに気付いた親切な職員さんが、職員用通路を使わせてくれたおかげで何とか間に合ったヨ~。さっきも呼び止められて大変だったけどネ、人気者はツライヨっ!」


 遊馬はテッドの武勇伝に無言で相づちを打ち、この男がここへたどり着くまでにどれだけのドラマを引き起こしたのを理解し、そして呆れた。


「もういい……聞いてるだけで疲れてくる。お前が歩く混沌の申し子だと再認識できただけで充分だ。それに腹も減ったし、早く帰って飯にするぞ」

「あっ! ソーリー、その前に一つだけお願いがあるネ……」


 どういう訳か頬を赤らめてモジモジするテッドに、遊馬は怪訝な視線を送る。


「どうした、おしっこか?」

「違うヨ~。さっき通りかかったショップにあった、モモカルジェットのポスター買ってもいいかい?」




 山、谷、山、谷――これが日本の田舎に共通して見られる風景である。

 炎天下、終わりの見えないS字カーブを何度も曲がって、青い臭いが立ち込める山道を駆け抜けると、アスファルトの熱が風と交わりほど良い風が体を包み込む。

 渓谷に架けられた吊り橋に差しかかったところで一気に景色が開けると、まるで大空を飛ぶ鳥にでもなった気分になる。実に爽快な気分。ただ遊馬が残念に思うのは、相乗りの相手が女性ではないことだった。


「遊馬! ほら見てダムダヨ、ダムがあるヨ!」


 さらに幾つか急なカーブを曲がったところで、不意に姿を見せたダムがテッドの興味を引くと、遊馬はダムの上に弧を画いて伸びた道路で減速を始める。ゆっくりと地面に足をつけて、クレストゲート(非常用洪水吐)付近でバイクを停車させた。


「オ~、でも水がないネ……」

「今年は梅雨にあんまり雨が降らなかったからな」


 遊馬はテッドの言葉に短く答えると、少し俯いて干上がったダムの底に思いを馳せる。それは近年、乱立したモノリスの影響で電力不足が問題となり、代換案として各地に小規模なダムが数多く造られた。この白雨村ダムもその一つである。

 が、しかしだ。造りはしたが十分な貯水量を維持できない場所も多く、さらに各所で地形が変わってしまったことで、ボロスとのリンクに不具合が生じているそうだ。

 これは呪い人形を火にくべながら、上司を罵っていたロロ子の受け売りでもある。


 そして眼下にあるのは――旧白雨村分校の成れの果て。


 水不足で泥を被った校舎が露出し、幼い頃に通っていた記憶が今の姿をより一層哀しく思わせた。初めてできた逆上がり、潤と一緒に乗ったブランコ、迎えに来てくれた叔父の後ろ姿……今はもう無い。

 全ては時の流れ忘れ去られた過去だ。遊馬は目を細め、大きく息を吐いてエンジンをかけ直す。自分に言い聞かせるようにして再びバイクを走らせた。


 見慣れた段々畑が続く坂を下り自宅へ続く一本道に合流すると、全方位を山に囲まれた農村風景が広がり、両目を見開いたテッドがまた鬱陶うっとうしく感嘆の声を上げる。


「ワオ~ッ! これが隠れ里ネ! ニンジャ、ニンジャにはいつ会えるんだい?」

「はいはい。あんまり騒いでるとニンジャにその首、切り落とされるぞ」

「マ、マジデスカ~?」

「いんや嘘だ。アニメの見過ぎなんだよ。今のご時世『だってばよ!』とか語尾に付けて、刀を振り回す馬鹿がいるはずないだろう。 俺ならすぐに警察へ通報している」

「……遊馬はそうやっていつもミーの夢を壊すんダ」

「しょげるな、そんなことより見えてきたぜ。あれが俺ん家だ」


 大真面目なテッドに半笑いした遊馬はウィンカーを出して自宅の門を潜り、納屋にバイクを乗り付けて下車する。と、いつもの二倍の重さがかかっていたバイクが大きく弾んだ。腰を押さえて大きく伸びをすると、テッドがまた何かに気を取られて騒ぎ始めた。


「OH~っ! これがジャパニーズハウスネ! まるで牧場の納屋みたいダヨ!」

「相変わらず失敬なヤツだ……。玄関はこっちだぜ、分かってるだろうけど土足は厳禁な」

「そ、そのくらい予習してきてるサ~っ! ……アニメでネ」

「もう少し、正しい日本の知識を身に付けような」


 恥ずかしそうにするテッドを連れて玄関を開けようとした遊馬だったが、ある違和感から伸ばした腕をピタリと止めた。それは出かける前に戸締まりしたはずの戸が数センチだけ隙間ができていたからだ。最近は田舎を狙った泥棒も多い。


 神経を尖らせ、カラカラと引き戸を開き切ると……。


「あんた~んっ! おかえりぃいいいいいっ!」


 小さな女の子がドタドタと床板を踏みならして、遊馬の腰に飛びついてきた。


「はぁ、花梨だったのか。脅かすなよ」

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