第5話ヒロイン

 そういえばまだ本を買っていない。土曜日まで暇人な俺はまたあの本屋へ行くことにした。美奈子さんが読んでいた「街角で」という本を思い出した。タイトルからして恋愛小説風だがどこかありきたり過ぎている。

本屋に着くと真っ先にあの現場の場所へ行く。美奈子さんが立っていた辺りの本を探すとすぐにその小説は見つかった。

あらすじを読んでみると「街角で」誰か素敵な男性との出会いを憧れる一人の少女の話のようだ。少女マンガの読み過ぎでそういう妄想壁がついてしまったヒロインのようだ。

 なんとなく惹かれる内容だったので俺はその本を取りレジに並んだ。

俺は小説を読むのは好きだがいまいちペースは速くない。長い間本を読むと疲れてしまう体質なのだ。だいたい単行本一冊読むのに一週間はかかるくらい遅い。

でもこれで一週間は暇にならないと考えれば安いものだ。


 金曜日の晩、先日買った本を読んでいた。もうそろそろ州夜の仕事が終わったころだと思う。始めるとするか。

 俺はゆっくり目を閉じ、過去の州夜との電話の内容を思い出す。仕事を断った内容を強く思い出し念じる。パラレルワールドを移動するのだ。この空間(パラレルワールドを移動している瞬間)は自分がなにか高速で移動しているような感覚だ。落ち着くまでは目を開けることが出来ない。

 俺はゆっくりと目を開けた。見慣れた自分の家にいた。テーブルの上には給料袋と現金四万円があった。こうして俺は仕事をせずにお金を稼いだ。これは明日の食事代にでも使おう。


 土曜日の晩、待ち合わせのレストランに着いた。初めて来たがとても高そうなレストランだ。入るとすぐに色々なワインが陳列されている。俺はあまりワイン通ではないのでどんな銘柄があるか言われてもさっぱりわからない。

「予約していた榊ですが。」

店員に言うとすぐに席を案内してくれた。後姿からもわかる綺麗さ。すでに彼女はついていたらしい。

「すみません、遅くなりました。」

「大丈夫です。私が早く着いてしまったせいなので。」

彼女はTシャツにお洒落なカーディガン、下はスカートとラフだがとてもかわいらしい服装だった。

「先日は本当に助かりました。だから今日は登坂さんに私の一押しのレストランを紹介させてもらいました。」

一押し、どおりで高級そうなレストランだ。

「そうなんですか。逆にお気を遣わせたんでは?俺はこんな立派なレストラン入ったこともありませんよ。」

「いいえ私の感謝の気持ちです。ここ建物だけじゃなくて料理もおいしいんです。登坂さんの口に合えば良いのですが。」

「榊さんがおススメするなら間違いないでしょう。」

「それでは好きなものを頼んでください。」

と言ってメニュー表を渡された。

和・洋・中にイタリアン、すごく豊富なメニュー。俺はメニュー表とにらめっこをしていた。そもそも俺は優柔不断でこんなに大量の品揃えから一つを絞り込むなんて相当時間がかかる。

「ここのレストランはパスタが有名ですよ。」

彼女はもう注文を決めたらしく困っている俺にさりげなくサポートをしてくれた。

「では…」

俺はパスタのメニューでオススメと印字されていたものを頼むことにした。

彼女が呼び鈴を鳴らし店員に注文をした。

「先日の件はひと段落つきましたか?」

「はい。とりあえず私は被害はあったものの未遂で終わったので被害届は出さない事にしました。出したところで面倒事が増えるだけなので。」

にこやかに言った。

「本当にそれでよかったのですか?」

「はい。悪を憎んで人を憎まずですよ。」

「榊さんがそれで良いと思うならそれが一番ですね。」

この後も多少事件の話を聞いたりしているうちに頼んでいた料理が届いた。

「うまそうだなぁ。」

思わずそう言ってしまうほど食欲をそそられる見た目と香り。

二人とも選んだのはパスタだったがやはりそちらもとても美味しそうだった。

「食べる前に写真とってもいいですか?」

と言って美奈子さんは携帯を取り出した。

やはり女の子はこういった料理の写真を保存して楽しむものだろうか。

「登坂さんのも撮って良いですか?」

俺は笑顔で頷いた。パシャリと一枚とってからどうぞと声がかかった。

 俺が頼んだのはボンゴレだったがアサリのエキスとスパイスが絶妙に絡み合った素晴らしいものだった。これはやはりオススメとなっていて申し分ない味だった。

「ご馳走様でした。」

俺が先に食べ終え美奈子さんを見る。美奈子さんもあと一口ほどしかない。小柄な割に食べるのは速いみたいだ。

「おいしかったですね。」

美奈子さんが最後の一口を食べ終えそう言った。

「俺もここの常連になりそうです。」

「ならその時に、私も一緒に誘ってくださいね。」

なんとも屈託のない笑顔で言われた。

こんな女性が自分の彼女ならどれだけ幸せか。

「そういえば登坂さんこのあと時間ありますか?」

「時間はいくらでもあります。」

俺も笑顔で応えた。

とりあえずこの次に居酒屋を予約していたらしい。

俺は心の中でガッツポーズをとったがそれをばれないようクールに過ごした。

このレストランの会計はやはり美奈子さんが払った。俺が出すと言ったがあくまでお礼だからと断られた。せめて次の店では俺におごらせてほしいものだ。

「では次の店に行きますか。」

と言われ、レストランを後にした。


さっきのレストランとは打って変わってちょっとうるさいくらい盛り上がった客がいる繁盛した店だった。

「お酒何にしますか?」

どうやら美奈子さんはお酒が好きなようだ。

「俺はビールにします。榊さんはどうしますか?」

「私はサングリアにします。」

店員を呼び二人のお酒と軽くつまみを何品か注文した。

「実はこのお店友達が経営してるんで、私たまに友達と一緒に来るんです。」

「そうなんだぁ。ずいぶん賑やかだし大分繁盛しているみたいだね。」

「初めは人気なかったんですが段々口コミで広まって、今ではこんな感じです。」

と話していたら二人のお酒が届いた。

「では乾杯しますか。」

美奈子さんがグラスを持ちながら言った。

『かんぱーい』

ふたりのグラスを鳴らした。

「そういえば女性に聞くのはあれですが、年齢教えてもらえませんか?」

俺の見た感じでは二十歳超えたばかりの容姿だがお酒を飲んでいる時点で成人は迎えているはず。

「私今年で二十六になるんです。気が付いたら速いものですね。」

俺は驚きを隠せなかった。

「本当ですか!俺もなんです。まさかタメだとは思わなかったですね。」

失礼だがどうみても童顔だ。しかもタメだとは思いもしなかった。

「登坂さんも私とタメだったんですね。タメなら敬語禁止ですよ。」

と自分から禁止を破りながら満面の笑顔で言われた。

「なんか驚きましたね。」

「だから敬語禁止。次言ったら罰ゲームね。」

と彼女はかわいらしく言った。

「わかったよ。」

自然と俺も笑顔になった。

お互いの距離が少し縮まった気がした。

それから会話ははずんだ。


気が付いたらもうすぐ閉店の時間。一体何時間この店に滞在していたのだろうか。とりあえず俺はトイレに行くふりをして会計を済ませた。一件目をご馳走になったし、一緒に会計に行けばまたがんとして首を縦には降らないだろうと思ったからだ。ま、本当にトイレも行きたかったことだし。便所を済ませ席に戻った。

「それでは今日は帰りますか。」

「時間も時間だし今日は帰りますかぁ。」

もう完全に友達のような言い方だった。

「私が払うからね。」

とやっぱり想像した通りの事を言ってきた。

「会計はもう俺が済ませたから後は帰るだけだよ。」

「うそー。さっきトイレ行った時でしょ?今日は私が全部ご馳走したかったのに。」

「なら今度おごってもらうからさ。」

俺はそう言って上着を羽織った。

ちょっと広い道路に出ればタクシーはすぐに見つかるので二人で歩いて行った。

ちょっぴりすねた感じだったがそこがまた可愛かった。タクシーを止めて先に乗せてあげた。二人とも帰る方向がちがうので今日はここでお別れだ。

「またごはん誘っても良い?」

と俺は尋ねた。

「あのレストラン行くときは誘ってって言わなかったっけ?」

と意地悪そうに言った彼女はお酒を飲んでいたせいか照れくさそうだった。

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