第31話 リクシナール・ソーアンジン

「いった―」


「下がってろ馬鹿!」


 ヨシュアはいきなり後ろから引っ張られて、倒れこまないように姿勢を維持するのに苦労した。入れ違いに、その張本人のスガワが”白月”めがけて突っ込んでいく。”白月”から引き離したのもあるが、ヨシュアの陰から抜刀術で奇襲するのも狙いである。本来は敵兵を盾にするこの戦法、破られたことは未だない。


「!」


「ぐう⁉」


 スガワの術に、敗北の歴史が刻み込まれた。なんのことはない、”白月”はその奇襲に反応してスガワが刀にかけた手ごと蹴りつぶしたのだった。みしり、骨がゆっくり潰れる音がする。

 呻きを上げる間もなく、スガワは2発目の蹴りを叩きこまれて吹き飛んだ。そのまま木打ち付けられ、受け身も取れずに昏倒する。どうにか立ち上がろうと足掻くが、呼吸ができない、衝撃が抜けるのを待つのみだ。


「ひっ‼」


 トゥーコは2丁拳銃を取り出せなかった、ホルスターに手を伸ばす前に、突如眼前に現れた”白月”の突きが深々と腹に突き刺さっていたからだ。血の混じる胃液を吐き散らしながら、土砂を抉ってそのまま七転八倒する。

 ほんの一瞬で、二人の”異能”持ちが戦闘不能に陥っていた。ヨシュアはここで初めて、”白月”の実力を目の当たりにして慄然とする。レクスがあれだけ警戒したことの意味も分かる、総勢でかからねば、まるで勝ち目はなさそうだ。


「スガワ! トゥーコ!」


 それどころではない、二人を助けねば。


「あ、あの……」


 慌てて駆け寄ろうとしたヨシュアの前に、”白月”が躍り出た。思わずヨシュアは足を止める、自分では間違っても勝機がない。


「く……」


 ”特殺隊”を呼びたい、倒れこんでいる二人に目をやりながらヨシュアは考える。速やかに治療をしなければ、手遅れになるかもしれない。単なる打撃にしかみえなかったが、”異能”持ちに軽視は危険だ。


「あ、あの……」


 だが、”白月”はそれを許してくれそうにもなかった。自分が”異能”持ちでないことを、ヨシュアは何度目かわからないが呪った。


「わ、わたし……どう思います?」


 ”白月”がそう尋ねる。目は伺えない、しかし、赤い頬と恥じらうような態度が、目の前で行われたこととあまりに乖離していて、異様であった。

 間違いなくジャニと同じ狂人の類だ、改めてヨシュアはそう確信する。意思の疎通はできるし、何故そうしたのか行動の理由もわかる、だがそれでいて、立っている世界の見え方がまるで違う、そんな相手だ。


「どうって……」


 慎重に言葉を選ぶ、追撃を受ければ二人に防ぐ手段はない。”特殺隊”が到着するまで、どうにか会話を引き延ばしたい、そのうえ、機嫌を損ねないようにだ。ヨシュアは考える、女軍人と相対した時のように、幾度もあった命の危機でそうあったように。


「……変わっては、いるな」


 結局、思った通りを言うしかなかった。そして、それから気づいた、狂人の好む受け答えなどあるのだろうか? ジャニといつもどう話していたか、ヨシュアは脂汗を滲ませながら必死に思い出そうと苦心した。


「そ、それだけですか? 笑わないんですか?」


「し、しない」


 ヨシュアが若干の苛立ちを滲ませながら答える。”白月”は、何かしらの劣等感を外見に抱えているらしかった。兜もそれに関係しているのだろう。気にならないではなかったが、それより二人が気にかかる。スガワはどうにか呼気を取り戻したらしく、掠れた喇叭のように唸る余力があるが、トゥーコは既に動かず微小な痙攣のみで生を示すだけだった。一刻も早く助け出さねば。


「そうですか……」


「二人を―」


 ”白月”は何度も頷くと、ヨシュアの手を取った。ヨシュアは思わず鳥肌を立てる、あの膂力では自分の手など簡単に砕いてしまうだろう。武器……否、見切られているに違いない。せめて、自由なもう一方の手でどうにか―


「嬉しい」


 ”白月”がほほ笑む。笑顔を作ると歯茎がむき出しで、実に不気味だった。どうやら、意図せず他人に不快感を与えてしまうタイプらしかった。

 それが幸いした、あまりに醜い笑顔に、ヨシュアはすっと自分が平静さを取り戻すのを実感できたのだ。このままいくと、彼女はまた立ち去ってくれるかもしれない。


「あ、ああ……」


「ふふっ」


 ”白月”は、うやうやしく一礼した。


「リクシナール・ソーアンジンです」


「あ?」


「それじゃ、また」


 名を言ったらしい。”白月”、いや、リクシナール・ソーアンジンは、どう答えたらいいか戸惑うヨシュアを残して、そのまま走り去っていった。


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