第36話 乙女
ヨシュアの帰還と共に、地下防空壕の一部は埋め立てられた。静まり返った居住区に寂寥感を感じる間もなく、すぐさま"白月"討伐に向けての作戦を始動しなければならなかった。
思えば宴は真昼の出来事なのだ。洞窟の暗さがそれを隠していたが、彼らにとって己が歴史に刻むような別離も戦乱の前では些事にすらならないと宣告しているような感覚に襲われる。全ては、歴史の中に埋め込まれていくのみだ。
ここに至って、センリは自ら指揮を執るようになった。決して口にしなかったが、恐らく首都襲撃後再び良くない知らせがもたらされたからだろうとレクスは言っていた。いよいよ、尻に火が着いているといったところか。
とはいえ、彼女が何かを決定するわけではなかった。ヨシュアを通してだが、レクスの作戦を伝えられ、それを僅かに改訂したものを発令し進めるようにとの通達と、”令印”をちらつかせるばかりで相変わらず教会からは出てこない。どこまでいっても貴族であろうとする姿勢に、ヨシュアはそろそろ感心を覚え始めていた。討伐への参加宣言は、首級を上げるための題目に過ぎない。
「あ~……、リクシナール?」
急務は、”白月”の呼び出しである。捕虜交換を口実に、武装解除した状態でおびき寄せ、そこに攻め込む算段であった。最もこれは、苦肉の策である。過去の戦歴から実力差を正確に把握していたレクスは、少しでも”白月”の戦力を削る作戦をとらざるを得ないのだ。他の兵員が発見できない以上、センリと女軍人の二人のみの軍団として当たらざるを得ないが、その確証もまだないのだ。ヨシュアの動向を把握している風なのも、気にかかる。
骨折が治癒せず戦力にならないスガワとトゥーコを欠き、センリの参戦を持っても戦力低下は埋められない。本人の力はともかく、実戦経験の不足と不慣れな連携はどうしようもなかった。戦闘員がこれ以上増えたら、それこそ勝機自体が無くなる。
「リクシナール?」
というわけで、ヨシュアは森で”白月”を呼んでいた。阿呆の様だが、これが一番簡単だとリザが進言したのだ。無論、”特殺隊”の面々が周辺に潜んでいる。センリはいない、あからさまに伝えはしないが、本番以外ではかえって足手まといと判断されたためである。
「なんでしょお~」
「うおっ」
そして、やってきた。”白月”ことリクシナールは、森の間を駆け抜けてヨシュアの前に馳せ参じたのだった。相変わらず頬を赤らめ、もじもじとしながら特徴的な声で話している。
「お、おう」
「嬉しいです」
「え?」
「名前で呼んでくれて嬉しいです」
ヨシュアは照れたように、ぎこちなく頭を掻いた。こうも素直に感情を出されるのは久しぶりである。同時に、それまでの彼女の人生を否が応でも察してしまう。
”特殺隊”面々の隠れているところから、聞こえないほど小さな舌打ちが鳴った。
「あ、あの、それで……えっと、わたしに……その……」
「あ、ああ」
途切れ途切れ、ヨシュアは捕虜交換と、非武装での接見を申し出た。話し方が形式ばったものでなくいつものそれなのは、その方より警戒心を解けるだろうという目論見だった。
「わかりました」
「えっ」
「武器はわたしこの剣しか持ってません、今からやればいいですか?」
「あ、いや……夜にもう一回、呼ぶから」
「はい」
あまりに軽い返事に、ヨシュアの方が戸惑っていた。少しも疑っていない、というよりも内容そのものに何も関心がないように思えた。それ以前からもだが、センリのそれとはまた違う、異質さをヨシュアは感じていた。
「そ、それと、君と
「えっとそれじゃ……。また呼んでくださいね」
「ま、待ってくれ」
”特殺隊”に、一瞬緊張が走った。本来の予定ならば、ここでこの会合は終わりのはずである。ヨシュアは何をしようとしているのか。
「リクシナ―リクでいいか? 言いにくい」
リクシナールは、頬をますます紅潮させた。まるで、愛の告白でも受けたかのような有様だ。
「そ、そんな綽名なんて……」
あまりにも初心だ。思わず浮かんだ御し易しという邪な考えを、ヨシュアは慌てて払って、己の意を通さんと言葉を続けた。たかが綽名ではないか。
「リク……少し……いや少しじゃないな、一月くらい姿を隠せないか?」
要は、上層部には討ち取ったと思わせて、センリの顔を立て、尚且つ”令印”を解除させようというのだ。無論、女軍人も解放するつもりである。
杜撰極まりないと、我ながらヨシュアは思う。応じればリク達は連合軍の裏切り者、”特殺隊”の”令印”が解除される保証もない。だが、ヨシュアが精一杯考えた結論だった。隊員の命を保証し、センリの顔も立て、故郷の皆を助ける、虫のいい願いを全て叶えるには、これくらい強引な手法が必要だった。
「隠すんですか?」
「ああ……友軍にも、見つからないようにだ。捕虜の女性もなんだが……」
「いいですけど、その間の居住区とかはありますか?」
これまた、受け入れるのを前提にしているような返答にヨシュアは虚を突かれる。そこまでは、まるで考えていなかった。だが、具体的なものを示せればこれは好機かもしれない。
「あ、ああ、一応……な」
「なら、いいですよ。ちゃんと会いに来てくれますよね?」
拳を強く握る、歓声を上げたい気分だがまだ駄目だ。なんら確約を得られていないのだ、レクスたちと練らねばならない。
「あ、ありがとう」
「いえいえ、でもその前に……」
「ん?」
「”特殺隊”を何とかしないといけませんね」
リクは、周囲の森に視線を走らせた。目をとどめた場所は寸分の狂いもなく、隊員たちの隠れている場所を射抜いていた。
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